ドイツとソビエト連邦。この二大陸軍大国の戦いはソ連軍の最後の攻勢の頓挫とソ連指導者スターリンの失脚によって終った。
 もはやソビエト連邦に戦いを継続する力は殆ど残されていなかった。ソ連の新政権は日本に仲介を頼み、ドイツとの停戦に踏み切った。

「これで戦争は本当にお終いです」

 辻の言うように、この戦いの終結によって1939年以降、世界を覆ってきた戦乱に終止符が打たれた。
 尤も戦争を終らせた要因、スターリン失脚は日英の陰謀によるものだった。彼らはソ連と赤軍がこれ以上、無駄に消耗するのを嫌ったのだ。
 何しろこれ以上、ソ連が消耗すれば国家そのものが瓦解することになる。そうなれば周辺地域ももろに影響を受ける。現在の支配領域の維持 だけでも四苦八苦している日本からすれば、それは悪夢でしかない。

「ソ連は柱にくくりつけてでも生き残ってもらう。他ならぬ我が国のために」

 それが会合の決定だった。
 そのために彼らは英とも協力してマッチポンプ式に、制御可能な範囲で、英国の影響下であるカナダで騒乱を起こしたのだ。
 イギリスからすれば、日独の拡張をある程度阻止する壁『ソ連』を存続させると同時に、経済の低迷によって自国の足元で蠢くようになった共産主義者を 叩けるという絶好のチャンスでもあったので日本の提案に飛びついた。
 さらに日本の協力で五大湖周辺を『滅菌』していけば、いずれは植民地にすることも出来るというのも大きなメリットだった。

「ここは協力するほか無いだろう」

 ハリファックスは迷うことなく頷き、クレムリン中枢にまで陰謀が仕掛けられた。
 そして赤い皇帝は失脚し、この世から退場した。そしてソ連には日英にとって都合の良い政権が誕生し、そして欧州枢軸も最後の攻勢で少なくない 損害を受け国力を削られた。これで英国が受ける圧力は多少は減らすことが出来る。
 客観的に見ればソビエトもドイツも、日英に嵌められたと言ってよかった。だがドイツとしても損害は受けたが、これ以上ダラダラと戦い続ける 必要がなくなったしソ連もこの戦争を終らせ、体勢を立て直すチャンスを得た。

「WIN−WINの謀略ですよ」

 会合、それも衝号の真実を知る者のみの席で笑いながら言う辻を、嶋田は否定できなかった。尤も皮肉な笑みは浮かべていた。

「どちらかと言うと、ソ連と共産主義者はかなり損をしていると思うが……」
「このまま滅ぶよりはマシですよ。滅んだ方が利益になるのなら、滅ぼしたのですが……今はまだその時期ではありませんからね。尤もその時期が 来たら『赤い毒電波』を世界に撒き散らしたツケはしっかり取り立てますが」

 この時、会合の面々は共産主義者が何もかも毟り取られていく姿を幻視した。

(((マルクス、レーニン、恨むなら貴方達の後継者を恨んでくれ)))

「とりあえずは、英と共にスターリン=黒幕説を流布しましょう。あのグルジア親父を全ての元凶にして、メキシコ人の名誉と扱いを少しは 回復させておくのが今後の北米運営のために良いかと」
「『全てはコミンテルンの陰謀だったんだよ!』、という話にすると? 陰謀論者の食いつきが良さそうな話ですね」
「死人に口無しです。ついでに日米開戦を誘導したのも連中ということにしておけば良いかも知れません。イギリスなら国務省内部にアカのスパイが 巣食っていたことをある程度突き止めていたでしょうし」
「……何から何まで共産主義者のせいにすると?」
「ええ。戦乱を引き起こし、津波と疫病の被害を拡大させ、世界を破滅寸前に追いやったのは赤い悪魔ということにします。そしてソ連の良心的な 人間達は自分達で悪魔を排除した。そういう筋書きにしておけば、戦後、日ソ貿易を想定以上に阻害されないでしょう」

 この辻の意見に杉山は苦笑する。

「史実日本が軍を、ドイツがナチスを生贄にしたように、彼らはスターリンを生贄にするということか。歴史の皮肉だな」
「英国も似たようなことを考えるでしょう。日英関係修復のために、親米政策の責任者だったハリファックスの首を差し出してもおかしくありません」

 近衛もこれには頷くと、辻に向けて言い放つ。

「だろう。逆に言うとそれ位してもらわないと、こちらも国民を納得させられない。だが、問題は彼の後任だ。英国人は甘くないぞ」
「手強い人間が来る可能性は高いでしょう。何しろ彼らは手負いの獅子ですから。それに今更二枚舌外交など出来ませんが、それでも後ろで暗躍する程度の ことはするでしょう。今後の世界戦略のために、日英の利害を可能な範囲で一致できるように手を打っていかなければなりません」

 日本は列強筆頭だったが、世界の全てを思うように動かせるわけではなかった。
 米国でさえ、世界を思い通りに動かすことは難しいのだ。まして米国よりも遥かに劣る日本では、出来ることは高々知れている。

「楽は出来ないと言う事か」

 嶋田は苦笑するが、すぐに表情を切り替える。

「まぁいいでしょう。その腹黒紳士とちょび髭総統との北米での首脳会談ですが、問題が生じています」
「年内開催が無理と?」

 近衛の問いに嶋田は首を縦に振る。

「無理のようです。ドイツも独ソ戦の停戦でのゴタゴタがあるようで、早くて年明けになるでしょう。それと場所についてはカリフォルニアで 調整します」

 日本の勢力圏であるカリフォルニアでの三勢力の首脳会談の開催は、世界へのメッセージでもある。

「しかし年明けとなると、嶋田さんを元帥にする時間的な余裕がありますね」
「……少し急ぎすぎでは?」

 嶋田は現在『唯一』の海軍元帥である伏見宮を横目で見るが、伏見宮は全く気にも留めない様子で答える。

「問題は無いだろう。君が海軍元帥になることに異論を唱える者はおるまい。それにヒトラーやハリファックスと会うとなれば、帝国海軍大将よりも 帝国海軍元帥のほうが良い」
「……解りました」

 西暦1943年10月。鳥取地震などの自然災害の後始末に追われる中、帝国海軍大将・嶋田繁太郎は、対米戦争における功績から海軍元帥に任じられた。 彼は東郷元帥と同様に陛下の御前で杖を使うことを許された。勿論、この元帥への任命式は大々的に開催され、報道されることになった。この嶋田の 元帥就任は海外でも報道され、『新たな東洋のネルソン』、『東洋のビスマルク』など様々な記事やニュースが西欧諸国を賑わせることになる。
 ちなみにドイツ海軍では嶋田の政治力や戦争指導のやり方(餅屋は餅屋など)を羨み、「うちの伍長と交換してくれ」とか「それが無理なら元帥同士で 交換してくれ」などと囁かれ、海軍総司令官の某元帥が激しく落ち込むことになる。
 しかし意外なことに、賞賛され海軍元帥となった当の男があまり喜ばす、むしろ憂鬱な気分になっていることを多くの人間は知らなかった。

「ここまで派手になるとは」

 海軍元帥と帝国伯爵という新たな地位を得た嶋田だったが、舞い上がることなど無かった。
 救国の宰相であり、稀代の軍政家、戦略家と賞賛され、さらに人が羨む高い地位を得たとなれば、普通なら狂喜乱舞するだろう。しかし嶋田は 全く気分を高揚させなかった。

「どいつもこいつも、人の気も知らないで」

 急速に拡大しすぎた勢力圏の統治、アメリカ亡き世界に対応できる社会、経済の構築など問題は山積みだった。
 そして高い地位を得た、いや押し付けられた以上はその困難に対処していく必要がある。給料分以上の仕事が待ち構えているのは 目に見えていた。

「おまけに辻や近衛さんは人に脚光を浴びせておいて、また影でコソコソと動いているようだし……」

 嶋田は辻や近衛の蠢動を知って、今後のことを思いため息をついた。

「首相を辞めても、今度は貴族院で近衛さんと一緒に仕事か。やれやれ、完全に引退して楽になれるのは何時の日になることやら」

 穏やかな日々を羨む男は首相官邸でぼやき続けた。




             提督たちの憂鬱 最終話




 西暦1944年1月10日。カリフォルニア共和国ロサンゼルスに大日本帝国、大英帝国、ドイツ第三帝国という世界を事実上 支配する国々の首脳が集まっていた。
 大日本帝国首相嶋田は空母大鳳、大英帝国首相ハリファックスは戦艦KGV、ドイツ第三帝国総統ヒトラーは戦艦ビスマルクに乗って会談の 場となったサンフランシスコを訪れた。

「あれが日本帝国海軍の切り札の空母『大鳳』か」

 ヒトラーはビスマルクの艦橋から見える超大型空母を見て感嘆する。
 制海権を握るためには制空権が必要であり、大洋で制空権を握るためには空母と艦載機の存在が必要不可欠であることが、太平洋を巡る戦いで 日本海軍の手によって明らかにされていた。故にヒトラーは目の前の空母がどれだけの価値があるかを理解していた。

(それに引き換え……いや今言っても仕方ない)

 黄色人種が作り上げたとは到底思えぬ巨大な船。戦前のヒトラーなら『張子の虎』と切って捨てたかも知れないが、今のヒトラーはそんな愚かな 真似をするつもりはなかった。

(日本海軍はあれよりも旧式だが、他に11隻もの第一線の空母を持っている。衰えたとはいえイギリス海軍も健在。さらに北欧は日本側。 当面は宥和政策を取らざるを得ない)

 北米経営、そしてロシアの占領地(バルト三ヶ国、ベラルーシ、ウクライナ)の経営もある以上、日本軍と戦端を開くわけにはいかなかった。
 さらに日本は独ソ停戦の仲介料とばかりに、ソ連からチュクチを割譲させていた。このため北極海経由で日本は欧州に安全にアクセスすることが可能と なっている。そんな彼らが北欧に核を持ち込めば……欧州は瞬く間に危機に陥る。

(この戦争の最大の勝者は、忌々しいが日本と言うことか)

 日本はすでに欧州の心臓を直撃することが出来るだけの体制を整えているのだ。北欧をこちらに引き込もうとしても、フィンランドは日本のおかげで 冬戦争で失った領土をソ連から取り戻すことが出来たため親日傾向が強かった。他の国も日本と連携する動きを見せている。彼らを振り向かせるのは 並大抵のことではない。
 雌雄を決するとなると、新たな領地の経営が上手くいき、さらに核兵器を開発し、英ソを降してからの話だ。尤もそれが何時の話になるかは判らないが。

「しかし驚かされてばかりというのは面白くないな。ここは我が第三帝国の武威を示す必要があるだろう」

 ロサンゼルスでは三ヶ国の軍事パレードが予定されている。
 このときヒトラーは自慢の武装親衛隊と重戦車群、そして烈風に勝ちうる戦闘機であるドルニエDo335をお披露目するつもりだった。

(間違いなくイギリスは慌てるだろう。奴らに第三帝国に逆らうことが如何に高くつくか、それを判らせなければならん)

 イギリスに対して怒り骨頂のヴィシーフランス政府は、出発寸前のヒトラーにイギリスへ強く出ることを要求していた。
 彼らからすれば、イギリスは味方を背後から撃った卑怯者なのだ。カナリア沖海戦で貴重な戦艦を葬られたことで、フランス人は日本に対しても 良い感情は抱いていないが、空母の集中運用という画期的な新戦術で曲がりなりにも真っ向から戦っていると言う事実が怒りを和らげていた。
 故に自分達を騙まし討ちにし、さらに欧州で必死に戦ってくれた日本を見捨て、さらに米国が崩壊した途端にまた日本に擦り寄るイギリスは唾棄すべき 敵でしかなかった。

「日本と英国を分断して、日本を味方に出来ないだろうか?」

 フランス政府内部ではそんな声さえ挙がっていた。
 フランスとは仲が良くないイタリアの統領が、日伊関係が悪くないことを活かして、日欧の関係を取り持とうとしているとの話がそんな声を後押し していた。今は独逸の衛星国のような扱いだが、いつまでも独逸の後塵を拝するつもりは彼らになかった。いつか偉大なフランスを再建してみせると彼らは 思っていたのだ。そんな彼らにとって、独逸だけでなくイタリアにも遅れをとるのは面白いことではなかった。
 一方、散々に恨みを買っているイギリス政府関係者は、この会談で起死回生を図るつもりで、必勝の思いで会議場に乗り込もうとしていた。

「嶋田元帥は?」
「会議場に向かっているとのことです。特に変わった動きはありません」
「ということは、『事前の調整』どおりか」

 イギリスは辻経由の交渉ルートで、ある程度の日英合意を達成していた。
 イギリスは帝国の心臓であったインドを紐付きであるが段階的に独立させ、東南アジアから手を引くことになっている。また華南連邦へも日本企業の 本格的な進出を認めることになった。
 ただし日本側も相応の出費をする。日本はイギリス本土の防空網再建のために電探や高射砲などを安値で供給することになっている。加えて艦船に ついても戦時量産型の駆逐艦や海防艦、輸送船舶などを華南連邦やタイ王国などの中立国経由で輸出することになった。
 これらは武装などを外され、表向きは『鉄屑』として輸出され、中立国経由でイギリスの手に渡ることになっている。イギリスは仲介料を払う ことになるが、津波によって多大な被害を受けた艦艇の補充には丁度良かった。
 イギリスとしては空母も欲しかったが、日本の世論の問題があって困難だった。オーストラリアという候補もあったが、白豪主義のかの国へ提供 しても碌なことにはならないと没になった。最終的に時期を見てカナダへ売却するという結論に至った。
 だが日本製空母を諦めた代わりの成果もあった。

「ライセンス生産だけでなく、旧米海軍の空母の有償での貸与と烈風、飛燕の輸出承認とは有難い」

 四式戦闘機『疾風』を投入できるようになった日本は、二線級の戦力となるレシプロ機の輸出を解禁したのだ。ジェット機が戦場を翔るように なれば売れ筋が鈍るという判断があった。
 尤も日本の場合は、廉価なジェット機を確保するため烈風のジェット化を目論んでいた。烈風で客を掴み、後にジェット化した烈風を売り込むという プランは十分現実味があった。またこの輸出攻勢を機に、イギリスの航空産業に参入することも狙っていた。
 衰えたとはいえ、イギリスは産業革命発祥の地であり、その技術の蓄積は無視できないのだ。
 加えてイギリスには優秀な人材も多い。彼らを活用することが出来れば、これまで以上の発展が見込めるとも考えられていた。未来知識による チートが何時まで続くか判らない以上、夢幻会にとって優秀な人材の取り込みは必要不可欠だった。

「今後は日本との連携を強化し、独逸の圧力を逸らし、大英帝国を再建しなければならん。この会談が終れば、私の政治生命も終るだろうが…… そのための道筋はこの会談で切り開かねばならない。国王陛下と苦しんでいる国民のためにも、何が何でもやり遂げなければならない」

 自分が英国史に残る無能で唾棄すべき宰相として記されることをハリファックスは判っていた。だがそれでも尚、やり遂げなければならないことがある。

「私は首相として失格なのだろう。だが私は無責任でもなければ、卑怯者でもない。己の責務は果たす。我が家名にかけてだ」

 独英の首脳が様々な思いを抱いている頃、大鳳に乗ってやってきた嶋田はビスマルクやKGVを見て今後の世界について思いを馳せていた。

「イギリスは国家再建に手一杯。ドイツも広がりすぎた勢力圏の整理で手一杯だろう。うまくすれば暫くは戦争はなくなりそうだ」

 対米強硬派の首魁とされ、アメリカが完全に滅ぶまで手を緩めなかった男はほっとしたような顔で呟く。

「ですが総理、イギリスは我々を裏切り、後ろから切りつけようとした国です。ましてドイツは先の大戦以降の仇敵。油断は禁物では?」

 山口中将の言葉には拭いきれぬ不信感があった。特に地中海で多くの血を流した海軍関係者からすれば、裏切り者の英国と友好関係を構築する など悪質なジョークにすら聞こえるだろう。ドイツに至っては自分達を物真似だけが得意な黄色い猿と名指して罵った連中が国を牛耳っているのだ。 信用できる訳が無い。

「……判っているよ、山口中将。だが戦争をしなくて済むのは良いことだ。それにイギリスもドイツもこの戦いで我々と敵対する愚を悟ったはずだ。 今後は向こうも付き合い方を改めるよ」
「……」
「まぁ改めないのであれば、改めさせるのが政府の仕事だ。それに……イギリスには裏切りの落とし前を付けさせる。安心してくれ」
「はっ」

 引き下がる山口。だが同時に嶋田は軍内部に燻る不満や怒りというのを改めて実感し内心でため息をついた。

(舵取りが大変そうだ……)

 戦後を考えると日英の関係修復は急務だが、市民や軍内部での不満や反対意見は決して無視できるレベルのものではない。
 フィンランドという最後まで日本を裏切らず友好関係を維持してくれた国があったことが、ますますイギリスへの批判の声を高めていた。
 嶋田は国をたつ前に「国家に永遠の友は存在しない。存在するのは永遠の国益だけである」と言って、イギリスとの関係改善が国益に適うことを 主張したが、それでも反応は芳しくなかった。

(日本人は信義を重視するからな。はぁ……)

 優位に立っているはずなのに、何故か気苦労が耐えない嶋田は、改めて内心でため息を漏らす。

(北欧諸国と連携して、欧州に先制核攻撃を仕掛けて一気に世界の覇権を握ろうと考える連中もいるし、やれやれ今後の統制に骨が折れそうだ)

 核兵器の威力が明らかになると、その威力や実害に恐怖する者が出る一方、枢軸が核を開発していない内に枢軸に戦争を仕掛けることを主張する 連中も出始めていた。彼らは日本が核を独占している今こそ、日本が世界の覇者となる機会だと主張したのだ。

(パックス・ジャポニカ。日本による平和か。ジョークにすらならんよ。あれが出来るのは米国のような真の意味での超大国だけだ)

 だが世間の人間は嶋田たちとは異なる意見を持つ者が多く、嶋田たちは苦労を強いられている。

「まぁ良い。兎に角、この会談で世界の線引きをして、仕切りなおそう。全てはそれからだ」

 世界の命運を握っていると表現しても過言ではない男達は、仰々しいカリフォルニア共和国の出迎えを受けた後に、ロサンゼルスのリゾート 地であり、会談の地であるサンタモニカに移った。
 スペイン人が聖人モニカにちなんで命名したこのリゾート地は、この世界の行く末を決める歴史の舞台となったのだ。

「(前世でここに来たのは観光くらいだな)……観光で訪れることが出来たら、凄く気楽だったんだが」

 ホテルから周辺の光景を見て、嶋田は笑いながら言った。
 風光明媚なこのリゾートには、日本、英国、独逸の三大国の護衛部隊が展開し物々しい雰囲気であった。陛下の名代ということで、嶋田の護衛 には近衛師団が、英国も同様に近衛歩兵が、独逸は武装親衛隊が出張っていた。

「閣下」
「冗談だよ」

 嶋田は随伴していた白洲に、笑いながらそう言うと会議場に向かった。
 こうして、後にサンタモニカ会談と呼ばれる戦後秩序を決定する会談が始まる。





 サンタモニカ会談では、まず嶋田が対メキシコ戦での協力への感謝を述べることから始まった。
 一方で英独の首脳は嶋田の元帥昇進を祝い、そして日本軍、特に日本海軍の精強振り、さらに科学技術の結晶とも言うべき原子爆弾とそれを 運用する富嶽について賞賛した。

「素晴らしい兵器だ。我が国の技術者が、貴国の技術者達の半分でも仕事をすれば対ソ戦争は我々の勝利に終っただろう」

 それはヒトラーの偽らざる本音だった。

(有色人種に軍事力や科学力で敗北したとなれば我々の教義が破綻する。やはり日本人は『別枠』で分けるべきか。日本人の躍進を見て 勘違いした有色人種が騒ぐのは拙い)

 続けて日独、英独、そして日英の和解に向けた話し合いが持たれた。
 日本は急速に拡大した勢力圏に四苦八苦していたし、津波で多大な被害を受けたイギリスに大陸国家ドイツと戦い続ける余裕など無かった。 ドイツも独ソ戦が曲がりなりにも終って漸く復興に取り掛かれるという段階。どの国も戦争は望んでいなかった。このためそれは自然な流れだった。 しかし問題はある。

「我が国は亡命政府を帰還させたいと思っているのですが?」
「嶋田元帥、我が国としても亡命政府の帰還は考えている。だがポーランドについては認めるつもりはない。自由フランスの残党もだ」

 通訳を通じて聞かされたヒトラーの答えは、予想通りのものだった。
 ここでさらに迫っても、利益は無いということで嶋田は引き下がる。ここでドイツとの関係を破断させてまで亡命政府の肩を持つことはない。

(まぁここは仕方ないな。ポーランド人には西海岸で骨を埋めてもらおう)

 友邦だった亡命政府のために骨を折ったという事実が欲しかったのだ。
 それに曲がりなりにもオランダ、ベルギーなど他の国々の亡命政府にの帰還は了承された。友好国ベルギーが帰還できるとなれば日本国民の不満も 大分和らぐはずだった。

「我が国はドイツ、そして日本とも友好な関係を構築していきたいと思っています」

 ハリファックスの言葉にヒトラーは冷笑を浮かべるが、ハリファックスは続ける。

「勿論、我が国が、いや私がしたことは決して許されるものではないでしょう。会談の後、私は日本に直接赴き、謝罪させてもらいたいと思っています。 その際、何があろうと文句は言いません。私はそれだけのことをしたのですから」

 そう言ってハリファックスは深く頭を下げる。

「ですが我が国は貴国と改めて手を携えていきたいと思っています。それだけは」

 すでに秘密のルートで関係修復が進められることは判っていたが、公式に頭を下げ謝罪する姿勢をとることは必要だった。

「判っています。我が国としても『不幸な行き違い』がありましたが、英国との友好は築けると思っています。この混沌とした世界を導くためには、生き残った 国々が責務を果たしていかなければなりません」
「ありがとうございます。嶋田元帥」

 勿論、ハリファックスは口だけでなく英国はインドの段階的独立、東南アジアからの撤退などを確約し、東南アジアを事実上日本の勢力圏として認めた。
 一方、内心で慌てたのはヒトラーだった。仏印を巡って日仏の交渉は難航していた。フランス政府は日本との友好関係を築くことは考えていたが、仏印からの 撤収は認められなかったのだ。植民地を捨てる決断というのはそれほど難しい。だがそれをイギリスは決断したのだ。イギリス人の本気具合が判る。

(この際、荒廃した植民地など高値で売りつけるようにフランスに働きかけるか)

 周辺が独立すれば、仏印でも独立運動が過熱する。そうなれば弱ったフランスではそれを押さえきれなくなる。
 そして現地住民の抵抗によって、独立を勝ち取られたとなると、欧州による植民地支配は大きな打撃を受けることになる。
 それを防ぐためにはドイツはあの大地に兵を置く必要がある。だがそれをすればドイツの負担はさらに大きくなる。またドイツがあの地に多大な兵力を 置くとなれば日本を刺激する。悪戯に関係をこじらせる真似をする余裕は今のドイツには無い。

(有色人種の活動が成果を出したのではなく、あくまで突然変異種の日本人との取引の結果、植民地を放棄したという形が望ましい)

 こうしてヒトラーは決断を下した。

「我々も東南アジアを日本が支配することに異論は無い。東南アジアの問題で一々介入するつもりもない」
「ですがフランスは認めますか?」
「彼らもこれ以上、『華南連邦の軍事行動』で荒廃した地を支配することに固執はしないだろう。それに津波からの復興とその対策も急務だ。しかし無償では彼らも納得 できないだろう。彼らは膨大な金をあの地につぎ込んできたのだ」
「彼らから購入する必要がある、と」

 ヒトラーは頷く。

「そのための仲介なら買って出よう」

 幸い日本の円の価値は高まっており、需要は高かった。加えて大西洋大津波に端を発した第二次世界大恐慌で稼いだ資金やソビエトから毟り取った富が日本 にはまだ残っていた。
 日本は世界から巻き上げた資金で南方への進出を可能にしたのだ。後に欧州では日本人は札束と黄金で東南アジアを買い叩いたと言われるようになる。 ちなみにオランダはごねたが、最終的に全てを失うよりは権益を残しておいて独立させたほうがマシということでインドネシアを手放すことになる。

「ただ日本とフランスの仲介は何とかできるが、イギリスと欧州各国との仲介は難しい。我が国としては緊張緩和を望んでいるのだが」
「確かに難しく今度の課題といえます。ですが、今は我が国と貴国だけでも関係を修復することが急務でしょう」

 ハリファックスは仏との関係修復は当面無理と判断し、ドイツとの関係修復のみを目的にしていた。

「貴国も色々と統治しなければならない人間が増えて大変のはず。そしてこの異常気象。さぞお困りでしょう?」
「ロシアやアメリカの大地があれば」
「ロシア経営がすぐに軌道に乗ると? アメリカから石油や食糧を運ぶと言っても現在の状況では十分ではないのでは?」
「………」
「我が国も事情は逼迫していますが、緊張が緩和できれば、貴国に色々と融通できます。ですがこれ以上緊張が高まるとなると、我々も自国のためだけ に物資や船舶を使わないといけなくなります。それは本意ではありません。今は人類が一丸となってこの事態に対処しなければならないのですから」
「ほう? 貴国にも、そこまで余裕があるとは思えないが」
「問題ありません」

 その後、ハリファックスが僅かに嶋田に視線を向けたことから、ヒトラーは日英が裏では関係改善を進めていることを理解した。 内心で舌打ちしつつも、ヒトラーはハリファックスと舌戦を繰り広げるが、ハリファックスは嶋田の援護射撃もあり不利な状況にも関わらず健闘した。 最終的にスエズ運河を手放し地中海を完全に捨てること、枢軸が欲する船舶を安値で供給することで決着する。尤もイギリスは日本から真新しい船舶を 供給してもらう予定であり、彼らの新たな生命線はパナマ運河になるので、懐はあまり痛まなかった。

(我々の国家再建と英日同盟再構築が早いか、彼らの立て直しが早いか……厳しい競争になるな)
(日欧の最前線はインド洋か。北米の分断と言い、RS○Cみたいだな。まぁ想定の範囲だが)

 次に日ソ貿易に関して、ヒトラーが文句をつけたが、ここでソ連への輸出を打ち切ったらソ連自体が崩壊して周辺諸国に大量の難民が流出すると 言う日本の見解が受け入れられ、貿易自体は不問となった。
 ただし日本が無制限にソ連に物資を輸出するのは困るとヒトラーは食い下がった。独ソは停戦中に過ぎない。そしてヒトラーは最終的にソビエトを潰す つもりだった。故にソビエトの復活を助長するような行為は見過ごせない。

「……ですがソビエトの産業を再建しない限り、ソビエトの崩壊は止められないでしょう」
「しかしソビエトが再建されれば、我々への圧力が増す。そうなれば北米の安定にも影響があるのではないか?」
「……それでは極東地域に日ソで出資して工場を作るというのはどうです?」
「それはソビエトに利益を与えるだけではないのか?」
「短期的にはそうかも知れません。ですが長期的にはどうでしょう? 極東地域に産業や人口が集まれば、ソビエトを内部から東西に分断できます。 そうなれば」

 答えは言うまでも無い。

「極東地域の住民は、自分達に施しもせず、物資や資源を西部に送る中央政府を不満に思うでしょう。付け入る隙はあります。そして幸いにも、我が国の 皇族にはロマノフ王朝の血を継ぐお方もおられます」
「だがソビエトがそうそうその意図に乗るかは判らん」
「貴国が開発しようとしている戦略爆撃機の存在が、嫌でも彼らを東方に追いやるでしょう。今の彼らに満足に高高度を飛ぶ爆撃機を迎撃する戦闘機は ありません。そして我々も彼らにその手の技術や兵器を供与しない」
「……」
「それに、ソビエトも容易に戦端は開けませんよ。もしも下手に再戦を貴国に挑めば、今度こそ世界の敵として滅ぼされるでしょう」

 スターリンに全ての責任は押し付けたが、ソ連の国際的地位は失墜している。日本の仲介で独ソ停戦を達成したが、他国との関係は最悪だった。 ここで再びドイツと戦端を開けば、今度こそ袋叩きになる。

「それに彼らにはアキレス腱があります」
「奴隷か」
「ええ。彼らは不足する労働力を支那から輸入している。果たしてどこまで統制できるやら」

 他称『旧アメリカ人』を含めた奴隷への憐憫など全く見せない嶋田。しかしこれを誰も咎めない。彼らにとって人道や人権などその程度だった。

「……しかし『彼ら』は信用できるのかね?」
「それは貴国が判断することでしょう。それに……そちらも『ある程度』は事情をご存知なのでは?」

 これにはヒトラーも苦笑する。

「彼らが必要以上に増えすぎれば、『万が一』、ソビエトが潰えたときの被害は大きくなります。そのためには極東地域の開発と最低限のソ連再建は必要でしょう」
「良いだろう。だが後の彼らの扱いは」
「勿論、我々が口を出すことではありません。貴国にお任せします」

 こうしてソ連に関する議題は終了した。かの国は、とりあえずは日独の緩衝地帯として生き残ることを許された。期限付きだが……
 そして彼らは他の諸問題について結論を出した後、本題である北米問題に入った。

「現代のローマを気取った者達の後始末は骨が折れそうです」

 この嶋田の言葉に2人は頷いた。

「あの新大陸の住民は、よほど恥知らずだったようだ」

 ヒトラーが忌々しそうに吐き捨てる。黒死病に対してトラウマのある欧州の人間にとってペストの亜種を生物兵器として開発するなど許せるものではない。

「我々による分割統治を継続することで異論はありませんか?」
「問題ない」
「あのような傲慢な国が蘇らないように徹底的に分断してしまうことが重要でしょう。市民が連邦復活を言い出さないように」
「ハリファックス首相の言うとおりです。そのためには彼ら自身に、徹底的にアメリカ合衆国を貶めさせるのが必要です」

 異論は無かった。彼らは属国となった国々で徹底的にアメリカを貶める歴史教育を行うことを決めた。勿論、マスコミも総動員して戦前のアメリカを徹底的に 貶め、生き残った市民が旧連邦時代を懐かしまないようにするつもりだ。
 だが彼らが共通したのは歴史教育だけであり、南部では人種差別上等の状態が続いた。欧州やソビエトで奴隷制度が半ば復活したこともそれを後押しした。 このため西部以外では有色人種は旧連邦時代以上の苦難を味わうことになる。

「ただ偶発的な戦闘が拡大しないように手を打つ必要がある」
「確かに。我々が弱体化してアメリカに統一政府が生まれるのは悪夢でしかない……と言うことは各国軍は後方に下がり、友邦を後ろから『支援』するという 形にしたほうが良いでしょう」
「うむ」
「それと封鎖線を越えてくる者達への対処ですが、これも従来どおりで」

 従来どおり……それは射殺か、追い返すことを意味していた。
 非人道的だが、日本が持っている抗生物質を超える薬がない以上は仕方なかった。

「東部は滅菌作戦のように徹底的に焼き払うのが良いでしょう。北米を安定させるためにも」
「五大湖周辺で行ったように徹底的に焼き払う作戦ですか」
「そのとおり。黒死病となれば、野生動物さえ媒体になる可能性があります。あらゆる物を焼き払うことも十分な予防措置でしょう」
「ふむ。それなら我が国も協力しよう」

 ヒトラーは積極的に頷いた。

(空軍で開発を命じた爆撃機のデータ収集、そして列強への示威行為には丁度いい)

 戦略空軍化を進めるが、やはり実戦データは必要だった。勿論、迎撃してこない米東部だと訓練程度にしかならないが、それでも実際に 出撃して爆撃を行うのと行わないのでは大きな差がある。
 さらに北米東部には平らな土地も多い。密かにそこに飛行場を含む拠点を作り、活動することも可能だ。

「滅菌も必要ですが、各国が協力して特効薬開発、そして今後現れるかも知れない未知の疫病に備えることも必要でしょう。そこで私は 新たな国際協力機関の設立を提案します」
「しかしハリファックス卿、どこに作るというのだ?」
「『スウェーデン』はどうです? 北欧の各国政府も人類のために最大限協力すると」

 この提案にヒトラーは驚く。

「嶋田元帥は?」
「問題ありません。北欧各国は友好国であり、北極海を挟んだ隣国です。加えて西欧各国とも連携がとれる位置にありますので」
「だが北欧にそのような国際機関を置くとなると」
「我々は北欧諸国を戦場にするつもりはありません」

 それはドイツが恐れる『北欧諸国に日本の核兵器が配備される』というシナリオが回避されることを意味していた。
 そしてそれはヒトラーにとって大きな成果でもある。曲がりなりにも欧州の地に人類を守るための国際機関が作られ、本土の安全も確保できるのだ。かくして 新たな国際機関の発足はあっさり決まった。
 ヒトラーが満足げに頷くのを見て嶋田とハリファックスは内心でほくそ笑む。彼らにとっても北欧の地に国際機関を作ることは望ましかったのだ。
 北欧諸国に安全と国際的地位を売りつけることでイギリスは北欧諸国との関係改善を進めつつ、国際機関の設立に深く関わることで周辺国との関係改善や 国際的信用回復を図れる。日本は北欧諸国を仲介として西欧諸国と交流を行い、緊張緩和を進めると同時にと西欧の優れた技術者達と自国の技術者を 切磋琢磨させることが出来る。それは技術の発展のために丁度良い刺激となる。
 北欧諸国に航空基地やミサイル基地を建設できないのは痛いが、その代わりの地は確保していた。そうアイスランドだ。
 この会談で勢力圏が固定されたが、そこには英の占領下にあったアイスランドも含まれていた。そしてアイスランドは津波によって大きな被害を受けていた。 彼らは独力で立ち直るだけの力は無いし、津波への対策も困難だった。そこに日英は付け込み、秘密協定を結んだのだ。

「イギリス本土とカナダを行き来できる輸送機として輸送機仕様の富嶽を使うために、富嶽が緊急着陸できる飛行場をアイスランドに整備しておくのは 誰も反対できまい。そして協定の存在をうまく利用すればブラフ、抑止力にはなる」
「そしてイギリス−北米間の航空路線をこちらで押さえられれば、将来の利益になります」

 それがこの協定のために動いた近衛と辻の言葉だった。

(やれやれ、あの協定の存在を知ったら、ちょび髭の総統、怒りそうだな……)

 何はともあれ、会談は決着した。
 彼らは会食と歓談を行った後、三者で記念写真を撮った。
 椅子に座った三人(左からハリファックス、嶋田、ヒトラー)が写ったこの写真は、世界が新たな段階に入ったことを示す証拠として 後の世まで歴史書や教科書で語り継がれることになる。





 会談が終ったからと言って、嶋田の仕事は減ることは無かった。
 そして生き残った日本は、この先が見えない世界を乗り切るために、新たな軍備整備計画を開始した。その一つに紆余曲折の末に 決定された『大和型戦艦』の建造計画があった。

「これが大和か……何かこう『大和』という感じがしないが」

 嶋田は会合の席で見せられた諸元性能や設計図を見て苦笑する。

「………」

 砲戦派の首魁である古賀は渋い顔だった。古賀達は将来を見通して、欧州側が建造するであろう戦艦を圧倒できる超戦艦の建造を 熱望していたのだ。故にそれが叶えられなかった不満は大きい。同時にそれが今の日本の現状では贅沢な望みであったことも理解している。 だが理性と感情は違う。理解できても、どこかで納得できないという思いもあったのだ。
 それを理解している嶋田は苦笑しつつ、不満げな古賀を宥める。

「申し訳ないが、これで諦めてくれ。大蔵省だけでなく、山本達も反対したのだから」

 度重なる異常気象と凶作への対策、拡大した勢力圏の再編、次世代兵器開発……これらに必要となる予算と人員、資材は増えることはあっても 減ることはない。これだけ環境が激変すると膨大なコストがかかる超戦艦を建造するのは難しかった。
 引き換えに提案されたのは『大和』というより未成に終わった大和の対抗馬『モンタナ』を彷彿とさせる超弩級戦艦であった。
 それでも航空主兵論者の中には「今更、戦艦を建造するのか」と反対する者もいた。だがそんな彼らも枢軸側の防空能力強化によって空母機動部隊の 打撃力が相対的に低下すること、大鳳型空母の量産が困難のため『量』を強化できないこと、天候次第で航空機の行動が制限されることなどの諸問題が 挙げられると沈黙せざるを得なかった。
 そして喧々囂々の末に、航空機という矛を強化できるまで、不足する打撃力を補うために『戦艦』を建造することが正式に決定されたのだ。 戦前において一般的には海軍の象徴とすら言われた戦艦が、今度は航空戦力を補完する戦力として整備されることになったのだ。 大艦巨砲主義者からすれば仰天する事態であった。だがそれは時代の流れでもあった。そしてそのことを理解できない古賀ではない。

「苦しい懐事情にも拘わらず、これだけの大戦艦を建造できるのです。感謝こそすれ、これ以上不満を言う訳にはいきません」

 古賀は真剣な表情でそう言うと、不満を漏らす人間は自分が抑えることを確約した。

「助かります」

 嶋田はそう言って頭を下げた。
 これを見ていた他の砲戦派は曲りなりにも世界最強と言ってもよい戦艦を2隻配備できることから自分を納得させた。かなりグレードダウンしたとは 言え、この世界の日本海軍が建造しようとする戦艦は、そうそう簡単に撃沈できる品物ではなかった。

「まぁこの戦艦を撃沈するのは至難の業。枢軸へ多大な圧迫をかけられるでしょう」

 古賀が言うように、この新たな大和を撃沈するのは至難の業だった。
 この大和の基準排水量は8万5000トン、主砲として50口径41センチ砲を3連装4基12門装備し、最高速力は29.5ノットを誇る。 ビスマルクが装備する42cm砲よりも小口径であったが、12門もの41cm砲から放たれる鉄量は、十分な破壊力を持っており、今後、戦艦の 主任務となるであろう対地砲撃では多大な戦果を挙げられると海軍は判断していた。また例え史実の大和クラスの敵艦が出現しても十分に戦えると 艦政本部と軍令部は考えていた。それは攻撃力だけで考えたものではない。

「史実大和よりも沈みにくいように、あらゆる手を尽くします」

 技術者達はそう言って18インチ砲を搭載した戦艦とも殴り合いができるだけの防御能力を持たせるだけでなく、各国が対艦ミサイルで飽和攻撃する可能性を考え、 対ミサイル用防御として主装甲に加え、対ミサイル/被帽破砕装甲を追加することにした。これによってミサイルに対する耐久性を強められる。これに加え、舷側装甲と支持接合部の間に、クッション用・防振用ゴム材を挟み込むことで敵弾の威力低減を図ることが決定した。
 未来知識を活かしたプランであったが、関係者はそれで満足しない。
 水雷防御については、強固な防御能力を有する史実モンタナと同様のスタイルを採用していたのだが、さらに潜水艦用低圧ポンプ・ブロアーを 転用する事によって、注排水能力を格段に強化することにした。更に船殻縦貫強度部材の追加や、通路天井・舷側部側壁に装甲板を張り増しすることで、 戦闘時の移動も容易にするなど、考えうる限りの間接防御能力の強化にも努めている。
 そして水上艦艇の天敵となるであろう航空機への対処も十分だった。60口径12.7cm両用砲と50口径7.6cm速射砲を複数装備した上で トランジスタ使用により高度演算能力を有する自動射撃管制コンピュータと組み合わせ、生半可な航空攻撃は自殺行為となる程の高い射撃能力をこの大和には持たせる予定だ。
 さらに史実のテリアミサイルに相当する長距離ミサイルを装備させることも決定されていた。この長距離ミサイルを効率的に運用するために各種センサー からの入力と戦術情報処理機能、武器管制機能と射撃管制機能を統合してシステム化した統合武器システムの開発も行われることになっている。
 端的に言えば、この大和は次世代の兵器と技術を惜しげもなく使った次世代の戦艦であった。

「それにしても、基準排水量が8万トンを超えるような超弩級戦艦を建造することになるとは思わなかった」

 嶋田の台詞を聞いた会合出席者は苦笑する。

「まぁアメリカ合衆国が健在なら、ここまで馬鹿げた戦艦は作れなかったでしょう。いや作る必要もなかったかも知れませんが」
「……この船は、帝国海軍最大の敵であったアメリカが滅んだからこそ、生まれるというわけか。帝国海軍最後の戦艦として」

 そこで黙っていた伏見宮が口を開く。

「それもモンタナ級を拡大させたような艦として、だ。フォレスタル級、いやキティフォーク級に匹敵する『大鳳』、そして超モンタナ級といってもよい『大和』。 実に皮肉が効いている」

 皮肉だった。
 夢幻会の面々にとって特別な意味がある戦艦『大和』。彼らの知る歴史では対米戦争の切り札として建造された戦艦は、この世界では最大最強のライバルが倒れたために生まるのだ。
 それも、かつての世界で日本海軍のライバルであった米海軍が作ろうとして作れなかった戦艦をさらに強大にする形で。
 出席者が一様に口を閉ざしたのを見た辻は話が終わったと判断して口を出す。

「しかし帝国の現状では、精々2隻までですよ。それに軍縮、それと勢力圏の国々への負担もお願いしないといけません」

 現在、タイ、トルコ、フィンランド、福建、南米の友好国とカナダ、さらに第三国経由でイギリスなどへの艦艇の販売が計画、推進されている。
 これは単に売りさばくだけでなく、日本の負担を軽くするためでもあった。いずれ独立するインドやインドネシアへの販売も考慮されている。 これらの国々の海軍が満足に機能すれば帝国の負担は軽くなると期待されていた。

「いかにアメリカが偉大だったか判りますよ。太平洋のみならず、世界の大洋を押さえ、曲がりなりにも平和と安定を齎したのですから」

 嶋田はそうぼやくが、すかさず辻が突っ込む。

「偉大な敵だった故に、その復活は絶対に阻止しなければならない。そうでしょう?」
「「「……」」」

 軍関係者は否定できなかった。
 嶋田はわざとらしく咳をして話題を変え議題を進めた。そして何時もどおり話し合いを進めていき、最後の議題に入った。

「そういえば、最近、夢幻会への接触が増えているようだが、何かあったのか?」

 夢幻会の情報が漏れているのか、最近、夢幻会中枢に関わる人間、或いは中堅の人間へ接触を試みる人間が増えていた。組織の秘匿上、 あまり好ましいものではない。故に尋ねたのだが返ってきたのはトンでもない答えだった。

「ええ。何者かが情報をリークしているようです。現在調査中ですが、中々手強く確信にまでは至れていません」

 内務省のドンである阿部が話を引き継ぐ。

「これにより夢幻会を警戒し解体を目論む者が出る傍らで、夢幻会を公式な機関として登場させ、法の枷をはめるべきと考える者も出始めています」

 会合でざわめきが広がる。

「今後、我々はそういった面々とやりあいつつ、諸外国ともやりあわなければならない、そういうことですか」
「はい」

 これにはあちこちからため息が漏れる。
 会合出席者も自分達が警戒される理由は理解できる。超法規的な秘密結社が国を牛耳るというのは良識ある人間からすれば恐怖そのものなのだから。 だが感情では不満もある。自分達は国のために尽くしてきた。それにも関わらず警戒するとは……そんな怒りをもつ人間もいた。
 様々な意見が出る中、嶋田は一人目を瞑っていた。彼の脳裏には、本来は生まれるはずの無かった戦艦『大和』の姿があった。
嶋田は目をつぶり考えを巡らせる。

(史実では大戦後に消えていった戦艦が、この世界では生き残るか……今後、我々の前に立ちふさがる可能性がある国は、それなりの海軍力を持っているからな)

 戦後世界における日本の仮想敵はドイツ、ソ連、イタリア、フランス、イギリスだ。このうち、後半の3ヶ国はそれなりの海軍力を持つ国であり、それこそかつての世界の冷戦構造と異なる点だった。
 そして相手の水上艦隊を完全に封殺できる規模の空母機動部隊を保有できない以上、水上打撃部隊が必要となるのは当然の流れだった。

(あの戦艦は、『大和』は夢幻の彼方に消えた『史実』と呼ばれた世界の終焉を告げるものなのかも知れないな)

 嶋田は思わず苦笑いすると目を開けて、独白するように言った。

「……目覚めの時なのかも知れませんね」

 この台詞を聞いた何人かが振り向くが、嶋田は気にせず続ける。

「夢は覚めるものです。夢幻はいつか消え、現実が始まる。そういうことです」
「この世界にとって、我々の存在が夢幻であるかのように、この集まり自体が、我々の夢のような存在であると?」
「そういうことです。そして夢は覚めるものです。これは必然なのかも知れません」

 近衛が苦笑する。

「未来を大きく変えてしまった。故に日本は変革を求められている。そして我々も我々のままでいられない。そういうことか……」
「はい。他人にたたき起こされるという憂鬱な目覚めではありますが」

 明治維新という日本という国の目覚めを助け、国の成長を支えてきた組織そのものが目覚め、眼を見開き新たな世界を歩む時が来たのだ。
 これには辻も笑った。

「ははは! 確かに、それは面白い意見ですね。物語でユメ落ちというのは、最悪な展開ですが」

 そして一しきり笑うと表情を引き締める。

「では?」
「とりあえず情報の集中、そして各派閥との調整でしょう。我々の本質はそれなのですから」
「確かに」

 永遠不変の存在は無い。夢幻会もまたこの変わり行く時代の中で、変革の波からは逃れられるものではない。
 完全引退間近であるが、最後の力を振り絞って組織の統制に勤める伏見宮は、己の後継者を見据える。

「やるのか?」
「やるしかないでしょう。いますぐ急激には変われませんが……無為に過ごすよりはよほど良いです」

 かくして決断は下され、会合へ閉幕となった。
 そして誰もが帰っていく中、辻と嶋田は少し残って酒を交わした。

「対米戦争という憂鬱な戦いの末に、憂鬱な目覚め、中々に面白い展開ですね」
「ですがやるしかないでしょう。我々に退路はないのです。あらゆる物を蹴散らし、坂の上にたどり着きました。あとは転がり落ちないように駆けるしか ありません」
「海軍も陸軍も、今後、かなり無理をしなければなりませんよ?」
「判っています。まだまだ憂鬱な生活は続きそうです」

 苦笑する嶋田。

「それに我々は、あまりに多くの罪を犯しました。その意識からは逃れられません」
「……」

 彼らがなしたのは世界史上最悪の破壊であり、殺戮だった。有史以来、どんな暴君でもなし得なかった暴挙を彼らは行ったと言って良い。世間が 何と言おうと彼らは罪人であり、彼らもまたそのことを自覚していた。

「……罪の意識さえ持たなくなったらお終いですよ」
「辻さんも罪の意識を持っていると?」
「私だって人間ですよ」

 「人を何だと思っているんです?」と辻は突っ込む。

「私は天国にはいけないでしょう。ですが私は、自分が天国に行くためにこの国を地獄に落とす真似は絶対にしません。たとえ悪魔とも悪鬼羅刹とも 言われようとも、やるべきことはやります」
「やれやれ、貴方はどんな前世だったんです?」
「想像にお任せしますよ。まぁただ、一つ、無念があったのでしょうね。志半ばで……」
「……」
「それで嶋田さんはどうします?」
「辻さん、正直言って、私は貴方を好きにはなれない」
「……はっきり言いますね」
「貴方の過去の言動を振り返ってください。でも、私はだからと言って、仲間や国のために努力する人間を見捨てるほど薄情ではありません。それに 自分の仕事を放り出して逃げる真似もしたくない」
「嶋田さん、貴方、前世でいつも良い人で終ってませんでした? または同僚の残業に良く付き合ったとか?」
「……余計なお世話ですよ」

 そういうと二人は笑った。

「まぁもう少し気を楽にして仕事に取り組んでいこうと思います。仕事の能率を下げないために、そして残りの人生を少しは楽しむためにも、ね」
「応援しますよ。嶋田元帥のセカンドライフを」
「ははは……嫌な予感しかしませんよ?」

 そして先の見えない未来との憂鬱な戦いに挑む男達は笑いあった。一人は少し乾いた笑みを浮かべていたが、それでも笑った。

「さて、それでは始めましょうか。前世にとらわれない、我々の本当の歴史を」

 こうして『史実』が終わり、『歴史』が始まる。








 あとがき
提督たちの憂鬱、最終話をお送りしました。
戦後の話は外伝になると思います。漸く肩の荷が下りた気分です。
史実の反省を基にした戦略によって本来なら生まれるはずが無かった戦艦『大和』。
日本の異名を名前に頂く彼女の誕生は、この世界の日本が史実と完全な決別を果たしたことを意味し、同時に『史実』という夢の終わりを 告げるものでした。仮想戦記らしく活躍させようかと思ったのですが、本編はこのような形での登場となりました。
つくづく変わった仮想戦記です(苦笑)。
書き始めて実に3年以上……我ながらよく続いたものです(汗)。色々とありましたが何とか完結しました。
これもひとえに皆様方の支援の賜物と思っています。
3年もの長きに渡り、読んでくださりありがとうございました。



2013年7月3日:大和型戦艦について変更を実施しました。またそのため本文の改訂も実施ました。
これは最初の大和型を提案した方が、突如、大和型を否定した上にストーリーの変更を要求してきたためです。
(一時的な更新停止になったのもそのためですが(苦笑))。
このため再度、コンペを実施し、yukikazeさんの案を採用させていただきました。



大和型戦艦
基準排水量=85,000t
全長=295m 全幅=41m
主機出力=オールギヤードタービン4基4軸・248,000HP
最大速力=29.5kt   航続距離=18kt/15,000海里
武装
50口径41cm砲 3連装 4基(前部2基 後部2基)
60口径12.7cm両用砲    単装 8基(舷側4基づつ)
50口径7.6cm速射砲    連装 12基
9式連装ミサイル発射機 6基(両舷3基づつ)
他小火器多数
艦載機    回転翼機6機
舷側装甲-主装甲帯400mm(20度傾斜+51mm対ミサイル/被帽破砕装甲)
甲板装甲-装甲甲版200mm(最厚230mm)
砲塔装甲-前循660mm、天蓋330mm、バーベット560mm
司令塔-600mm