メキシコ政府内部の内通者から持ち込まれた『メキシコ軍強硬派がアメリカ風邪拡散を目論んでいる』という情報は 日本帝国政府を驚愕させた。何しろここまで痛めつけられれば負けを認めるのが普通だからだ。この事態に対処するために 夢幻会は急遽会合を開いた。ちなみに海相である山本もこの緊急会合に出席を許され、海軍閥の人間として嶋田の横に座っていた。

(これが夢幻会の会合か……)

 村中の情報からある程度のことは知っていたが、それでも自分が『会合』に参加できたことは大きな意味があった。

(宮様、近衛公、陸海軍の重鎮、辻蔵相と日本銀行の面々、中央情報局の局長、内務相の阿部、外務省からは切れ者と言われる白洲。 民間からは三菱、倉崎が参加か。まさに帝国の中枢だな)

 日本政財軍の中核を担う者達が一堂に集まる光景はある意味、壮観だった。
 しかし集まった者達の顔色はお世辞にも良いとはいえなかった。

「……連中、気でも狂ったか?」

 臨時会議で近衛は呆れた顔をした。一方、辻は肩をすくめる動作をする。

「まだ強硬派の会議室の中の主張でしかないのが救いでしょう。尤も彼らの前歴を考えると楽観は出来ませんが」
「ふむ……強硬派の排除が必要になるな。しかしメキシコに陸軍を送るにしても相応の準備が必要になる。ましてメキシコ全土を 制圧するとなるとかなりの困難が予想される」

 杉山は田中局長に顔を向ける。

「強硬派の頭目とされるダビット少将。この人物の排除は?」
「即座に排除するのは難しいと言わざるを得ません」
「時間を掛ければ可能と?」
「ですが問題は時間がないことです。現状で手を拱いていれば、彼らは本当にアメリカ風邪を手にして世界を脅迫する 愚挙に出るでしょう」

 この言葉に多くの人間が顔を顰める。だがその中で伏見宮、嶋田、近衛、辻の4人の面々は内心で苦笑していた。

(ロングと言い、ガーナーと言い、これが歴史を改変したツケか。いや今回の場合、相手が史実では完全に無名な人物なだけ、 歴史が史実知識が当てにできない方向に向かい始めていることが判るな。今回の問題は、我々が今後相対するであろう 困難の数々、その第一関門と考えたほうが良いだろう)

 嶋田からすれば、ダビット少将は或る意味で、自分達の歴史改変の犠牲者だった。自分達が日本帝国を守るために歴史を改変 した結果、本来なら歴史に名が残ることはなかったはずの男が歴史に残る『ヒール』として登場することになったのだから。
 そして史実で完全に無名な『ヒール』の登場は、今後自分達が直面するであろう課題を象徴するものであった。

(くっくっく。我々がラスボスと思っていた『アメリカ合衆国』は中ボスでしかなく、本当のラスボスは先が見えない『未来』そのもの だったということか)

 嶋田は笑いを隠しきれなかった。近くに居た山本が嶋田の表情の変化を見て慌てて声を掛ける。

「し、嶋田?」
「すまない。少し思うところがあってね」

 そう言うと嶋田は仕切りなおして話し出す。

「メキシコには断固たる措置をとる必要がある。ここで奴らに甘い顔をすれば二匹目のドジョウを狙って同じことをする馬鹿が 幾らでも湧いて出るだろう」
「では二発目の原爆を投下すると?」
「……場合によっては『それも』必要でしょう」

 嶋田としては苦渋の判断だったが、核兵器の真の恐ろしさを知らない人間達からすればある種、妥当な判断に見えた。

「しかし強硬派のみを排除するに越したことは無い。富嶽をメキシコシティだけでなく他の主要都市の上空にも飛ばして奴らを圧迫し 連中には既に安住の地など無いことを思い知らせる」
「……彼らの切り崩しを図ると?」

 田中の質問に嶋田は頷く。

「そうです。少しでもおかしな素振りをすれば我々がメキシコの主要都市を焼け野原にできる、奴らにそう信じ込ませる。この辺りで引かなければ 全てが失われることを全メキシコ人に思い知らせれば、大半の人間は膝を折るでしょう」

 いかに日本とてメキシコ全土を焼き払うことが出来る数の原子爆弾は持っていない。しかしこれまでの信じられないほどの戦果が『日本なら』 それが可能と思わせることを可能としている。脅迫としては有効だった。
 しかしここで山本が異を唱える。

「危険すぎないか? ここは一気にメキシコシティごと敵の首魁を葬り去るほうが確実だと思うが」
「……確かに狂人が多いが、全員が狂人というわけでもないさ。それにメキシコシティまで無警告で吹き飛ばせばメキシコ人の恨みは相当の ものだ。それに強硬派も協力者を得て地下に潜ることになる。そうなれば戦後にテロが頻発する」
「ふむ……」
「勿論、これだけでは連中が折れない可能性がある。故に……化学兵器の使用も示唆する」

 この言葉に陸軍関係者が立ち上がる。化学兵器はおいそれと使用できるものではないのだ。

「本気かね?!」

 杉山の問いに嶋田は首を横に振る。

「こちらも『とりあえず』はブラフですよ。だが自分達の頭上に飛来する超重爆が新型爆弾と化学兵器を撒き、メキシコの全てを破壊できると なれば……彼らも考えを変えざるを得なくなり、ダビット少将などの強硬派がいくら騒いだところで誰も従わなくなる」

 本来なら非難されるだろう化学兵器の使用。それさえもメキシコが『世界の敵』、『人類文明を脅かす悪魔』と認定された 状況では諸外国も文句は言わない。尤も使えるからと言って『容易』に使う気は嶋田にはない。

「あとはメキシコ人に自分の手で強硬派を排除させるのが良い。いくら強硬派でも国民からの支持を完全に失えば、その 立場は維持できない。それに我々に協力してくれる者もいる。英もこの強硬派排除の工作には協力するでしょう」
「……」
「我々と欧州列強が同時に化学兵器使用をにおわせれば、より効果が期待できる」

 そう言うと嶋田は出席を許された白洲に目を向ける。それを見た白洲はすかさず頷く。

「欧州各国に加えバチカンと南米各国にも働きかけメキシコ包囲網を作るのが有効かと」

 メキシコはカトリック信徒が多い。このためローマ・カトリック教会は同地において多大な影響力を有している。彼らの力を 借りることが出来ればより大きな効果が期待できた。

(これ以上、力だけで事態を解決させてはならない)

 軍事力に頼ろうとする気風を危惧するが故に、白洲は本気だった。
 嶋田としても軍事力にすぐ頼る傾向が強まるのを避けたいため、これにすかさず同意する。だが最悪の事態に備えるのも為政者の務めだった。

「ただし最悪の事態は常に想定するべきです。二発目の原子爆弾、そして『化学兵器』の使用も覚悟しなければならないかと。陛下と臣民を 守るためにも」

 この意見に異論はなかった。だが一つ問題があった。

「しかしよいのかね? そうなれば君は大量虐殺者の汚名を被ることになりかねないぞ」

 近衛の心配も確かだった。何しろ表向き帝国の政治を独裁者として司っているのは嶋田なのだ。

「……その程度の覚悟がないのなら、最初から首相など引き受けませんよ」
「「「………」」」
「それに出来ることをやらず、逃げ出すほうがよほど非難されるでしょう。ならば、私にやれることをやるだけです。ただ家族については」
「判った。何かあった場合は必ず」
「お願いします」




                  提督たちの憂鬱 第58話




 最悪の場合に備えて連山改や連山をカリフォルニアに進出させることが決定される。しかしそこで辻が口を挟んだ。

「穏健派への『餌』も用意する必要があるかと」
「『餌』かね?」
「ええ。穏健派が仮に主導権を握るとしても、苦境のままだと結局は民心が離れる可能性が大です。現状に絶望した連中が強硬派を殉教者にして 過激な行動に出たら面倒です。何かしらの希望を彼らに与えておくのも必要でしょう」

 近衛がふむと頷く。

「……貧困はテロを生む、か」
「ええ。後腐れがないようにメキシコ人を一人残らず殲滅すれば問題など起こらないでしょうが、それをしない以上は未来への希望が必要でしょう」
「だがメキシコが仕出かした暴挙を考えると、彼らに甘い顔はできないな……」

 近衛は暫く考え込む。

「……メキシコ軍の解体と軍事力の放棄、メキシコを暴走させた者達の処分、アメリカ風邪の封じ込めへの全面協力。命令権を有する政治顧問団の 受け入れを条件にして、メキシコの名誉回復を図るというのはどうだろうか?」
「その条件で名誉回復ですか」
「彼らとて永遠に世界の敵では絶望するだろう。今回受けた汚名は、今後の彼らの行動で返上してもらうのだ。そして償いが終ったと誰もが判断 したときに軍事力の保持を認める。これでどうだろうか?」
「名誉だけで彼らが動きますかね?」
「だからこそのアメリカ風邪封じ込めへの協力だ。メキシコは幸い、アメリカ風邪で汚染されていない。後方支援基地としては十分だろう。特に カリフォルニアのような橋頭堡がない欧州列強にとっては、な」
「欧州列強を巻き込んでメキシコの経済を回復させると?」
「そうだ。まぁ今の力関係で言えば彼らは酷使されるだろうが、それでも欧州が資本を投下すれば相応の効果が生まれる。勿論、我が国もある程度の 支援は行う」
「そして不満が生まれたときに『お前達の取り分が少なくなったのは愚かな強硬派のせい』と喧伝すると?」
「大衆は誰しも犯人を捜したがるものだよ。まして自分達の生活を苦しくした者となればなお更だ。そしてメキシコ人の目は内側に向けさせる」
「分断して統治せよ、ですな」
「反対意見は?」

 近衛の意見に異論はなかった。このあと詳細な打ち合わせが行われる。そして一定の結論が出たところで伏見宮は閉会を宣言する。

「それでは臨時会合は終わりとする。諸君、ご苦労だった」

 散会する出席者達。その中で山本は嶋田に話しかけた。

「嶋田……」
「気にすることは無い。私は、『私』の役目を全うするたけだ。例え、飾り物の『独裁者』としてもだ」
「しかしそれでは」
「もう私は後には引けないんだ。だから、あらゆる犠牲を払おうとも前に進むしかない。たとえ後世からどんなに誹られようとも」

 衝号作戦を実施し、メキシコに核攻撃さえ行った当事者の一人であるが故に、彼は逃げ出せなかった。

「それよりどうだった? 初の会合は?」
「ああ、さすがに緊張したぞ。さすがは帝国の奥の院と言われるだけのことはある」
「……今日のは比較的真面目な態度だったな。普段はもう少し軽いノリもあるのだが」

 普段を知る嶋田は苦笑するが、それを気にすることなく山本は考え込む。

(国会も各省庁の事務次官同士の会議も、いや大本営すら飾りだな……夢幻会か、『ゆめまぼろし』のような存在ではなく、むしろ……)

 このとき山本の脳裏に浮かんだのは『夢幻能』だった。能の中で主人公(シテ)が神・霊・精など超自然的存在のものは『夢幻能』と呼ばれる。 山本は直感で、夢幻会の会合構成員は現のものとは『何か』が違うのではないかと感じたのだ。

(いや考えすぎか?)

 その問いに答えるものはいない。
 そして山本の疑問を他所に、日本帝国はドイツやイギリスを巻き込みながら行動を開始することになる。





 エンセナーダとベラクルスが日欧海軍によって焼き払われ、メヒカリが日本の新型爆弾によって消滅したことでメキシコ国内では 反戦感情が次第に高まっていた。これ以上戦えば他の都市も破壊されるのではないかと危惧するのは当然のことだった。さらにメキシコ軍 では日欧どころかカリフォルニア軍にさえ勝てなかったという話さえある。彼らが不安にならない訳が無かった。
 ここメキシコシティの酒場では男達が集まって今後のことを話し合っていた。

「メヒカリが消え去ったって本当か?」
「ああ。日本軍の爆撃機が投下した新型爆弾で綺麗さっぱり消滅したそうだ。おまけに生き残った人間は謎の奇病でバタバタ死んでいるらしい」
「そんな恐ろしいものを日本はメヒカリに投下したのか?」
「ああ、日本人はカリフォルニアの肩を持ってメキシコを叩き潰すつもりのようだ」

 この台詞に一人の男がいきり立つ。

「何でだ! 日本人だって俺達と同じようにアメリカ人に痛い目に合っているはずだろう!? 何で奴らの肩を持つ!?」
「カリフォルニアから目も眩む魅力的な取引を持ちかけられたんだろう」
「つまり金だと?」
「だろう。日本人からすれば、俺達は日本人の獲物に手を出す不逞の輩なのさ。たとえ同じ有色人種であっても躊躇はしない。そういう事さ」
「「「………」」」
「それと噂だが、アメリカ風邪はかなり危険なものらしい。本当にペストの再来と言われているって話もある」
「本当か?」
「ああ。俺の知り合いは命からがら旧アメリカから逃げ帰ったんだが、そいつの話だと……」

 話が進むにつれて男達、いや店員を含め周囲に居た者達も顔を青ざめる。

「そんなのがメキシコに来たらトンでもないことになるぞ」
「経済が滅茶苦茶な状態でそんな病気が流行したら、この街は死体だらけになる」

 恐ろしい未来予想図が全員の脳裏に過ぎる。

「日本は政府に対して自重を求めていたらしい。だが革命政府はそれを無視して北進した。その結果がこれさ。今じゃ日本どころか欧州さえも メキシコを世界の敵と見做している。このままだと……」

 周辺では一様に政府や軍の無能を詰る声が上がり始める。開戦前までは自分達が熱狂的に北進を支持していたという事実を横において……。

「このままだとメキシコは三等国、いやそれ以下に転落だ」
「今の政府を打倒して、新政府を樹立するべきだ! このままだとメキシコが焼け野原になる!」
「そうだ。今の政府はメキシコを破滅に導こうとしている! 連中は何で墨米戦争が起きたか理解していないんだ!」

 村中大佐がいたら「鏡を見て、自分の言動を省みろ」と突っ込むこと間違いなしの言動だったが、そんな自覚など彼らにはない。
 そんな盛り上がりを見せる酒場だったが、突如鳴り響いた空襲警報がそれに終止符を打つ。

「た、大変だ! 日本の爆撃機が!?」

 酒場に飛び込んできた凶報。それに誰もが血相を変え、店の表に出た。そして市民が指差す方向に顔を向ける。

「「「………」」」

 そこにはメキシコ軍は勿論、米軍のどの爆撃機よりも巨大な航空機が我が物顔にメキシコシティ上空を飛んでいた。迎撃しようとした メキシコ軍戦闘機はまるで追いつけず、散発的に撃たれる高射砲も、かの巨人機まで届かない。

「に、逃げろ!」

 この日、メキシコシティはパニックになった。そしてこの日を境に同様のパニックがメキシコ各地で繰り広げられることになる。
 そう、日本帝国軍は上層部の決定に従って、各地で示威行動を開始したのだ。
 ハワイからは富嶽が連日、メキシコの主要都市上空に飛来し、その巨体でメキシコ人を威圧した。メヒカリが消滅したという話は 報道管制が行われて報道されていなかったが、過去の権力者達をもってしても止めることが出来なかった庶民の情報伝達手段である 口コミによってその情報は広がっていた。さらに日英の諜報員達はメヒカリが消滅したという情報の拡散に務めていた。
 このためたった1機の爆撃機が出現しても、メキシコ人は大混乱に陥ったのだ。
 そして混乱するメキシコ人達の様子を、一人の男が寂れたボロ宿の窓際から冷めた視線で眺めていた。

「騒がしいことで」

 トレンチコートを着た男は外の混乱振りをそう切って捨てると、室内に視線を向ける。
 視線の先、部屋の奥に置かれたソファーに座っていた男は、苦笑しつつも同意するように頷いた。

「まぁこの調子なら仕事はしやすい。で、我らの『友人』はどうでしたか?」

 この問いにソファーに座っている男が答える。

「自分の財布の中身が傷まないか、ああ、それと将来の食い扶持を心配している。何しろ『色々』と不幸が続いている上に、自宅が 害虫のせいで崩壊の危機。修繕だけでも大変だそうだ」
「我々もそこまで余裕があるわけではないが、金庫番も友人の頼みとなれば多少は財布の紐を緩めるそうです。しかし元の原因である害虫を 駆除できなければ意味が無いとも。何しろ害虫の被害を受けた隣人の手前もあるので」
「承知しているそうだ。害虫の親玉を丸裸にする掃除は進んでいる。デカイ鳥を見て害虫共が逃げ出しているからな」
「なるほど。害虫でも鳥を怖がる知性はあると?」
「ああ。それにあの鳥が落とす『糞』は凶悪だからな。落ちた場所は、害虫でも臭くて近寄れないほどだ」
「ほぉ」

 コートの男、いや村中大佐は意外そうな顔をする。

「あの『糞』が落とされると家も傷む。これ以上は勘弁して欲しいと言っている」
「害虫が駆除できれば自然と来なくなるでしょう。しかしこのままだと糞だけではなく、小便も家に落ちることになるでしょうな」
「何?」

 村中は男に近寄って小声で耳打ちする。すると男は真っ青になった。

「ば、馬鹿な。そんなことが……」
「他の家々も、いや南の住人達も動き出しています。このままでは彼らに将来は無い」
「………」
「今を生きる同胞のため、そしてこれから生まれてくる子供達の未来を守るためにも、友人の活躍を期待しています。勿論、支援が 必要なら可能な限り行います。何、あの鳥は臭い糞を落とす以外にも使い道はあります」
「……」

 沈黙する男に、村中は封筒を渡した。男は封筒を開けて中の書類を確認する。

「こ、これは……」
「我々が出来る譲歩です。条件は厳しいですが、今よりはマシになるでしょう。ああ、勿論、これは我々の旧大陸の友人達にも根回ししています」
「信用できるのか?」
「我々が約束を違えたことがありましたか?」
「……判った。感謝する」

 そういうと男は部屋を出て行った。そして入れ替わるように、村中の部下が入ってくる。

「客人は帰られました」
「そうか」

 そう言うと村中は再び外の様子を見る。彼の居る場所は『友人』の番犬が守っているために安全だが周囲はそうはいかない。

「ふん。混乱に混じって略奪か」
「軍が出動するのも時間の問題でしょう」

 村中はメキシコ人を嘲るように唇を軽く吊り上げる。

「選挙で選ばれた人間がメキシコを一度滅ぼし、そして傀儡を倒した者達が熱狂のまま動いて再びこの国を滅ぼそうとしている。 そして国民は政府と軍に全ての責任を押し付けようとする。自分達が北進を主張したことも忘れてだ。全く、この国は良い前例になってくれた」

 自分達で支持しておいて、それが失策とわかると掌を返して政府を批判する。当人達からすれば至極当然のことだが、第三者から見れば 無責任以外の何物でもなかった。

(イギリスは国民の代表である政治家達が日本を裏切って長年に渡って築いてきた信頼関係を破壊した。アメリカに至っては頑迷な政治家が 祖国を滅ぼした。そしてメキシコは無責任な民衆の民意が国を苦境に立たせた。第二次世界大戦、日米戦争、そしてこのメキシコ戦は民主主義の 欠陥を明らかにしたと歴史に刻まれるだろう)

 民主主義を重視する夢幻会の思いを他所に、この世界では民主主義は衰えようとしていた。

「民衆の熱狂は時として国を滅ぼす。だからこそ、それを誰かが管理しなければならないのだ」
「それが多少のことで揺らぐことがなく、そして民を守ることが出来る強い政府だと?」
「そうだ。忙しくなるぞ」





 日本、そして英国の工作によって強硬派は孤立しつつあった。
 加えて日英独は人口密集地帯への無差別攻撃、それも原子爆弾のみならず、化学兵器を使った攻撃さえ仄めかし始めたことが 強硬派の孤立を加速させた。

「我々はアメリカ風邪を拡散するような行為は、絶対に認められない。それが故意であろうと無かろうともだ」

 三ヶ国からの警告にメキシコ政府上層部は震え上がった。このまま戦い続ければメキシコ人は地上から抹殺されてしまうのが 明らかなのだ。
 この日欧の意思を示すかのように太平洋側では日本海軍の空母部隊が居座り、大西洋側ではイタリア艦隊が増援として駆けつけ メキシコに圧力を加えていた。そして空からは富嶽が威圧を加えていた。

「……我々に安住の地はない、そういう事か」

 国立宮殿での会議でダビットは歯噛みした。

「アリゾナではカリフォルニア共和国軍が支援に加わったことで、我が軍は苦戦を強いられている。いずれはアリゾナから たたき出されるだろう」
「……」

 この指摘に強硬派は黙りこくった。

「各地では反政府デモさえ起きています。経済の低迷によって治安も悪化しており、一部では暴動や略奪も起きています。加えて 太平洋、大西洋で日欧艦隊が居座っているために沿岸地域で自主的に避難する人間があとを絶えません。このため内陸では避難民と 現地住民との衝突が起きています」

 この報告を聞いて穏健派は切り出した。

「もはや我が国は戦える状況ではない。一刻も早く手を挙げるべきだ」
「アメリカ風邪で脅迫すれば、今度こそ間違いなく彼らは我々を一人残らず滅ぼそうとするだろう。メキシコは完全に滅び 瓦礫と死体しか残らん。それだけは避けなければならない」

 だが強硬派はなおも粘る。

「バチカンを通じた和平は?」

 彼らは名誉ある和平に拘っていた。だがその希望は敢え無く打ち砕かれる。

「バチカンも我々の行動を批判し、旧アメリカからの撤退を求めています。我々の肩を持って仲介をすることはないでしょう」
「「「………」」」

 八方塞だった。彼らに味方する国はなく、それどころか国内からも現政権に対する不満が噴出している。反政府暴動が起こるどころか 軍内部から離反者が出るのも時間の問題だった。

「アメリカ風邪で脅迫することも出来ないと言う事か……」
「そもそも民衆の間では、アメリカ風邪に対する政府の認識が甘かったのではないかという声も上がりつつあります」
「ぐっ……」

 ぐうの音も出ない。実際、彼らの認識は、全ての物に対する認識は甘かったのだ。そして認識の甘さがこの国を滅ぼそうとしていた。

「しかしここで降伏してもメキシコは永遠に世界の敵という汚名を受けたまま生きることになる。それならば……」
「国民がそれに賛同すると思いますか? 今の状態で本土決戦など叫べば、我々が先に引き摺り下ろされますよ」
「……だが」

 ダビット達はなおもメキシコの名誉に拘った。
 彼らとてもはや勝ち目は無いことはわかっていた。アメリカ風邪を使って脅迫しようにも感染を拡大させる前にメキシコ全土を 死の大地に変えられてはどうしようもない。
 いや仮に南米で感染を拡大させても、これまでの苛烈な対応を見れば、あっさり封じ込められる可能性もある。

(連中がここまで自信を持って降伏を迫るということは、それなりの自信があるということか。それとも、我々が行動を起こす前に メキシコ人を皆殺しに出来るとでも思っているのか)

 彼とて私利私欲のためだけに動いているわけではない。彼なりにメキシコのことを考えていたのだ。しかし状況は悪化の一方だった。

(……何か、何か手は無いのか)

 会議の趨勢は降伏に傾いていた。
 強硬派内部でも動揺が広がっている。そんな中、ダビットは起死回生の手は無いか考えた。

「………」

 黙り込むダビット。そんな彼の態度を見て一人の高官が立ち上がり、特大の爆弾を投下した。

「実は昨日、私共は非公式ですが日本帝国政府と接触しました。その際に、先方から和平の条件を提示されました」
「「「?!」」」

 これを聞いて全員が立ち上がる。

「何?! どういうことだ?!!」
「そのままの意味です。日本政府は『メキシコ』が生き残る道を提示したと言うことです」

 余裕たっぷりに語る男。これを見てざわめきが広がる。

「謀略ではないのか?」
「そのルートは信用できるのか?!」
「そもそも何故、日本側と接触できるチャンネルがあると言わなかったんだ?!」

 これを聞いた男は鼻で笑う。

「向こうも話し相手は選ぶ、そういうことでしょう」
「な?!」

 あまりの言いように何人かが顔を真っ赤にするが、ダビットがそれを遮る。

「それで向こう側の条件は?」

 男は村中達から受け取った書類のコピーを出席者達に配った。
 出席者達は競うように、そして読み間違えないように熱心に配られた書類の文章を読み進めていく。だが読み進めていく 内に男達の顔が真っ赤に、或いは真っ青になる。

「軍事力の放棄に、内政への干渉を認めろだと?」
「奴らが突きつけられたハルノート以上のものじゃないか!」
「我々を植民地化するつもりか?!」

 日本帝国が突きつけた条件は、殆どが夢幻会の会合で決められたものだった。日本はメキシコに対して旧アメリカ領内からの即時撤退、メキシコ軍の解体と 軍事力の放棄、メキシコを暴走させた者達の処分、命令権を有する政治、軍事顧問団の受け入れ、今後のアメリカ風邪封じ込めへの全面協力などを 突きつけていた。

「軍事力の放棄など認めれば、我が国は三等国、いやそれ以下だぞ! 周辺国からどれだけ舐められると」

 ダビットはそう怒鳴るが、男は気にも留めない。

「かといって、世界に害を与えた組織の存続を彼らが許すとでも思いますか?」
「し、しかし」
「それに軍事力の放棄と言っても、武装警察程度の組織は存在を許されるでしょう。旧アメリカ国境を封じ込めるには相応の装備を持った 組織が必要になります。また旧アメリカ地域へ密輸を図る船舶を取り締まるための組織も必要でしょう」
「……アメリカ風邪封じ込めに協力するという名目で、軍を名前を変えて存続させると」
「その程度は認めることも出来るでしょう。交渉次第では」
「……」
「ですが、そのチャンスも今だけです。彼らも長くは待ってくれません」
「……だが交渉次第ではもっと良い条件を引き出せるのでは?」
「楽観的過ぎます。彼らもこれ以上は譲りません。それに彼らは我々の働き次第では軍事力の再保持も認めると言ってきています。これ以上を望むのは 難しいと思いませんか?」

 ダビットは苦い顔で搾り出すかのように言う。

「私の部下の墓標に汚名を刻めというのか? 彼らはメキシコのために、祖国のために死んだのだぞ!」
「メキシコと部下の名誉、どちらが重要なのですか? 尤も交渉が決裂すれば墓標を見る者もいなくなりますが」
「「「………」」」

 沈黙する出席者達。その中でダビットはいち早く口を開く。

「列強は、ドイツとイギリスはこれを認めるのか?」
「認めるでしょう。いえ日本が認めさせるでしょう。彼らが約束を違えたことがありましたか?」
「……」
「彼らは必ず約束を、契約を守ってきました。その彼らが不義理を働くと?」

 これに異を唱える者はいなかった。
 彼らが知る限り、日本は交わした約束事は必ず守ってきた。同盟も、条約も締結した以上は最後の最後まで守った。
 今回の戦いでも、先日まで憎き敵であったはずのアメリカの残滓であるカリフォルニアを支援するために、大艦隊を派遣し、超重爆富嶽と原子爆弾さえ 投入した。
 勿論、アメリカ風邪の封じ込めや西海岸の権益を守るためという目的もあったのだろう。だがそれでも彼らは『昨日の敵』を見捨てなかった。 その実績を考慮すれば日本を信用しないという答えはなかった。

「この条件で日本との交渉の席につこう」

 かくして結論は下された。
 同時にダビットは席を立ち、部屋を出て行こうとする。そんな彼を見た男はダビットに声を掛ける。

「軽はずみな行動は控えてください。何しろ貴方にはまだ仕事が残っているのですから」
「……判っている。法廷に立つ男がいなければ、非難しがいがないからな。だが」
「判っています。貴方方の犠牲は無駄にはしませんよ」
「………」

 ダビットは部屋を後にする。
 強硬派の首魁といわれた男が抗戦を諦めたことで、メキシコは和平(事実上の降伏)に向けて動き出した。
 そして西暦1943年5月17日。メキシコの事実上の降伏をもって戦争は終結し、太平洋に平穏が戻ることになる。







 あとがき
提督たちの憂鬱第58話をお送りしました。
メキシコ戦、これにて終了です。
メキシコ戦役の最後の決め手は、夢幻会というか逆行者たちが必死に築き上げた日本帝国の対外的信用でした。これまで マイナスに動くことが多かった歴史改変がプラスに働きました。まぁ衝号作戦を知る人間からすれば失笑物でしょうが(苦笑)。
でもこれが書きたかったのですよね。彼らがやったことが決してマイナスだけの作用ではなかったということを。
次回はこれまでの戦争の総決算を行い、それをもって最終回とする予定です。
それでは拙作ですがもう暫くお付き合いのほどを。
提督たちの憂鬱第59話(最終回)でお会いしましょう。