西暦1943年4月14日。大日本帝国は遂にハワイ攻略作戦を開始した。
 同時にカリフォルニア政府との連名で、日本軍がアメリカ風邪対策のため西海岸に進駐することを発表した。


「アメリカ風邪は人類にとって脅威であり、国家の垣根を越えてこの対処に当る必要がある」


 国会において嶋田は演説した。勿論、戦争の拡大を憂慮されていた陛下にも上奏を行い、了承を得た。
 仮に陛下が政府の方針に不満を持っているとなれば、政権基盤に大きな打撃を与えかねない。さらに夢幻会内部でも 動揺が広がることが十分に考えられた。


「これ以上、国内での対立は避けなければならない」


 会合の席での伏見宮の言葉に誰もが頷いた。山本五十六などの非主流派を国家中枢に迎え挙国一致体制を築いたのだ。 その状況で自分から不和の種を撒く必要は無い。
 続いて近衛が口を開く。


「日本人が北米を、白人を統治するとなれば相応の大義名分が必要。そして肺ペストに近いアメリカ風邪は絶好の口実。  非常に都合が良いと言えるでしょうな」


 日本政府は列強諸国と足並みを揃えて有史以来最悪の大災害に見舞われている旧アメリカ合衆国の市民を支援する事をことさらに強調した。
 自分達に北米に対する野心はない(表向き)と言うことで、西海岸の市民や国際世論が敵に回るのを防ごうとしていたのだ。 ただでさえ自分達は薄気味悪く見られているのに、さらに周辺国を警戒させる要素を提供する必要はなかった。
 加えてハワイ攻略と西アメリカへの進駐でも大きな大義名分、誰もが納得できる錦の旗があると非常にことを運びやすい。


「世界を守るため、となれば兵士の士気も鼓舞できるし、犠牲者が出ても言い訳が出来ます。
 何しろ悪いのは全てアメリカ風邪を開発した旧米国。そして津波の後も詰らない面子や意地で戦争を継続し被害を拡大した 臨時政府と言えますし」


 辻の言葉は非情であるが真実だった。
 戦争の決着がほぼ付いたにも関わらず、悪戯に犠牲者がでるのは好ましくなかった。戦死者が出たのは日本だけでなく人類を 守るためだったと言えば後世においても非難される可能性は無くなる。
 尤も本当に戦争を継続させアメリカを崩壊させようとしていたのが夢幻会であることを知っていたのなら、彼らの言い訳など 空々しく聞こえるだろうが、一般大衆はそれを知らないから問題なかった。


「では今後も北米西岸への梃入れをするということで?」


 嶋田が確認するように尋ねると、誰もが頷いた。杉山や東条あたりは渋い顔をしていたが……。


「あれだけカオスな世界だと軍政に定評のある今村を当てるしかないな」

「でしょう。全くアラスカ併合でも頭が痛いというのに」


 連邦政府の完全崩壊と内戦突入、欧州連合軍による北米侵攻、さらにカリフォルニアの降伏と言うインパクト抜群の出来事の数々によりアラスカ準州政府は 日本に膝を屈した。
 白人国家であるカナダへの併合を願うもそれも適わず、さらに日欧が反論しようがない大義名分の下で動き出したために抵抗することもできなかった。
 尤も日本としては補給の問題もあるので、アラスカへ大規模な派兵はすぐには行えない。


「ここでハワイ攻略部隊による示威行為が重要になるでしょう」

「大鳳型空母、そして富士型超重巡洋艦の初陣が見世物とは……まぁあの状態で実戦投入よりはマシですが」


 嶋田はそう言って肩をすくめる。特に大鳳は最低限の訓練はしているが、期待通りの実力を発揮できるかは未知数だ。
 これだけの巨艦となれば、乗組員が慣れるまでもう少し訓練期間が欲しい、それが海軍上層部の偽らざる本音だった。


「何もかも足りない。兵も、艦も、時間も。だが、やらざるを得ない。政治がそれを求めているのだ」


 伏見宮は苦い顔だ。そして実際、彼の言うとおりだった。列強からすれば余裕がありそうに見える日本だったが実際にはかなりの背伸びをしている。 それを理解している近衛も渋い顔で頷く。


「史実では軍事に振り回された政治が、今度は軍事を振り回している。皮肉を通り越してますな」

「表向き、そうさせた男として名を残すのは私ですがね。全く……」


 こんなことなら、少将に昇進したらさっさと引退しておけばよかったと、嶋田は一瞬そう思った。だがすぐにその考えを振り払う。


(いかん。今はそんな夢想をしている時ではない)


 彼の実際の権力は独裁者というほどのものではないが、それでもその権限は広い範囲に及ぶ。そしてそれだけの力を得ている人間にはそれ相応の責任が 課せられる。そのことを彼は忘れてはいなかった。
 一方、辻は多少苦い顔をしつつも、そこまで深刻さには思っていないような顔だった。


「まぁやるしかないでしょう。我々の道を阻むものは叩き潰す。これは変わりません」

「大した自信ですね……」

「私だって結構不安を感じますよ? でも避けることはできないのなら、押し通るしかありません。
 それに日本の軍事力は史実米帝に比べれば見劣りしますが、この歴史では今のところ世界唯一の核保有国、通常戦力でも総合力では世界でも指折り。 海軍力ではイギリスを凌駕し、世界一と言っても良い。取れるオプションは多いと思いますが?」


 辻の物言いに軍関係者は少しムッとするが、辻の言っていることは事実だった。尤もそれで納得するかは別だ。
 杉山がすかさず文句をぶつける。


「言ってくれるな。こちらは広がる支配圏への対応にてんてこ舞いになるのは確実なんだが」


 満州やカムチャッカでソ連と、北米では欧州枢軸と睨みあい、混乱し火薬庫の状態である中華大陸へも備えなければならないという、陸軍からすればあまり 歓迎できない戦後予想図に多くの人間は渋顔だ。


「新たなドクトリンやそれに基づく新兵器の開発と並行して、兵士の質の底上げも行うつもりだが、数が足らないとどうしようもない」

「それを言ったら海軍だって同じですよ。文字通り太平洋全域を支配するとなると負担が大きい」


 どうやって兵力をやり繰りしようかと今から頭が痛い嶋田だった。
 

(満遍なく戦力を配置できないため、一部の要港(ハワイ等)に緊急展開用の部隊を待機させておき、現地で事が起きたら現地軍に時間稼ぎをさせて その間に急行するしかない。だがそれでも最低、4個機動戦隊は欲しいところだ……)


 しかしそれを成すには金が必要だった。


「出来れば予算はあまり削られないで欲しいのですが……まぁ無理でしょうね」

「無理です。それに戦後は軍よりも諜報機関に力を入れる必要があります。情報を制する者は世界を制すとも言います。まぁ我々は世界なんていりませんが 最低限、必要な手は打てるようにしておかないといけません」


 世界などいらない……辻のこの言葉はここにいる出席者全員が頷くところだった。世界の覇権を得ても、それを維持するとなると途方もない労力が掛かる。 史実のアメリカほどのチート国家ならイザ知らず、日本ではその労力を負担するのは難しいのだ。


「まぁ諜報機関の充実、それによる的確な情報の把握と分析を行えれば、戦力をより効率的に使えるだろう」

「それに状況そのものを動かすというのも手。アメリカやイギリスといった大国も単に力だけで世界を動かしていたわけではない」


 伏見宮や近衛の言葉に不満そうな男達も最終的には黙った。
 一方、嶋田は建造予定の大和型戦艦について思いを馳せた。


(戦艦による抑止力も確かに有効かも知れないな。何しろ空母部隊は攻撃力は高いがコストが高いし消耗も大きい。だが問題は巡洋艦などの整備か。 当面は既存艦艇の改装でお茶を濁すしかないか?)


 これから必要とされる交渉や根回しを思い浮かべて嶋田はゲンナリとするが、気分を切り換える。辻が言うように自分達はまだ恵まれているのだ。


(予算の折衝は山本も参加させよう。不幸は皆で分かち合わないと……ふふふ)


 嶋田は少しドス黒い笑みを浮かべると、伏見宮や近衛に続いて軍部を宥めに掛かる。


「確かに日本がとることができる選択肢は列強よりも多い。これで贅沢を言ったら英独ソの指導者が文句を言うでしょう。 まぁ悲観的に可能な限りの準備し、楽観的に行動する。それでいくとしましょう。悲観的に行動しても良いことはない」

「まぁ確かに……」


 こうして議論は再開される。だが、その議論に参加しつつも、辻は別の事案について気にしていた。


(最近、夢幻会派以外で何か動きがあるようだが……不明な点も多い。今、会合に諮るのは早すぎるか)


 この時点で、辻や阿部の情報網は、村中たちの動きを断片的にであるが捉えていた。尤も辻達は村中が主犯とは全く気付いて いなかった。


(戦後世界に備えた国内の改革、か。我々への挑戦、とも考えにくいが……国外の勢力が後ろ盾にいたら面倒なことになる。 探っておく必要はあるか。やれやれ諜報機関にどれだけ予算がいることやら)


 辻が諜報機関の強化を推進したのは、外国への工作だけでなく、国外からの工作を防ぐためでもあった。
 何しろ戦後、この世界の日本は史実以上に外国の諜報機関から付け狙われることになるのは目に見えている。今のところ衝号作戦の 情報が漏れる恐れは無いが、油断は禁物だった。そしてそのことを伏見宮や近衛は理解していた。


(まだまだ軍部も認識が甘いな。皇族や華族はこの手の仕事にも長けている人間が多いんだが……まぁこの手の仕事は頭が固い軍人には不向きだからな。
 宮様の寿命も近い。もう少し嶋田さんにも頑張ってもらいたいが……ふむ、海軍大臣の仕事が減った分、その手の仕事について学んでもらうか)


 嶋田が引退できる日が何時来るのか、それは誰にも判らなかった。









             提督たちの憂鬱 第53話









 ハワイ攻略部隊主力は再編された第1艦隊、第2艦隊、第3艦隊の合計3個艦隊から構成されていた。
 ハワイ沖での傷を癒したばかりの戦艦群に加え、海軍史上最大の超大型空母である大鳳や量産された祥鳳型軽空母が加わる などその陣容は先のハワイ沖海戦時のそれを大きく上回っていた。
 その編成は以下の通りだ。


第1艦隊
  第1戦隊〔長門、陸奥〕
  第2戦隊〔伊勢、日向、扶桑、山城〕
  第6戦隊〔青葉、衣笠、加古、古鷹〕
  第1水雷戦隊〔米代、駆逐艦16隻〕
  第2水雷戦隊〔宇治、駆逐艦16隻〕
  第5機動戦隊
   第5航空戦隊〔隼鷹、飛鷹〕
   第5戦隊〔愛宕、高雄、摩耶〕
   第5防空戦隊〔球磨、駆逐艦16隻〕

第2艦隊
 第3機動戦隊
  第3航空戦隊〔翔鶴、瑞鶴、瑞鳳〕
  第11戦隊〔伊吹、鞍馬〕
  第9戦隊〔那智、利根、筑摩〕
  第3防空戦隊〔川内、駆逐艦12隻〕
 第4機動戦隊
  第3航空戦隊〔大鳳、紅鳳、海鳳〕
  第12戦隊〔富士、新高〕
  第14戦隊〔吾妻、大淀、仁淀〕
  第4防空戦隊〔阿武隈、駆逐艦12隻〕

第3艦隊
 第1機動戦隊
  第1航空戦隊〔天城、赤城、祥鳳〕
  第3戦隊〔金剛、榛名〕
  第7戦隊〔妙高、最上、三隈〕
  第1防空戦隊〔那珂、駆逐艦12隻〕
 第2機動戦隊
  第2航空戦隊〔蒼龍、飛龍、龍鳳〕
  第4戦隊〔比叡、霧島〕
  第8戦隊〔羽黒、熊野、鈴谷〕
  第2防空戦隊〔神通、駆逐艦12隻〕


 かつて第1艦隊は戦艦が、第2艦隊は巡洋艦が、第3艦隊は空母が中心の編成であったが、空母の数の増加や戦術の変化に伴い第2艦隊も 空母機動部隊となっていた。
 この戦艦10隻、超甲巡2隻、正規空母7隻、準正規空母2隻、軽空母5隻を中核とした大艦隊に加え、旧遣支艦隊を中核とした揚陸部隊が 加わる。また大鳳には烈風改が、大淀型2隻には対潜ヘリが搭載されるなど艦載機も可能な限り梃入れされている。
 この質、量、ともに日本海軍史上最大最強の艦隊を率いるのは、第3艦隊司令官でありハワイ沖海戦勝利の立役者である小沢中将であった。 ちなみに第2艦隊司令官には山口中将が、第1艦隊司令官には宇垣中将が就任している。


「これほどの艦隊を率いてハワイに行くことになるとは」


 小沢は赤城の甲板でそう呟いた。
 赤城の甲板から周囲を見れば、日本海軍の軍艦が海を埋め尽くしているように見える。
 これが日本の命運を賭けた大決戦となれば、武者震いの一つでもしただろうが、彼がやるのは崩壊寸前の旧アメリカ軍に完全に引導を渡して ハワイを帝国の版図に加えること。色々と難しい任務ではあったが、ハワイ沖海戦の時のように命の危険にさらされるものではない。


「少し気が抜けるが……まぁ部下を危険にさらさずに済むのは良いことだ。彼らを早く家族のところに返してやらないと」


 小沢がそう決意していた頃、兵士達は食事をしながら、今回動員された大艦隊について話し合っていた。


「これだけの軍艦が日本にあったなんて驚きだな」

「ああ。だがこれでアメリカ海軍、いや旧アメリカ海軍も終わりさ。こちらには大義名分もある。奴らが歯向かえば朝敵扱いで潰せる」

「そしてハワイを帝国の版図に加えるか。子々孫々まで自慢できるぜ。こんな作戦に参加できたんだから」

「そうだな。この無敵艦隊の一員だったとなれば、息子への自慢話にもなる」


 『無敵艦隊』という言葉に誰もが笑って頷いた。


「20世紀の無敵艦隊」


 海軍の多くの将兵はこの大艦隊を見てそう称していた。
 普通なら「死亡フラグ乙」と言われるのだろうが、今のところ、この大艦隊に真っ向から戦える海軍はこの世界のどこにも存在しなかった。 欧州枢軸軍最大のイタリア海軍は言うまでも無く、かつて世界最大の海軍として7つの海に君臨していたイギリス海軍でさえ、この大艦隊に 対抗する術などない。
 実際、イギリス海軍はこの大艦隊と真正面から戦えば敗北は必至と判断していた。


「各地の防衛を放り出して艦隊を集結させ、基地航空隊や潜水艦と綿密な連携が取れる戦場で漸く互角といったところだな。 それでも相打ちが関の山だろうが……」


 イギリス海軍のトップであるアンドリュー・カニンガムは机上でそう呟いた。
 窮状に喘ぐイギリス海軍よりも厳しい状況に置かれ、特に水上艦艇が絶望的に不足しているドイツ海軍に至っては、この大艦隊の 存在を知ったレーダー元帥が日本海軍を羨むどころか、嫉妬さえ抱き始めるほどだった。


「我々はZ計画を考えることさえ罪のようになり、ビスマルクに代わる新型戦艦さえ配備されるか怪しいというのに……ふふふ」


 海軍総司令部で海軍総司令官レーダー元帥は不気味な黒い笑みを浮かべていた。
 一方、海軍総司令部のスタッフ達は頭を抱えていた。もしも日本海軍が本気を出せば北米に展開している艦隊は撃滅され、アメリカ軍団と本国を結ぶ か細い補給線は呆気なく遮断されることが明らかだからだ。
 ドイツ海軍ご自慢の潜水艦でも、日本艦隊を撃滅するのは不可能だった。デブの国家元帥ご自慢の空軍は対艦攻撃には向いておらず、その経験も 殆どない。つまり日本との関係が破綻した場合、北米の友軍は見捨てざるを得なくなるのが確実なのだ。


「それにしても、排水量が5万tを超える超大型空母か。ビスマルク以上の巨大空母とは信じられん」

「あの巨艦はパナマを通れないだろう。だがパナマを通れる艦だけでも十分に脅威になる」

「イギリスが態々、パナマ運河を日本と共同占領にしようとしたのはこのためか」

「日本に媚を売ると同時に、日本というプレイヤーが加えること、または加わるかも知れないと我々に思わせることで大西洋の軍事バランスを ある程度コントロールするつもりか……相変わらず狡猾な国だ」

「どちらにせよ、あの最強の艦隊を敵に回すのは避けてもらいたいものだ」


 軍人達がそんなことを考えている頃、政治家達はこの無敵艦隊の存在に加えて、先日の原爆実験で明らかになった原爆の破壊力に頭を抱えていた。


「これが日本の底力か……全く恐るべき国だな」

 首相官邸で報告を受けたハリファックスは苦い顔だった。
 英国関係者も立ち会った先日の原爆実験で、日本は全世界に対して『原子爆弾』を保有したことを宣言した。その気になれば街一つを 消し飛ばす新型爆弾を日本が手にしたという事実は英国本土だけでなく、英連邦諸国の政府関係者の顔面を蒼白にさせるには十分だった。
 特に人口が東部に集中しているオーストラリアは深刻だった。日本海軍がその気になればいつでも東部主要部を焦土にすることが出来ると 言うのに、さらにただの一発で街一つを焦土に変える新型爆弾まで日本が保有するというのだ。顔を青くしないほうがおかしい。


「ゲーム(駆け引き)にすらならないぞ」


 オーストラリア政府の感想はその一言に尽きた。アメリカは滅び、イギリス本国は当てにできないという状況で、さらに相手はいつでも 自国を抹殺できるのだ。いくら頑迷な白人至上主義者でも、この現状で日本と敵対すれば結末は滅びでしかないことは理解していた。
 彼らが現状で出来るのは、この新興の黄色の太平洋帝国を歩調を合わせることだけだった。
 勿論、彼らに対抗するのに自分達も原子爆弾を開発するべしという声もあったが……通常兵器を更新する金もない状況では、到底、そんな 金を捻出することなど出来なかった。


「これが示威行動であることは間違いないかと」


 外務大臣であるアンソニー・イーデンの言葉に、ハリファックスはすかさず頷いた。


「ああ。裏切りの代償をケチるようなことをすれば、次に裏切れば、どうなるか……そういうことだろう。そしてメキシコの牽制はその 試金石でもある、と。ふむ、件のメキシコは?」

「多少冷静さを取り戻したようですが、旧領奪還への執念は捨て切れていないようです」

「彼らは冷静な判断が出来ないのか? 日本の要請どおり巡洋艦でも送って牽制するしかないか」

「もっと強く出ますか?」

「それはドイツとも話し合ってからだ。メキシコの情勢は北米に強い影響を与えるからな」


 この後も幾つかやり取りした後、イーデンが退室する。それを見送ったハリファックスはため息を漏らす。


「全く、日本は一体、何枚のジョーカーを持っているのやら。あの『無敵艦隊』だけでも頭が痛いというのに」


 イギリスでさえ、これなのだから他の国は言うまでもなかった。ドイツではヒトラーの命令で試算された原爆開発に必要な予算を前にして 軍需大臣や財務官僚が卒倒しかけ、ソ連ではスターリンが日本から何としても原爆の情報を入手せよと関係者に檄を飛ばした。
 しかしそんなスターリンの行動とは別に、日本を仲介にして対独和平を望む一派も動き出した。


「日本が仲介してくれれば、ドイツも耳を傾けざるを得ないだろう」


 彼らは反スターリン派とも連携し、動きを活発化させた。勿論、彼らはこれまでの経緯から自分達が日本に警戒されていることを知っている。 故に日本に仲介を頼むのは高い代償が必要になることも判っていた。しかしそれでも日本に頼まざるを得なかった。


「代償は北満州の利権だけでは足りないだろう」

「極東地域を譲る必要があるかも知れません。いや最低でも極東地域に展開する軍事力を最低限にまで押さえ込む必要があるでしょう」

「あとはフィンランドだな。あの国から奪った領土の扱いも問題になるだろう」


 問題は山積みであり、その内容も深刻なものばかりだった。
 しかしそれを解決できなければソビエトは滅ぶ。そう考えた人間達は影で動いていた。そしてそのような動きを本来なら取り締まるべき NKVDのトップであるベリヤもまた、似たような考えを抱いていた。


「……ふむ」


 報告書を読み終えたベリヤは黙り込む。そこにはソ連が如何に危険な状態であるかが記されていた。それを読めばこの国がこのままでは もたないことを誰でも理解するだろう。


(このままでは我がソビエトは遠からず滅ぶ。そうなれば私は同志スターリンと一緒に破滅だ)


 スターリンが独ソ戦で下手に手打ちをすれば、今までの政策上の失敗や戦争での敗北について責任を追及する声が挙がるのは間違いない。 それが判っているが故に、スターリンは戦争を継続せざるを得ないのだ。


(この窮状を打開するには戦争を終結させるしかない。だがそれは同志スターリンの失脚と同義。そうなれば私も終るだろう。  それを避けるには鞍替えが必要だが、それも容易ではない)


 彼はこれまでの粛清の経緯から自分が恨まれていることを理解していた。


(仮に私がトップになると言っても、その後が続かないだろう。だとすれば誰かを傀儡にするか、それとも同盟を組むかだ)







 世界が動いている頃、日本海軍ハワイ攻略部隊は、殆ど邪魔されることなくハワイに向かった。
 20世紀の無敵艦隊の出撃を聞いたハワイの旧アメリカ軍将校の多くは、「遂にこのときが来たか」と半ば諦めたような表情だった。
 連日の爆撃によってすでに彼らにまともに戦う術は残されていなかった。沿岸砲台を使えば日本の戦艦に手傷を負わせることも出来る だろうが、日本艦隊を追い返すのは無理と誰もが思っていた。また心理的にも抵抗があった。


「奴らは欧州と共同で、アメリカ風邪を撲滅するために派兵するんだ。これに歯向かえば俺達は世界の敵になる」

「そうだ。もうこれ以上の継戦は無意味だ。さっさと彼らの進駐を受け入れよう」

「無為に戦い、若い者の命を散らすのはアメリカの復興を遠ざけるだけだ。今は多少の屈辱に耐えるべきだ」


 これまで徹底抗戦を唱えていた者さえ、もう抵抗は無意味と考えていた。
 日欧がアメリカ風邪対策で北米への進駐を開始することを公言したこと、アメリカ国内の有力州がそれに呼応しているという 事実が日本へ抵抗するという選択肢を奪ってしまった。
 尤も日本に敗北したという事実は変わらない。軍、特にハワイ沖で歴史に残る一方的大敗を期した旧アメリカ海軍関係者は 肩身が狭い思いをしていた。


「津波さえなければ……」


 誰もがそう無念そうに呟いた。実際、津波がなければ彼らはいずれ日本海軍と十分に戦えただろう。
 F4Fは歯が立たなかったが、F6Fは烈風ともある程度は戦えただろうし、烈風を解析することでより強力な機体を、大量に揃える ことだって出来た。アイオワ級やモンタナ級戦艦、エセックス級空母など強力な新型艦も配備できただろう。いや量産される大量の潜水艦 で日本を日干しにすることだって出来たかもしれない。だがそれらは全て夢物語で終った。何もかも儚い夢のように、夢幻のごとく消え果た。
 もう、彼らの戦争は終ったのだ。そして栄光あるアメリカ海軍の歴史も終幕を迎えた。


「「「……」」」


 旧太平洋艦隊司令部には、多くの将兵が集まっていた。尤もそこに賑やかさはなく、むしろ葬式を彷彿とさせるムードが漂っていた。
 そん中、中佐の階級章を持つ男が叫んだ。


「何故だ、何故、こうなったのだ! 神は何故、我々にここまで試練を課すのだ!! 我々が何をしたと!!?」


 敵である日本、祖国を滅亡に追いやった津波と疫病、そして自分達にこのような過酷な試練を課した神への怒りと憎悪を籠めた叫びだった。
 だがそんな中佐を止める人間も、咎める人間もいなかった。誰もが煩わしげな表情をしつつ自分の仕事のみに専念した。
 その中に、一人の将官が新たに入ってくる。


「か、閣下」


 その将官を見た瞬間、男達は慌てて敬礼する。
 敬礼された男、ハワイ沖の傷を癒して復帰したフランク・J・フレッチャーは苦笑しつつ答礼する。


(もはや、アメリカ海軍は存在しないというのに……いや、我々のハワイ沖での大敗がそれを助長させたことを考えれば偉そうには言えないか)


 米国の威信を賭けたハワイ沖海戦。それに臨み、そして敗れた男の一人であるフレッチャーはわずか3ヶ月ほど前ににあった出来事を思い出していた。
 途中で負傷して退場したとは言え、あの大海戦の様子は彼の脳裏に深く刻まれていたのだ。


(東郷の後継者達は恐るべき強敵だった。合衆国海軍の『最後』の相手としては申し分なかったということか。さて、あとは……)


 そこまで考えた後、フレッチャーは口を開く。


「諸君、彼らを出迎える準備を進めておいてくれ。我々、合衆国海軍最後の仕事として恥かしくないように」


 西暦1943年4月23日。来襲した日本艦隊に対し、オアフ島に司令部を置く旧アメリカ軍は降伏を宣言した。
 これに抵抗する部隊は皆無。こうして太平洋の要衝にして、対日戦争遂行の重要拠点であったハワイ諸島は日本の手に落ちた。


「そうか。ハワイは無血開城か」


 首相官邸の執務室で報告を受けた嶋田はそういうと、すぐに応接セットのソファーに座っていた山本に目を向ける。


「さて、あとは頼むぞ。山本海相」

「判っている。任せておけ」


 山本は海相に就任することになっていたが、ハワイ攻略戦を前にして政府を混乱させるのは拙いということで就任はハワイ陥落後と いうことになっていた。
 そしてハワイが陥落した今、彼が海相になるのに何の問題もなかった。


「しかしあのハワイが無血開城か……」


 山本は何とも言えない顔をする。


「何か問題が?」

「いやハワイ攻略というのは俺も考えていた。対米戦になれば何れはハワイを攻略する必要があるだろうと思っていた。しかし……」

「無血開城という事態になるとは思ってもいなかった、と?」

「そうだ。何しろハワイはアメリカ海軍太平洋艦隊の居城だ。相当な抵抗があると思うだろう?」

「確かに……」


 軍令部の面々、特に夢幻会派の面子の表情を思い浮かべて嶋田は頷いた。


「まぁ犠牲が少ないに越したことは無いだろう。ハワイ攻略で長期戦なんて考えたくない」

「それもそうだな……さて、次はハワイの基地施設の復旧だ。何しろミッドウェー航空隊の爆撃で基地は大打撃を受けている」


 ミッドウェー航空隊の野中一家の攻撃は、ハワイの軍事施設の多くを灰燼に帰していた。
 日本の戦略変更によってドックや燃料タンクの被害こそ押さえられたが、他の施設は甚大な被害を受けており、軍事基地としての 機能は大幅に低下している。
 西海岸に安定して進出するためには、これらの施設の復旧が必要だった。西海岸が安定しているならそこまで急ぐ必要はないのかも 知れなかったが、現在、西海岸は風雲急を告げる事態になっていたのだ。


「メキシコ軍をどうにかしないと……」


 軍令部総長でもある嶋田は、これから起こる問題に頭を抱えたくなった。


「メキシコ軍北上開始か……」


 ハワイ陥落の2日前の4月21日。メキシコ軍は遂に本格的にカリフォルニアと武力衝突に至った。
 イギリスや日本の制止を振り切って戦いを始めた彼らを食い止めるには、もはや力を持って当るしかない。


「第2艦隊、第3艦隊はすぐに支援に向かわせ、『富嶽』と空中給油機をハワイに配備する準備を急ぐ」

「第1艦隊は?」

「当面はハワイで後詰めに温存しておくのが良いだろう。順調に事態が落ち着いたなら、パナマに行かせる。まぁ全艦を差し向ける 必要はないだろうから、戦艦を何隻かと1個水雷戦隊を親善訪問させるというのも手だな」

「砲艦外交か……カリフォルニアや他の西海岸諸州、いや各国に睨みを利かせるには丁度良いが」

「我々に開国を迫ったやり方でやり返す……全く、明治の元勲達が聞いたらどう思うことやら」

「感涙の涙を流すんじゃないかな? 我が国もここまで来たか、と」


 冗談半分で言う山本に、嶋田は苦笑する。何しろ嶋田は直接、彼らに会ったことがあるのだから。


「勢力圏こそ拡大したが、内実は結構苦しい。正直、彼らから及第点を得られるかは判らないぞ」

「おいおい、この短期間で一等国どころか、列強筆頭になったんだぞ。これで落第だったら並大抵の政治家の立場が無いと思うが」

「まぁそれはそうだが……」


 夢幻会としては列強筆頭になるつもりはなど無かったのだ。むしろアメリカに次ぐNo2の座を得て、そこで旨く立ち回ることを 願っていたのだ。確かにアメリカは横暴なところが目立つが、腹が立つからと言ってわざわざ敵対するほどではない。
 むしろその金持ちの暴れん坊とうまく付き合うことで、国を豊かにしたほうが良いと夢幻会は考えていた。


(全く、アメリカが余計なことをしなければ、こんな苦労をせずに済んだものを)


 苦い顔になる嶋田。だがこれを見た山本は、これだけのことを成しても、夢幻会は満足していないのではないかと勘繰った。


(夢幻会は一体、どんな日本を、世界を夢見ていたのだ?)


 夢幻会の情報を村中経由で入手していた山本は、これまでに夢幻会が打ってきた手を知って、その評価を上方修正していた。


(彼らの政治力、政策立案能力を考えると、秘密結社である夢幻会を公的機関にするのは望ましいのかも知れない。だが不用意に その存在を公開すれば大混乱になりかねない。下手をすれば新しい権力闘争の場になる。その当りの匙加減も重要になるが……)


 ここで山本は村中の顔を思い浮かべた。


(彼らにそれが出来るだろうか? いや、むしろ夢幻会を説得して公的機関化を自主的に進めてもらうべきなのだろうか?  どちらにせよ、この問題が片付いてから考えたほうが良さそうだ)


「……今は目の前のことに全力を注ごう」

「それもそうだな」


 かくしてハワイを陥落させた日本艦隊は補給を受けた後、再び東進した。目的地は北米大陸。
 かつて仇敵であるアメリカ合衆国が存在し、繁栄を謳歌していた大地、そして今や破壊と混乱の坩堝となり、人類文明を終焉に 導きかねない可能性を持った大地へ向けて彼らは突き進んだ。













 あとがき

 提督たちの憂鬱第53話をお送りしました。
 拙作ですが最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
 さてハワイは陥落しました。火葬戦記では大抵、クライマックスで大海戦の後に陥落というのがパターンなのでしょうが 残念ながら、この世界では呆気なく陥落してしまいました(笑)。
 しかしメキシコは北上を開始し、新たな火種が生まれました。日本海軍の次の獲物(?)になりそうです。
 次回、第54話は久しぶりの戦闘であるカリフォルニア戦になる予定です。
 しかし日本軍対メキシコ軍って……誰得だ(汗)。話そのものが地味すぎて、時折、自分が書いているのが仮想戦記か どうか疑問に感じてしまいます(笑)。



 それと今回の編成表は投稿掲示板のyukikazeさんのアイデアを参考(まぁ殆ど丸々採用ですが)にさせて頂きました。 投稿ありがとうございました。
 それではこの辺りで失礼します。提督たちの憂鬱第54話でお会いしましょう。