「まぁ座ってくれ」。

 嶋田は立ち上がると、山本に執務机の近くにある応接用の椅子に座るように勧めた。そして山本が座ると、嶋田は彼の向い側に座る。


「……貴様と面向かって話をするのは、久しぶりだな」


 同期である山本の言葉に嶋田は苦笑した。何しろ山本を中央から放逐したのは他ならぬ彼だったのだ。
 さらに嶋田は首相、軍令部総長、海軍大臣の三職を兼務している。おかげで親しい人間ともプライベートで会話をする機会も減っていた。


「ああ。だがお前の返答次第では、これから話をする機会はいやと言うほど増えるだろう」

「……海軍大臣の件か?」

「知っていたのか?」


 嶋田は少し驚いたような顔をするものの、『やはり知っていたか』と心の中で呟いた。
 可能な限り情報は隠匿していたが、嶋田が戦後を睨んだ人事を考えているとの噂は隠しきれるものではなかったのだ。


「ああ。だが今更、俺が出る幕は無いと思うが?」


 太平洋戦争は中華民国の降伏とアメリカ合衆国の崩壊によって、日本の勝利に終ったと言っても過言ではない状態であり、 残っているのは旧アメリカの分割などの戦後処理だけだった。


「戦後処理だからこそ、だ。日本は勝ったが勝者ゆえにやるべきことが多い。それも面倒なことばかりだ」

「そちらにも人は居るだろうに。こっちはもう引退するつもりだったんだが?」


 冗談半分の口調で言う山本を見て、嶋田は苦笑しつつ首を横に振る。


「無理だな。お前のような軍政家はそう簡単には手放せんよ」

「貴様がそれを言うか?」


 嶋田は軍政家として名を馳せていた。またイギリスなど連合国との関係を維持して戦線を悪戯に拡大することなく、冷静に米中のみ に狙いを絞って戦争を行い短期間で戦争に決着を付けたことからも冷静な戦略家としても評価されていた。
 一時期はフィリピンを包囲に留めたことから非難されていたが、それも在比米軍が勝手に降伏したことで、合理的な戦略であったと 賞賛されるようになっていた。
 長々と書いたが、今のところ、嶋田は軍人としても、政治家としても一流との評価を得ていた。山本も確かに軍政家としては優秀との 評価であったが、今のところ比類なき実績を持つ嶋田とは比べるべくも無い。


「そうだ。俺は少なくともお前の手腕を信頼している。それに、遣支艦隊司令長官として職務を全うしている。功績としては十分だ」


 改装空母と戦時急造艦、それに旧式艦が中心の艦隊であったが、それをよくまとめ、上海攻略戦など中国沿岸部の戦いで日本軍の勝利 に貢献したことは十分に評価に値する。
 実際、陸軍からも感謝の声もあり、それが山本の復帰を後押ししたのは間違いない。


「ただ、お前に海軍大臣を任せるのに、色々と文句をつける人間もいる」

「……宮様か?」


 皇族にして海軍元帥。
 引退しても尚、海軍に強い影響力を持つ伏見宮は人事に強い影響力を持つと言われていた。そして嶋田が逆らえない 数少ない人物とも言われている。故に山本は嶋田がいう人物を正確に言い当てた。


「だったら別の人間を当てればよかっただろうに」

「簡単に別の候補は探せない。それに……今の体制が続くのは海軍にとっても良くないのは判るだろう?」

「一派閥による要職独占。これによる軋轢を避けるために、組織内の宥和の象徴として俺を使うと?」

「それもある」


 山本としてはやや腹立たしいものもあった。だが帝国と皇室を守るためにはそれも必要であるとも理解した。


「それで俺に何をしろと?」

「お前が『我々』と協力して国政を動けしていけるかどうかを知りたい。宮様、元帥閣下もそれを知りたがっている」

「『我々』だと? 宮様に忠誠でも誓えと?」


 山本は少し不機嫌そうな顔で言う。だが嶋田は真剣そのものの顔で問うた。


「そうではない。お前も噂くらいは聞いたことが無いか? 総研の背後に居る組織を」

「ああ。100年近く存続している政治結社の話なら聞いたことはある。確か……」


 ここで山本は理解した。目の前に居る男が、自身の同期であった男がどのような組織に属しているかを。


「まさか、貴様は……」

「そのまさかだ。単刀直入に言おう。『夢幻会』。それが『我々』の組織の名前だ」

「……」

「まぁ色々と噂はあるだろう。だがその実態は軍、財界、政界、官僚、技術者、芸術家……多種多様な分野の人間達が集う組織なのだ」

「………」

「そして殿下はその組織の纏め役なのだ」


 この言葉に山本は沈黙する。だが1分も経たないうちに息を吐き出すと呟くように言う。


「なるほど。昔から貴様が大蔵省に顔が効く訳がわかった。そう言う事だったのか」

「そういうことだ。だが言っておくが大蔵省を説得するのは、あの辻を説得するのは骨が折れるのは変わらんぞ。あれのせいで どれだけ胃が荒れたことか」

「ははは。確かに、あの魔王と話をするのは骨だな」


 そこで山本は口調を切り換える。


「判断するための情報が欲しい。夢幻会の目的は何なのだ?」

「……この日本を守り、そして発展させることだ。そして組織の活動は順調だった」

「では世界恐慌以降の日本の発展は」

「我々が影で動いていた。世界恐慌やそのあとの相場で荒稼ぎさせてもらった金が役に立った」


 黒い笑みを浮かべる嶋田。山本は少し顔を強張らせて尋ねる。


「まさかと思うが、世界恐慌、第二次世界大戦、そして日米戦争、これらは全て予定通りと?」

「買い被りすぎだ。全てが予定通りなら……この戦争、いや日米戦争は起きてはいないさ」


 嶋田はそう苦い顔で言うが、山本はそんな嶋田の言葉の『裏』を探ろうとする。


(第二次世界大戦の発生は予定通りということか……それなら大戦前の急速な軍拡も納得できる。 しかし日米戦争が本当に予定外と? 戦争の開始とほぼ同時に発生した津波、あれは運が良かったということか?
 ラ・パルマ島という辺鄙な島を、この大災害の原因となった火山がある島をわざわざ停戦の際に手に入れたことを考えると何かしらの情報を得ていたのでは?)


「その割には、準備が整っていたようだが? 噂の新兵器は米本土攻撃さえ可能だと聞くが」

「正面決戦だけで米国は倒せはしない。米国の心臓である東海岸の工業地帯をたたける兵器は必要だ。まぁ完成を急がせたのは事実だが」


(ふむ。イギリスを助ける名目で軍事力を拡張。さらに決戦兵器を用意していた、と考えるのが妥当か?   そして大西洋津波という絶好の好機を生かして、いや予めそれを知って外患を断つべくアメリカの挑戦に乗ったと)


 そこまで考えた直後、夢幻会からすれば途方も無い考えに山本は行き着いた。


(いや、ラ・パルマ島を手に入れてから津波の発生を予知するのは判るが、今回の場合はむしろ逆。 津波が何時起きるかの確証が欲しかったからあの島を欲したと? ふむ彼らのことだから特別な情報源があってもおかしくは無い。 そして調査の末、津波の発生時期を正確に予知し、戦争に利用したということか?)


 陰謀論そのものだが、夢幻会以外の、会合の様子を知らない第三者からすれば状況証拠が多すぎて否定できない。  何しろイギリスを助けるために軍備を拡張。そしてイギリスが停戦したおかげで戦力を太平洋に戻すことができ、 そしてアメリカが戦争を吹っかけてきたときに津波が起きた。
 こうも日本にとって有利な状況が揃っていると疑いたくもなるのが人の心情だった。
 勿論、欧州で海軍が受けた損害は少なくないが、欧州戦役に介入する名目で日本海軍は戦力を大幅に拡充出来た。この戦力が 日米戦争で役に立ったのは言うまでも無い。


(一部の人間が夢幻会の力を恐れる理由が判る)


 勝手に納得する山本。この考えを嶋田が聞いたら全力で否定することは請合いだった。











         提督たちの憂鬱 第52話










(ふむ。海相になるかどうかについては、もう少し情報を収集してから判断しても問題は無いはずだ)


 山本は熟考の末、そう結論を下して再び口を開く。


「夢幻会は何を望んでいるのだ?」

「言ったとおりだ。山本、お前が国政の実権を握る我々と手を取り合えるかどうか、だ。この戦後世界で悠長に国内で足の引っ張り合いをしていては重大な事態を招く。ゆえに挙国一致の体制が必要だ。内輪で権力争いをして国を滅ぼすわけにはいかない」

「俺以外の人間はどうするのだ?」

「様子を見て必要な人間は順次、中央に戻す。勿論、お前の要望も可能な限りは聞く」

「挙国一致で挑むつもりなんだな」

「当たり前だ。勝者になったからと言って驕り高ぶって傲慢でいられる余裕は日本には無い。それで、どうする?」

「やれやれ、俺にそこまで言うとなると、日本の内情や将来はあまり明るくない。夢幻会はそう判断していると?」


 嶋田は嘘偽りを一切言わず、はっきりと告げる。


「そうだ。少なくともブン屋が言うような薔薇色の未来ではないだろう。いや選択を間違えれば亡国、ということもあり得る」

「………」

「少なくとも、ここ数年の行動が今後100年の帝国の興亡の分岐点になるだろう」


 国家百年の計。口で言うのは容易いが、それを行うのは難しい。それを山本は理解していた。


「夢幻会だけでは出来ないとでも?」

「夢幻会の人間のみが良いように国政を操れば不満も溜まる。そうなれば国は分裂しかねない。日米戦争という非常事態では最悪の場合に備えて我々が完全に 実権を握り強権を連発したが、いつもそれができる訳じゃない」

「最悪の場合?」

「負けたときの生贄。それは必要だろう? 特に軍と政府を両方押さえて強権を振るった独裁者がいれば全ての責任を押し付けられる」

「……お前はそれを承知で?」


 国際協調派であり、日米非戦を望んでいた友人に与えられたのは日米開戦の責任者としての仕事。そして負けたときの生贄の役目であったことを 知った山本は顔を顰めた。


「ああ。だが夢幻会の人間を責めはしない。綺麗ごとだけでは国は治められないし、戦争にも勝てんよ。夢幻会の人間に会えばよく判るさ」

「全ては御国のため、か」

「そうだ。例え後世において悪魔、外道と罵られるような悪事に手を染めでも、だ。お前にそれが出来るか?
 そしてそんな茨の道を、これまでお前達を冷遇してきた我々と歩めるか?」

「………」

「勿論、無理強いはしない。熱意と献身は強制できないからな」


 「それで」と嶋田が言いかけたところで、山本はそれを遮るように口を開く。


「言いたいことはそれだけか?」

「……そうだ」


 少し目を白黒させつつも嶋田がそう言うと、山本は静かに息を吐くと静かに、そしてはっきりと言った。


「ふざけたことを聞くな」

「……」

「俺は帝国海軍軍人だ。そして帝国軍人は陛下と臣民を守るのが仕事だ。確かに夢幻会については思うところがあるだろう。 しかしそうかと言って国政を混乱させるような愚かな真似をするつもりはない。まして、己の手が汚れることを躊躇すると 思っているのか?」


 静かであったが、山本の気迫は紛れも無い本物だった。常人なら気圧されただろう。 しかし嶋田は踏ん張って何とか気圧されることなく、山本の態度、発言を振り返り、彼なりに冷静に評価していく。


(衝号を政治カードには使う可能性は低い。能力、気質、帝国と皇室への忠誠は問題ない。
だが我々の存在そのものが帝国に仇なすものと判断すれば容易ならざる敵になるな。いや衝号作戦のような外道な陰謀を独断で 推し進めた組織など脅威でしかないか。当面は協力し合えるが、事が落ち着いたらどうなることやら)


 さてさて、どうするかと嶋田は頭を回転させる。


(情報の隠匿に加えて必要以上に山本を中心とした派閥が出来ないように楔は打っておく必要があるか。他にも保険を掛けておけば 山本を海軍大臣にしても問題はないだろう。全く同じ国の人間でさえこうも対立するのだから、戦争がなくならない理由がよく判る)


 嶋田はそこまで考えた。勿論、そんな考えは決して表に出さない。彼は神妙な顔をして口を開く。


「すまなかった」


 日本帝国の宰相であり海軍の軍政、軍令のトップに立つ男は深く、深く頭を下げた。己の非礼をわびるように。


「分ってくれたなら良い。ただ、返答はもう少し待ってくれ」

「何故だ?」

「考える時間が欲しい。明日までには返答する」

「……判った」


 こうして嶋田と山本の会談は終った。だが山本はすぐには帰らなかった。


「少し、他の話でもするか?」

「そうだな」


 嶋田は久しぶりに仕事以外で軽い雑談を交わした。勿論、それは短い時間であったが嶋田にとっては気晴らしになった。


「時間も押している。それでは失礼する」


 山本がそう言って退席した後、嶋田は何時もどおり職務に取り掛かった。
 だが一方の山本は帰宅直後、予期せぬ客人を自宅に迎えることになる。


「初めまして山本大将」


 ビジネススーツとコートを着こなして現れたのは村中大佐であった。他にも海軍軍人を2名ほど同行させていた。
 山本は予期せぬ来訪者に眉を顰めつつも、3人の客人を自宅に招きいれた。何しろ村中は陸軍とは言え、大陸で多大な功績を 残した軍人であった。無碍にはできない。
 そして何より村中大佐が言った台詞が山本の興味を引いた。


「『夢幻会』について、もっと詳しく知りたくはありませんか? 海相に就任するに至って、色々と情報は必要のはず。我々なら お力になれますよ」


 この翌日、山本は海軍大臣就任を受託。これを切っ掛けとして日本は挙国一致体制に入る。
 諸外国はこの動きを見て、日本が戦後処理のために本格的に動き出したこと、そしてアメリカ亡き後の世界が本格的に到来することを悟った。








 内閣改造と並行して日本はハワイ侵攻作戦を急いだ。おかげで海軍省や軍令部の関係部署は死ぬほど忙しくなった。


「誰だ! こんな無茶な日程を組んだ馬鹿?!」

「首相兼軍令部総長兼海軍大臣(もう少しで前が付く)だろ……」

「わずか2ヶ月って。いや星一号で用意していた物資があるから何とかなるけど、それでも死ねる」


 死んだ魚の目になっている課員や官僚達を見て、さすがの嶋田も気の毒なことをしたと思ったが、状況が状況なので遠慮は出来なかった。


「ハワイへの攻撃を強化しろ。相手が壊滅寸前だからと言って手を緩めるな!」


 嶋田の叱咤激励を受けて、日本海軍はハワイへの攻撃を一段と強化していった。
 ミッドウェー、ジョンストン、パルミラの三方向からの攻撃、特に野中一家のミッドウェー航空隊による攻撃で在ハワイの旧米連邦軍は 甚大な被害を受けて継戦能力を喪失しつつあった。


「……もうお終いか」


 途絶する補給、日に日に強まる日本軍の圧力の前に、ハワイの旧連邦軍将兵の多くは項垂れた。
 さらにアメリカ各地で壮絶な内戦が始まっていることが伝わると、旧連邦軍の士気は完全に地に落ちた。ハワイ決戦と息巻いていた人間も カリフォルニアとメキシコの間できな臭い雰囲気になっていることを知ると、西海岸に帰りたがった。


「これ以上戦っても無駄だ!」

「そうだ。犬死は御免だ! それよりもメキシコとの戦いに備えるべきだ!」

「補給も碌にないのに、日本軍に勝てるわけが無い!」


 ハワイ防衛軍司令部の将校達ももはやそう言って匙を投げていた。
 ハワイ沖海戦で在ハワイの航空戦力はほぼ壊滅。残った戦力も連日の猛攻によって擦り減らされており、大半の部隊は書類上でしか 存在しないも同然だった。
 補給を受けようにも、輸送船はハワイを出た途端に撃沈されるのがオチであり、西海岸もハワイに補給を送る意思も余裕も無い。文字通り孤立無援 であった。
 加えて日本軍は米本土の惨状(国内難民の扱いや州間の対立、欧州連合軍侵攻)を喧伝するようになると、旧連邦軍同士の対立さえ発生して いった。ハワイの旧米軍は戦うことなく崩壊しようとしていた。


「これならあの沿岸砲台も無力化できるな」


 一連の報告を軍令部で聞いた嶋田は満足げに頷いた。
 報告のために総長室に訪れていた福留も、嶋田に追従するように笑うと話を続ける。


「はい。すでに沿岸の砲台については、破壊工作さえ容易です」


 この時代においても要塞化された沿岸の砲台は脅威だった。地上砲台と戦艦が殴り合えば、戦艦のほうが分が悪い。 爆撃で破壊しようとしても完全に破壊できるとは断言できないのだ。そしてオアフ島はそんな厄介な施設が山ほどあった。


「いっそ大艦隊を遊弋させてフィリピンのように降伏させられればもっと楽なんだが……まぁそれは少し楽観的すぎるな」

「さすがにそれは……それに占領するにも人員が要りますので、輸送船団も出さないと」

「判っている。どこぞの戦略シミュレーションゲームみたいに、占領地を完全に空家には出来ないからな」


 ハワイは島嶼とは言え、多くの一般人が住んでいるし面積もある。この土地を占領し支配するには相応の負担が必要だった。


「陸軍とも話をしてハワイ制圧を急ごう。欧州軍を牽制し、西海岸への橋頭堡を築くにはそれしかない」

「やっぱり行くんですか、西海岸……」


 日本海軍の実力を認識している福留は、少し顔を引きつらせる。ハワイどころか太平洋の向こう側に日本が単独で軍事力を 展開させるというのはかなりの負担だった。


「いくら米軍の妨害がないとは言え、攻勢限界点を超えています。政治がそれを求めているのでは仕方ありませんが、内陸への 深入りだけはやめてください。補給が確約できません」

「判っている。中華の泥沼を北米で再現する愚行など御免だ」

「……国民がどれだけそれを理解しているでしょうか。イケイケで北米に深入りされたら」


 大陸で泥沼に嵌る……それは日本帝国の軍人たち、特に夢幻会派の誰もが魘される悪夢であった。


「まぁそうならないように手は打ってある。安心してくれ」


 嶋田はそう言ったが、実際には世論対策は災害に頼らざるを得ないという、何とも言えないものだった。


(史実の日本軍を笑えんな)


 苦い笑みをかみ殺し、嶋田は話を続ける。


「メキシコの暴走については、外務省と情報機関が対処している。それに……イザとなれば富嶽と『アレ』を使う」

「『アレ』を市街地に落すとなれば犠牲は計り知れませんが」

「私だってアレを市街地に使いたくは無い。だが実験だけでは抑止力としては不足だ。どこかで使う必要がある」


 そう言うと嶋田は目を瞑る。


「全く、こんな仕事はリアルチート国家であるアメリカの物だったというのに。どうしてこうなったのやら」


 列強筆頭となった大日本帝国の宰相とは思えない台詞を吐く嶋田。だがそれは偽りの無い彼の本音だった。
 だが彼個人の思いなど関係なく、『公式』上では世界初の原子爆弾による核実験の準備は進められた。そして夢幻会はその 事実を隠そうとはしなかった。


「新型爆弾、いえ原子爆弾の起爆実験ですか」

「ええ。御国も興味津々なのでは?」


 帝都の某和菓子屋。その茶室で2人の男が密談を繰り広げていた。
 一人は大蔵大臣である辻。もう一人は白人男性……そう、イギリスのエージェントであった。


「いえいえ、どの国も興味津々ですよ。何しろ原子力兵器など理論はありますが実用化はまだ先と思われていました。 それをいち早く実用化するとは」

「明治維新以降、必死に師匠である先進国に学んだ結果です」

「70年で弟子が師匠を超えると?」

「青は藍より出でて藍よりも青し、という言葉が我が国にもあります。そしてお隣の支那にも」


 辻の言葉に男は苦笑した。


「ですが安心してください。別に我々は世界の覇権を欲しているわけではありません。我々がしたいのは商売。そう、この国の人間が 食べていくための」

「おや、その気になれば狙えるのでは?」

「ははは。我々はそこまで自惚れてはいませんよ。この世界は、日本人のポケットに入れるには大きすぎる」


 そう言うと辻は茶を飲んで、喉を湿らせる。


「下手にポケットに入れようとしたら、敵意や反感を買いすぎます。我々はそれは望みません。故に世界の運営を円滑に進めるために パートナーが必要なのです。ですが列強の多くは、我が国とは不仲ですから大変です」

「なるほど。それは大変ですな」

「ええ。何しろこれまで築いた友人たちは、太平洋の大金持ちに、いや『元』大金持ちに靡いたので」


 軽くジャブを入れるが、その程度では男は動揺しない。


「貧すれば貪ずると言います。で、疎遠になった友人との復縁は?」

「勿論望んでいますよ。ですが不信感は拭えません。何しろ契約を重視する師匠と違って日本人は信義を重要視しますので」


 不信感などという生易しいものではないのだが、辻はそこまでは言わなかった。


「ですが気に喰わないと言って対話を拒否するのは子供のすること。それに我々は、元友人と再び良好な関係を築いておきたい。 何しろ世界帝国であった元友人は色々と経験が豊富です。勉強になります」

「おや、まだ学ぶことがあると?」

「国の力というのは、別に技術力や軍事力だけで決まるわけではありませんよ」

「いやはや。貴方方には世界でも稀に見る優秀なシンクタンクがあるではありませんか」

「過大評価ですよ」


 それは間違いなく辻の本心なのだが、男からすれば謙遜にしか見えない。


「さて、それで復縁すると言っても、それ相応の対価が必要でしょう?」

「そちらが言う相応と、こちらが求める物。これの磨り合わせが必要でしょう。 いくら追い詰められているとは言え、出せるものと出せないものがあるでしょうし」

「おや、少しはこちらの台所事情を考えてくれるのですか?」

「ええ。我々も鬼ではありませんから」


 過去の所業を考えると、説得力が全く無い台詞を吐く辻。嶋田がこの場にいれば、戦艦の装甲並みの厚顔と評するだろう。


「『北の熊』は、商売上手な貴方に苦労させられているようですが?」

「熊さんは、もともと犬猿の仲でしたから当然のレートですよ。それに何時、敵に回るか判りませんし」

「信頼できる味方であることを示せと?」

「言ったはずです。我が国では信義が重視されると。そして、一度裏切った者は二度裏切るとも言われています。 まぁこの手の話はこの辺りにして話を進めましょう」


 そう言うと辻は本題に入る。


「メキシコが物騒になっているようです。正直、あの国が暴走すると些か面倒なことになります。折角、降伏を打診してきているカリフォルニアに 手を出されると戦後の問題が厄介になる。それに北米では数少ない無傷の地域が戦場になるのも不利益にしかならない」

「我々もそれは憂慮しています。これ以上の混乱はマイナスにしかならない」

「なるほど。それでは、我々の利害は一致している、と思っても良いのですね?」

「勿論。『旧アメリカの分割統治』については、運命共同体のようなものですから」

「ははは。それは心強い言葉ですね。それではメキシコの牽制をお願いしたいのですが。カリフォルニア軍もメキシコ軍相手なら負けはしない でしょうが、事が起きないに越したことはありません」

「残念ながら我々は旧南部諸州の相手だけで手一杯ですよ。第一波7個師団だけでも補給が大変ですから」

「別に陸軍を送れとは言っていませんよ。艦隊をメキシコの領海ギリギリに配置するだけでも事足りるでしょう。メキシコ海軍など物の数では ありません。巡洋艦で定期的に脅すだけでも効果的でしょう。事が起きても支援にはなります」

「ですがそれだと、我々だけがメキシコの反感を買うことになりますが」

「我が国も動きます。それに我々に『正義』が、メキシコ人も文句を付けれないようなものがあれば、メキシコの動きを封殺することに異論は出なくなります」

「……アメリカ風邪対策ですか?」

「ええ。欧州が支援の名目で南部に進駐したように、我々も支援の名目で西海岸へ進駐する。そう発表すれば良い。西海岸は日本の支援の 下でアメリカ風邪の防波堤となる……そう公表すればメキシコの『火事場泥棒』の行為を阻止する口実になるでしょう」

「なるほど。『人類文明の存続のため』。それを免罪符にすると」

「我々の行為は、全人類にとって脅威である疫病の拡散を防ぐための正義の行動である。そしてそれを阻害する者は人類滅亡を企図する 悪である……実に判りやすいと思いませんか?」


 それは同時にアメリカ南部で欧州連合軍へ抵抗する者たちを処断する口実ともなる。


「ほう、それではアメリカ南部での行動は全て是認されると?」


 南部では偏見や人種差別によって有色人種が悲惨な目に合っていた。ナチスが侵攻してきたという話もこれを助長している。


「ええ。どうぞ。我々は日本の味方であり、『正義』の味方ではありません。まぁさすがに日系人や日系移民の扱いを誤られると こちらも黙認できなくなりますが」

「ははは。勿論、判っています。ですがそれだけでは」

「ポーランドなどの自由亡命政府の扱い、お困りでしょう? ドイツとの関係を考えると彼らは厄介ですからね」

「……彼らを引き取ると?」

「西海岸へ進駐するのはトラブルを避けるためには白人の部隊であるほうが望ましい。そうは思いませんか?」

「北米に展開するドイツ軍と対立しかねないのでは?」

「もはや祖国への帰還すら適わない彼らが、大家に逆らうことはないでしょう。勿論、保険も掛けますが」

「ふむ」

「どうです?」

「……本国に伝えましょう」


 こうして密談は終る。そして男が出て行った後、入れ替わるように茶室に一人の男が入ってくる。


「宜しかったのですか?」

「まぁ今回はこんなものでしょう」

「……」

「手ぬるいと? ふふふ。今回の件はこれで十分ですよ。メキシコの問題で欧州を巻き込めます。それに自由亡命政府の 問題も解消できる。それも大きな恨みを買うことなく」

「そこまで大きい問題でしょうか?」

「ええ。彼らを、亡命政府を、味方を最後まで見捨てなかったという事実が出来る。 それが大きい。味方を決して見捨てない。それは大きな信用になり、混沌と化したこの世界において日本の国益に繋がる。目には中々見えませんがね」

「……」

「暴れん坊だけでは、信用は得られませんよ。ナチスドイツやソビエト、それにイギリスを信用する人間がいますか?」

「ですが我が国の国力では……」

「やせ我慢の連続になるでしょう。故に、この国をもっと強くしなければならない。それは君達、若手の仕事となるでしょう」

「難しい宿題です」

「君達なら出来ますよ。そのために必要な『道具』は用意しておきます。期待していますよ、『宮沢喜一』君」


 そして西暦1943年4月11日。マーシャル諸島ビキニ環礁において、『公式』では世界初の原子爆弾が炸裂することになる。










 あとがき

 お久しぶりです。提督たちの憂鬱第52話をお送りしました。

 久しぶりに書いたので、少し出来が心配でしたが、どうだったでしょうか?

 あと前々から指摘を受けていた改行についても改善しました。

 次回、ハワイ攻略戦(?)になる予定です。まぁもはや戦闘と言えるものかどうか……。

 それでは拙作にも関わらず最後まで読んでくださりありがとうございました。

 提督たちの憂鬱第53話でお会いしましょう。