アメリカ海軍太平洋艦隊が一方的に壊滅させられたとの情報は、世界各国を驚愕させた。

 何しろ日本海軍が駆逐艦4隻、航空機25機と引き換えに米軍の戦艦9隻、空母2隻、重巡8隻を撃沈、航空機340機を撃墜した

というのだ。誰もが最初は誤報、もしくは虚報ではないのかと考えた。だがそれが真実だとわかると誰もが日本軍の戦闘力に畏怖する

と同時に日米戦争が決着したと判断した。表向き、日本と日本人嫌いで知られるヒトラーもその一人だった。

 ヒトラーは日本海軍が海戦史上稀に見る大勝利を得たと聞いて、舌打ちしつつ、この海戦の結果がどのような影響を齎すかを

正確に理解した。


「アメリカ海軍は壊滅。これで日本の敗北は無くなったと言っても過言ではないな」


 総統官邸でヒトラーは苦い顔で側近達に語った。普段はヒトラーの意見に簡単に同意しない者たちも、今回ばかりは

ヒトラーの意見にあっさり同意した。実際、アメリカは日本に侵攻する力を失っている。再建しようにも主要ドックは津波によって

新造艦ともども瓦礫の山と化している。人的資源の消耗も著しい。

 海軍の再建が如何に大変かを身に染みているレーダー元帥は、思わずアメリカ海軍に同情した。


(アメリカ海軍を再建するには、半世紀は、いや1世紀は必要かもしれないな……)


 日本と日本海軍によって痛い目に合わされてきたドイツ海軍の最高司令官は、同じ被害者であるアメリカ海軍が他人には思えない。

 同時にレーダーは日本海軍の機動部隊や戦艦部隊を羨んだ。


(空母9隻、高速戦艦6隻を中核とした空母機動部隊、それに戦艦6隻を中心とした打撃部隊。羨ましい限りだ。それに引き換え

 我が海軍の体たらく振りときたら……)


 経済面で史実より脆弱な上、Uボート以外大した活躍をしなかったドイツ海軍の政治的発言力はお寒い限りだった。そしてその

お寒い政治的発言力を象徴するかのように、その陣容もお寒い限りだった。

 戦艦はヒトラーが無理に設計を変更して使い物にならなくなったビスマルク1隻。シャルンホルスト級巡洋戦艦は予算不足で建造

されず、空母に至っては構想すら存在しなかった。巡洋艦以下の艦艇については最低限の数を何とか取り繕ったものの、殆ど戦果を

挙げていない状況では予算の無駄扱いされる始末。独ソ戦が始まってからは、水上艦隊解体や同盟国への譲渡、第三国への売却などが

真剣に検討される程だ。

 そんなレーダーの憂鬱など露知らず、ヒトラーは話を続ける。


「さらに情報部の報告によればアメリカは経済の破綻、伝染病の蔓延によって国家体制そのものが瓦解しつつある。

 遠くない将来、アメリカ合衆国は消滅するだろう。余はこれを絶好の好機と捉えている」

「好機ですか?」


 ゲッベルスの質問に、ヒトラーは上機嫌に答える。


「そうだ。ロシアだけではなく、新大陸にもゲルマン民族の生存圏を確保する絶好の機会だ」

「「「?!」」」


 ヒトラーが語る北米分割構想。出席者達の多くはそれは夢想にしか思えない。何しろ現在独ソ戦の真っ只中なのだ。

 陸軍参謀長クルト・ツァイツラーは慌てた顔で口を挟んだ。


「で、ですが総統。現状では到底、北米に軍を派遣できません。ソ連軍は未だにしぶとく抵抗しており、ここで前線から部隊を

 引き抜けば戦線が崩壊してしまいます。それに派遣できたとしても補給を行う術がありません」

「バグー攻略を延期して、守勢に専念してもかね? 幸いイギリスは、我が国に戦略資源の輸出を打診してきている。十分な量を

 得られるとは言えないだろうが、当面の足しにはなるはずだ。あと北米での補給についてはイギリスが協力することになっている」


 この言葉を聞いて、事情を知らなかった者たちも、ヒトラーの語る計画にイギリスが咬んでいることを悟った。


「で、ですが疫病が蔓延している地域への派兵は、それに津波による被害で、北米大陸南部沿岸は大打撃を受けていますが」

「進出するのは疫病が蔓延していない地域、南部の一部だ。ここを橋頭堡にして中南米にも影響力を拡大させる」

「で、ですがそれほど広大な領土を押さえるための兵力は到底出せませんが」

「イタリア、ヴィシーフランスも協力させる。それに……今のアメリカには現体制を打破しようとする連中が多い。

 彼らの協力があれば補給の問題もある程度は解決される」


 ヒトラーの含みのある言葉に、アメリカの解体が予想以上に進行していることを誰もが悟る。

 尚も渋るツァイツラーだったが、ヒトラーは北アメリカ軍集団の編成を命じた。そしてその直後、レーダーに顔を向ける。


「元帥、いよいよ君の海軍の出番が来たぞ。イギリス海軍と並んで我が陸軍を新大陸に送り届けるのだ」


 イギリス主導で計画されているアメリカ解体計画をソ連政府はある程度キャッチしていた。


「ふん。追い詰められた帝国主義者がその本性を現したか」


 クレムリンの会議室で、スターリンはイギリスの動きを冷めた目で見ていた。外相モロトフはアメリカにこのことを

リークして米国と欧州列強の仲を裂くべきと主張した。だがソレに対するスターリンの回答は「否」であった。


「欧州列強がアメリカを解体する策略を練っている、などと知ったらアメリカは大幅な譲歩をしてでも日本と手打ちするだろう」


 モロトフはすぐにスターリンが何を恐れているのかを悟った。


「だがアメリカはすでに太平洋艦隊を失っている。ガーナーが弱気になり、講和を図ればどうなるか判らん」


 スターリンにとって日米が和平を結び、日本がフリーハンドを得るというのは悪夢でしかない。何としても日米を争わせて

おく必要があるのだが、スターリン、いやソ連には現在劣勢のアメリカを梃入れするような余力は無かった。

 下手に日本の機嫌を損なえば、何とか締結した秘密貿易協定がお釈迦になってしまう。それだけは避けなければならない。

アメリカの解体・分割に加担したとしても、アメリカ解体後に日独によって挟撃される危険性を考慮すると、簡単に手は貸せない。

何しろ日独にとってソ連は不倶戴天の敵。彼らが対ソ連で手を結ばないと考えるほどスターリンは楽観的ではない。


「全く、ここまで一方的に敗北するとは。米国人も不甲斐無い。まぁ無理も無い。あの日本人が相手だからな」


 これまで散々に自分達に煮え湯を飲ませた日本のことを思い浮かべたスターリンは、不思議と米国人が同胞のように思えた。

 そう、被害者仲間と言う意味で。


「日本の様子は?」

「嶋田政権は対米戦争を継続するつもりのようです。日本海軍が再度攻勢に出る準備を進めているとの情報があります」

「そうか。ベリヤ、モロトフ、日本に対して可能な限り対米戦争を煽るように仕向けろ。連中の目を東に釘付けにするんだ。

 それとアメリカ国内の共産シンパを使って対独、対英抵抗組織を構築する準備を進めておけ。ナチどもを出来るだけ北米に

 釘付けにするんだ」


 スターリンはアメリカを生贄にしつつ、自国の建て直しを図った。日独の目がアメリカに向いていれば、自分達が受ける

プレッシャーは少なくて済む。ソ連の為政者であるスターリンとしては当然の選択だった。


「中国共産党やホーチミンはこちらに支援を求めているようですが」

「同志モロトフ、君も祖国の現状をわかっているだろう?」

「ですがこのままでは中華地域での我が国の影響力が消滅しかねません。日本の影響力ばかり大きくなるのは……」

「ふむ……国民党と中国共産党が協力するのは可能か?」

「蒋介石と手を組むと?」

「そうだ。報告にもあるように中国共産党の弱体化は著しい。この際、蒋介石と手を組ませるというのも手だろう。

 重慶に閉じ込められた蒋介石も、このまま終るつもりは無いはずだ」


 中国共産党は中華民国による軍閥狩りによって痛めつけられた上、ソ連からの援助も削減されたために貧弱この上ない

陣容となっていた。だが国民党も負けず劣らずボロボロの状態だ。財政は破綻寸前。軍備も乏しく、ボロボロの筈の中華民国軍に

さえ敗北する可能性があるほどだ。しかしそんな苦境に追い詰められても尚、蒋介石は諦めてはいなかった。


「国共合作を行わせ、我が国の影響力を維持する。奴らには鹵獲したナチどもの兵器を回してやれ。我が軍の兵器は絶対に

 回すな。どこで横流しされるか判らんからな」

「はい」


 その後の会議は如何にして対独戦争を戦い抜くかの議題に終始した。重工業化が半ば頓挫したので工業力に乏しく、連合国からの

支援もないソ連は非常に苦しい状態にあった。人口をすり潰して何とか戦線を維持しているものの、軍需物資、民需物資の不足は

どうすることもできない。それどころか生産した兵器でさえ、カタログどおりの性能を発揮できなくなっていた。


「これは一体、どういうことだ?!」


 スターリンは激怒したが、どうしようもなかった。量と質の両面でソ連の工業力は弱体であり、精神論で何とかできるものでは

なかったのだ。最終的に担当者が数名処刑されることになったが、最終的な解決には至らない。


(いっそのこと、設計図を日本に渡して、日本で兵器を生産してもらったほうが良いかもしれないな)


 前線を預かるジューコフは半ば本気でそう思ってしまうほどだ。前線に出回る質の低い兵器群を見てきたジューコフからすれば

スペックも信頼性も高い日本製兵器は垂涎の的だった。

 だが問題は兵器だけではない。民需産業、農業生産の低迷によってソ連の国力は大幅に低下していた。日本から得られる物資だけで

不足する物資を賄いきることは難しい。スターリンは日独が北米に目を向けている間に何とか体制の立て直しを図るしかなかった。


(しかし今後、日本がどのような道をとるのか、それが問題だな……祖国の、いや世界の命運を握っているのは、夢幻会と言うことか)


 そう思っているのはスターリンだけではない。夢幻会の存在を知るイギリスも同様だった。

 このとき、夢幻会は世界でも指折りの大国の指導者が認める『世界の中心』であった。本人達からすれば不本意なことこの上なかった

だろうが……。







              提督たちの憂鬱  第44話






 英ソから注目の的となっている夢幻会。その最高意思決定機関である『会合』が夜の7時から、某料理屋で開かれていた。

 倉崎重工のビルや、普段使っている料亭にはやたらと人目が集まるようになっていたので、このたびは場所を変更したのだ。


「機密保持は大丈夫なのか?」


 普通のお好み焼き屋にしか見えない店舗を見た嶋田は、辻に心配そうに尋ねた。それを聞いた辻は笑いながら答える。


「問題ありません。この店は夢幻会有志の出資によって作られた店です。機密保持も十分です。それに今日は貸切ということに

 しています。あと、田中局長は少し遅れてくるとのことなので、さっさと始めましょう」


 辻に勧められて、出席者達は次々に席に着く。出席者が席に着き終わったのを見て辻は乾杯の音頭を取る。


「それでは、まず歴史に残る海軍の偉業に対して乾杯!」


 テーブルに置かれていたビールで、各人は乾杯する。


「お疲れ様でした、嶋田さん」


 珍しい辻の労いの言葉に、嶋田は笑みを浮かべて答える。


「いえいえ、これも全て前線の将兵達の努力の賜物ですよ。私は後方で椅子に座っていただけです」

「将兵達が実力を発揮できるように環境を整えたのは貴方ではありませんか。十分、誇っても問題ないですよ」


 辻の言葉に誰もが頷く。嶋田の努力は誰もが認めていたのだ。


「ありがとうございます。ですがこのたびの戦い、表向きは完勝でしたが、アメリカ軍の粘り強さは目を見張るものがあり

 ました。仮に米軍がさらに多くの兵力を配備していればこちらの戦艦も何隻か沈んでいたかも知れません」

「米軍、侮りがたし、といったところですか」

「はい。あれだけ弱体化させても、これだけしぶといとは思っても見ませんでした。正直、米海軍と真っ向から戦って勝つという

 のはかなりの犠牲を必要とするでしょう」


 この言葉に夢幻会メンバーは渋い顔をする。自分達が相手にしている国家が如何に強大であるかを思い出したからだ。

 そんな中、伏見宮は疲れた顔で苦言を呈する。


「それより海軍部内の取りまとめ、もう少しうまくできないのかね? 私もいい加減高齢だから、こちらにお鉢は回して欲しく

 無いんだが」

「すいません。これが中々……」

「いずれ、君が私の後を継ぐんだ。精進してくれよ」


 伏見宮はいずれ嶋田を元帥にした後、海軍の派閥を完全に引き継がせるつもりだった。そして引き継がせた後は残りの余生を

ゆっくりと過ごす気だった。第二の人生であるが故、そして大よその寿命がわかっているが故、彼は心残りが無い人生を送りたい

と思っていたのだ。尤も彼がやるとしたら萌え道の追求という嶋田には理解しがたいものだったが。


「まぁ今回の太平洋艦隊の撃滅で、現指導部の求心力はさらに高まったから、もう少しはやりやすくなるだろうが、注意したまえ」

「はい」


 嶋田は神妙な顔でそう返事をするのを聞いた伏見宮は、出席者を見渡して言う。


「それでは今後、我々がどのような道をとるべきか、話し合うとしよう」


 お好み焼きを食べながら、近衛は目下の課題である対中講和の話題を切り出した。


「中華民国との講和は前回の会合の決定どおりの内容でいきます。政治家の中には煩い連中もいますが、根回しして黙らせます。

 切り崩しは順調で、講和が本格化するころには纏まった反対派は一掃できるでしょう」


 この言葉に嶋田は安堵する。何しろ今でも対中強硬派は少なくなく、その押さえ込みにはかなりの労力を割いていたのだ。

 内陸に侵攻するべきと主張する馬鹿を相手にしなくてもよくなるというのは、嶋田にとっては福音だった。


「しかし講和会議を下関で開くとは、中々に皮肉が利いていますね。前回の下関条約では半島を中華から切り離し、この度の

 会議では中華を海から切り離す。実に良くできている」


 嶋田の言葉に、近衛はニヤリと笑う。

 この講和が結ばれれば日本は旅順−威海衛の線をつなぎ黄海への渤海からの出口を封鎖できる。舟山群島も確保できるので東シナ海

は完全に日本の裏庭と化す。そして何より夢幻会にとって美味しいのは沿岸部の占領継続など大陸へ踏み込むことなく中華勢力を封鎖

できる拠点を確保できることだ。


「福建共和国に浙江省を譲渡させれば、華南連邦に対するカウンターにもなります。おまけに食糧自給率もあがるので、今後予想

 される飢饉が起きても、日本が支援する必要が減る」

「あとは賠償金ですね。領土の割譲は最小限で済ませるんですから、最低でも10億円程度は搾り取っておかないと」


 辻の言葉に、嶋田は呆れる。


「今の中華民国の状態で、それだけの金を搾り取れますか?」

「搾り取れるか、ではなく搾り取るのです。現金一括払いが無理なら、物納でも、分割払いでも何でも良いから払ってもらいます」

「文字通り毟り取るつもりですね」

「当たり前です。帝国に喧嘩を売った以上、それ相応の償いをしてもらわないと。この戦いでどれだけ我が国が経済的な損失を

 被ったことか。10億でも補填できるかどうか」


 ぶつぶつと文句を言う辻を見て、出席者たちは中華民国の財務担当者に心の中で合唱した。


(((恨むなら、死んだ張学良とロングを恨んでくれ……)))


 だがそんな出席者達を驚かせることを辻は言う。


「ですがこれからの状況によっては、中華民国が完全に崩壊して賠償金を取り損ねる場合もありえるでしょうね」

「中華民国が崩壊? 確かに弱体化こそしていますが、そうそう簡単には潰れますかね?」


 嶋田は疑問を呈するが、大陸事情を知る杉山はあり得ると頷いた。


「地方軍閥を抑えるための、政府軍が壊滅した以上、国家自体が崩壊しないとは言い切れん。かの国はあくまでも王朝なのだ。

 清王朝が潰えたように瓦解することはあり得るだろう」

「そしてまた賠償金や借金は踏み倒そうとすると?」


 嶋田は苦い顔をするが、辻はお好み焼きを口に含みながら、ニヤリと黒い笑みを浮かべる。


「だからこそ、賠償金を支払えない兆候が見られたら、容赦なく貴重な文化遺産でも根こそぎ分捕る必要があるでしょう。

 後は分裂後に、内戦を煽り立ててさらに金や資源を搾り取り内戦で中国国内を徹底的に破壊。さらに内戦に嫌気が差した一部の

 インテリの技術者や知識層をこちらに引き込みます。これで福建共和国はかなり強化でき、かつ有力な市場にできるでしょう」


 富を搾り取り、技術を搾り取り、人材を搾り取る……搾取される側からすれば溜まったものではないが、辻としては当然の行動で

あった。特に日本にとって脅威となる大陸勢力など潰すべき存在でしかなかった。


「今はソ連も手助けしていますが、彼らも何れは潰す必要があるでしょう。そのための準備は進めておかなければ」

「弱みに付け込んで金を毟り取りつつ、さらに背後から斬る準備ですか……まぁあの国は確かに危険ですが」

「躊躇う必要はないですよ。あの国と陸戦で真っ向勝負なんて金の無駄でしかありません。ならば日露戦争の故事に倣って内部から

 突き崩すのが一番効率が良いです。ソ連崩壊後に親日国家ロシア帝国を再建すれば資源問題もクリアーできますし、敵を減らせる。

 仮にロシア帝国再興が無理だったとしてもシベリアや中央アジアの資源地帯をこちら側に引き込めればメリットは大きい。

 まぁドイツにはウラル以西を与える必要がありますが……かの国の国力、そしてイデオロギーでは統治にも苦労するでしょう。

 付け入る隙はいくらでもあります」

「ドイツも弱体化させると?」

「弱体化とまではいきませんが、これ以上東進しないように手は打つ必要はあります。私はドイツ軍とユーラシア中央でガチ勝負など

 御免ですよ。あとはイギリスですね。ソ連が日独の草刈場になるのは面白くないでしょうし……イギリス人との知恵勝負になりそう

 ですね」


 実に楽しそうに策略を練る辻を見て、さすがの対ソ強硬派の杉山も腰が引ける。


(((こいつ、女学校好きって言っているけど、実際には策略を練るほうが好きなんじゃ?)))


 そんな出席者達の内心の突っ込みを他所に、辻は話題を変える。


「まぁソ連は後回しにするとして、問題は中国、そして華僑ですね。特に後者は国際的なネットワークを持っています。

 華僑系のネットワークにも楔を打っておきたいですが、今すぐに行うというのは中々に難しいというのが状況ですね」

「辻さんでも出来ないと?」

「嶋田さん、私にだって出来ることと出来ないことがあるんですよ。

 裏社会に根を張り、ユダヤ人並に金融と情報に強い連中をどうこうするのは難しいんです。まぁ中国での出来事を喧伝して不信感を

 煽るというのも手ですが、裏の汚い仕事を引き受ける人間というのは簡単には排斥できません。それに連中は対米戦争に協力したい

 と言ってきています。あまり無碍に扱うと色々と面倒ですよ」


 辻としては華僑の蠢動を抑えたいが、華僑は対米戦争へ協力する旨を伝えてきていた。実際、華僑が強い東南アジア方面では

日本企業がその恩恵を受けつつあった。上海周辺など日本軍の占領下にある地域でも、裏社会の協力が得られるようになっている。

 これが今、失われるのは拙い。華僑への対応は時機を見て慎重に行う必要がある。


「全く油断も隙も無い連中です。何であんな悪人がこんなに世の中に蔓延っているんだか」


 辻はそう言って嘆くが、出席者達は異口同音に突っ込んだ。


「「「お前が言うな(よ)!!」」」


 全員から同時に突っ込みを受けたためか、さすがの辻も乾いた笑みを浮かべる。


「ははは、手厳しいですね。さて、それでは話題を変えましょうか。嶋田さん、軍としては今後、どうでるおつもりで?」


 辻の質問に対して、嶋田は襟を正して話し始める。


「太平洋艦隊の撃滅が完了した今、我が軍を遮るものはありません。予定通り真珠湾を粉砕した後、アラスカへ侵攻するのが

 宜しいかと。カムチャッカ半島〜アリューシャン列島〜アラスカの補給線に加え、真珠湾破壊後はミッドウェーを拠点化し

 アラスカへの補給ルートを確立する予定です」

「真珠湾の航空戦力、太平洋艦隊主力を壊滅させた以上、大した障害はないと思いますが、兵力に不足はありませんね?」

「祥鳳型4号艦『海鳳』は3月には艦隊に配備できます。既存の空母とあわせて12隻の空母、さらにパルミラ、ミッドウェー

 の基地航空隊との連携の下で、真珠湾、そして太平洋艦隊にトドメを刺します」

「原爆はどうします?」

「蜂一号作戦の成功から、真珠湾作戦で使用する必要はないと考えられます。よって通常兵器のみでいきます」


 この嶋田の言葉に、出席者は安堵する。何しろ原爆はまだ1発しかないのだ。


「世界初の原子爆弾は、きちんと爆発実験を行うのが良いでしょう。正直に言って生のデータは欲しいですし」


 辻の言葉に出席者達は頷く。核兵器は未来知識で作れたとしても、判らないことも多い。故に実際に万全の状態で核実験を行い

必要なデータを採取したいと誰もが思っていた。


「問題は放射能汚染だな」


 杉山の言葉に出席者達は顔を顰める。未来の知識を持つ彼らにとっては頭の痛い問題だった。


「日本近海でするのは拙いので、やるとしたらマーシャル諸島あたりでしょう」


 辻の意見に嶋田は苦笑する。


「史実をなぞる形ですか」

「仕方ありませんよ。日本には核実験を行えるような土地がないんですから。あとは分捕ったアラスカで核実験くらいですか。

 まぁそんな将来の話は後にしましょう。話すべきことはいくらでもありますし」

「そうですね」


 ここで軍需大臣の豊田貞次郎が疑問を呈する。


「真珠湾自体を短期間で攻略できないのですか? 真珠湾を拠点にできればアラスカへの補給もある程度は楽になるんですが」

「残念ながらハワイ攻略を短期間で攻略することは不可能です。史実の米軍があれだけの圧倒的兵力をもってしても沖縄を攻略する

 のに80日は必要としたのです。要塞化されたオアフ島、他の島嶼を制圧しようとするなら、さらに多くの時間と犠牲が必要です。

 さらにハワイを制圧するには現状では最低で6個師団が必要と考えられます。これを運ぶために必要な船舶は150万トン以上。

 長期戦になることを考慮すれば、必要となる重油も100万トンを超えます」


 現在、日本が保有している船舶量は1800万トン。世界でも有数の商船団を抱えていると言える。さらに米潜水艦の活動が低調で

輸送船の量産が順調なことから、ハワイ攻略を実行しようとすればできなくは無い。だがそれはあくまでも実行できるだけであって

作戦が成功することを意味するものではない。


「それはさすがに厳しいですね。アラスカ攻略だけでもかなりの物資を食いますから……」


 ちなみにアラスカ攻略軍である第1総軍は歩兵5個師団、戦車1個師団の6個師団編成だ。これにアリューシャン列島攻略の為に投入

される2個師団を併せると、一連の作戦だけで8個師団もの大軍が展開することになる。

 さらに占領後には弾道弾の基地を建設し、基地防衛のために多数の部隊を貼り付ける必要がある。これらの軍事行動に必要となる

船舶量は200万トンを超える。必要となる物資も途方も無い量となる。国内に備蓄されていた物資は大いに目減りするだろう。


「正直に言いまして軍需省としてはアラスカでの軍事行動の長期化は避けてもらいたいです。負担が大きすぎます」

「大蔵省も同意見です」


 この言葉に嶋田は頷く。


「判っています。ですが戦争と言うのは相手が居ますので。ですが最近、アメリカでは疫病が流行っており、経済の崩壊と相まって

 アメリカの根幹である連邦制そのものが瓦解しつつあるそうです。アラスカを落とし、五大湖を、特に臨時首都のあるシカゴを攻撃

 すれば短期決戦でことを済ませられるかも知れません」

「ふむ。確かにそう言えば、そのアメリカではスペイン風邪より凶悪な『アメリカ風邪』なる伝染病が流行っているようですね」


 辻の言葉に出席者達は顔を見合わせる。伏見宮は興味深げに尋ねる。


「バイオハザードが発生したという未確認情報は聞いているが、そこまで酷いのか?」


 この言葉に嶋田が答える。


「極めて伝染性の強い病気のようです。史実には無いものですので、自然発生したものとは考えにくいです」


 この言葉に陸軍参謀総長の杉山が眉を顰める。


「だとすると可能性として一番高いのは、米陸軍もしくは米政府研究機関が保有していた細菌兵器が流出したと?」

「情報局はその可能性が高いと判断しています。すでに感染は広がっており、東部では深刻な事態に陥りつつあります。

 正直に言いまして、我がほうの諜報員の中にも、この病気にやられた者がいます」

「何故、そんな重大事が今まで判らなかったのだ?」

「津波で東海岸一帯が壊滅していますし、現地の混乱もあって、こちらの諜報網も甚大な被害を受けているのです。

 さらに米国が必死に真実を隠そうとしていたので」

「なるほど。だが、それだけ恐るべき病気なら、アラスカに侵攻する際に防疫体制を強化する必要がある。早速準備を

 させなければならない。しかしサンプルも欲しいものだ。今後の我が軍の生物化学兵器の研究に役立つからな」


 嶋田や杉山の意見を聞いていた辻は頭を軽く振る。


「スペイン風邪での被害を考えると、あまり悠長なことは言っていられないです。莫大な予算を投下して特効薬の開発を

 進めると同時に、水際で国内への侵入を食い止める措置も必要です」

「そして世界でいち早く特効薬を開発したら、また一儲けですか?」

「勿論です。まぁあまり高値を吹っかけると恨まれるので、適正価格で売らざるを得ません。最悪の場合、多少の赤字を

 覚悟する必要もあるでしょう。これ以上、世界を荒廃させたら、世界経済が完全に崩壊してしまいますし」


 辻にとっては戦後も頭が痛い問題だった。荒廃した世界では民需品、特に軽工業製品は売れない。逆に兵器の需要が高まる

可能性が高い。仮にそうなれば民需への転換がスムーズに進まなくなる。


(やれやれ戦後も面倒なことになりそうだ……こう見ると史実日本の戦後が如何に恵まれていたかよく判る)


 辻は内心で嘆息するが、そんな時、息を切らしながら情報局局長の田中が部屋に入ってきた。


「遅かったですね、田中さん」

「すいません。急遽、緊急性の、そして重要度の高い情報が入ってきまして」


 この言葉に誰もが箸を止めて、田中を見つめた。伏見宮は落ち着いた声で田中に着席を促す。


「取りあえず座りたまえ。そして落ち着いて話してくれ。伝達漏れや誤解が無いように」


 田中はこの言葉を聞いて、気持ちを落ち着かせるとゆっくりと話し始める。それは対米戦略そのものを大きく揺るがすもの

であった。

 話を聞き終わった後、出席者達は誰もが沈黙し、どうするべきか悩んだ。沈黙に包まれる室内にお好み焼きが焼ける音だけが

響く。世界の運命を決める会議でお好み焼きの焼ける音と香りが漂うというのはシュール極まりないが、当人達は至って真面目

であった。


「太平洋艦隊が壊滅したのを見て、一気に勝ち馬に乗るつもりになった、と言うことか」


 嶋田がポツリと感想を呟いたのを切っ掛けに、会合出席者達は話し合いを再開する。


「アメリカの財界は、連邦を内部から解体するつもりか。最初は戦争を煽ったくせに、何と言う変節漢だ」

「だがメリットもある。少なくとも西海岸が独立すれば戦争は早期に終る。それに東部への押さえにもなる」

「日本が支援する西部、欧州が支援する南部、そしてズタボロの東部による北米三国志が実現しますな……何という火葬戦記」


 アメリカの解体に協力するというのは、日本にとっては確かにメリットがあった。欧州列強と日本が共同してアメリカを

解体すれば今後アメリカが復活する可能性はゼロに近くなる。アメリカを分断して憎悪を煽りたて、アメリカ人を北米に閉じ込め

ることだって出来るだろう。何より戦争を短期間で終らせることが出来る。

 だが嶋田はここで根本的疑問を抱いた。


「だが連中、どうやって南部へ侵攻するつもりだ? 大西洋沿岸は壊滅しているし、大西洋を横断した渡洋作戦なんてする

 余裕が連中に無いだろうに。というか南部沿岸も壊滅しているから占領しても無駄な気もするが」


 この言葉に杉山も頷く。


「さらに南部を押さえる以上はある程度の兵力が必要だ。今の英独にそれだけの兵力を捻出できるのか?」


 軍人達は、純粋に軍事的な側面だけで英独の戦略が非現実的だと考えた。だが辻や近衛は逆の意見を述べる。


「直接侵攻するのは難しいかもしれません。ですが世界有数の商船団を持つ英が協力し、さらにメキシコや中南米諸国を

 利用すれば可能かもしれません。それにテキサス州はガーナーの基盤で、それなりに復興しているはずです。無価値と言う

 訳でもないでしょう」

「彼らの状況からすれば、アメリカから金を取り立てるしか道は無いだろう。イギリスの腹黒振りからすればアメリカの利権を

 押さえるだけでなく、カリブ海沿岸の権益、そしてパナマ運河の権益さえ狙っていてもおかしくは無い。

 いや、実際にはそれが本命なのかも知れん」

「日本に恩を着せつつ、火事場泥棒ですか」

「何を言っているんです、嶋田さん。我々だって似たようなことをやってきているじゃないですか。彼らを非難する資格は

 ありませんよ。問題は彼ら、欧州列強、そして米財界と手を組んでアメリカ合衆国を解体するかどうか、ですよ」


 その辻の問いに、嶋田はあっさり答える。


「決まっているじゃないですか。彼らがわざわざ共犯者になりたいと申し出ているんですよ?」


 「何か異論は?」と言わんばかりに出席者達に顔を向ける嶋田。これに対して誰も反対する者はいない。ただ辻は一定の

懸念を示した。


「しかし今後、欧州列強と対立した場合、北米情勢が面倒なものになります。特に衝号作戦の真相がばれたら」


 国家に永遠の友人は存在しない。あるのは永遠の国益のみ。仮にイギリスがドイツと本格的に手を組み、北米で攻勢に出れば

面倒なことになる。勿論、そんなことにならないようにあらゆる手は打つが、世の中に絶対は無い。戦後、日本一極体制になれば

独英が協力体制を構築しないとは言い切れない。それに万が一、衝号作戦の真相がばれたら米国を統一した上で大西洋沿岸諸国が

復讐してくる可能性が高いと辻は読んでいた。


「幸い、活火山の活動によって調査は当面不可能です。それに地底深くで爆発させた上、機材や施設はマグマによって粗方溶かされ

 ているでしょう。残っていたとしても原型は留めていないはずです。情報についても可能な限り隠蔽しています。

 また現在の欧州諸国の情勢、そして現地情勢から当面はまともな調査は不可能でしょう。また時間が経てば経つほど調査は難しく

 なって、真相が暴かれる可能性は減ります」

「ふむ。ですが仮にばれたらどうします?」

「ばれる時期にも依ります。いえ、むしろ仮に真相が暴かれるような兆候、いえ可能性があるのであれば」


 この先は誰もが理解した。誰もが取りたくない選択肢、歴史に残るであろう史上最悪の蛮行を実行せざるを得ないことを。


「帝国の脅威となる存在は早期に、速やかに、徹底的に排除します」


 かくして大日本帝国の方針は決した。








 あとがき

 提督たちの憂鬱第44話をお送りしました。拙作にも関わらず最後まで読んで下さりありがとうございました。

 日本は欧州列強と組んでアメリカ解体に乗り出します。そして万が一に備えての準備も進めることになります。

 ある意味、ジ○ン公国並に外道です、この帝国(笑)。

 しかし会議だけでほぼ丸々1話。どんな仮想戦記だ……。

 それではこのあたりで失礼します。提督たちの憂鬱第45話でお会いしましょう。