最新鋭陸上攻撃機・天山のお披露目と帝国陸軍精鋭による軍事パレードの後、環太平洋諸国会議に招かれた国賓たちは帝国ホテルでの会食に参加した。
 ホテルの正面に立った来賓たちを日本の寺院と西洋のデザインを組み合わせたような建物、そして正面に置かれた池とそれを取り囲むように置かれた大谷石の烈柱が出迎える。

「ほう……」

 どことなく『アジア』の雰囲気を感じさせる建物に、来賓たちの何人かは相好を崩す。
 皇居の建設された帝国ホテルは総面積34000u余の巨大な建物であり、中心軸上に玄関、大食堂、劇場などの公共施設、左右に客室棟が置かれている。
 またこのホテルの建設に際しては全体の景観だけでなく、内部にもきわめて多様な秀れた空間構成がなされており、建物が如何に複雑な構造かを見る者に予感させるものとなっている。秀でているのは構造だけではなく、建物に細微に刻まれた彫刻や模様が華麗な外観を演出している。
 そしてこの建物はただ華麗だけでなく、耐震性にも優れている。実際、このホテルはレンガ型枠鉄筋コンクリート造とも言える構造であり、関東大震災にさえ耐えきってみせたほどの耐震性を誇る。
 大日本帝国が世界に誇り得る豪華ホテルと言えるが、これを設計した建築家を知る人間の中には複雑な感情を抱く者も少なくなく、嶋田もその一人だった。

(アメリカ合衆国を滅ぼした我々が、太平洋の覇権をアピールするために、アメリカ人が設計したホテルを使う、か……10年前は考えても見なかったな)

 アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計された帝国ホテルをこんな用途に使うとは思ってもいなかった……そう思った嶋田だったが、すぐに気分を切り替える。

(まぁ利用できるものは何でも利用してやろうじゃないか。われらが祖国のために)

 嶋田が見る限り、帝国ホテルの受けは悪くなかった。
 日本側が予想した通りアジアの雰囲気を感じさせる帝国ホテルの景観は、アジア出身者たちに好印象を与えている。

(帝国の軍事力を見せつけつつ、『文化的にはあなた方に近い』ということをアピールできた。日本の文化に憧れを持ってくれれば尚良いが……)

 見た目は同じ黄色人種。
 しかし日本人は列強筆頭国の国民(臣民)であり、東南アジアの住民の大半は元被支配民族という大きな溝があった。
 日本人も表向きは笑顔で東南アジア系諸国の人間を迎えているが、実際には彼らを格下と見る者が大半を占めている。日本人は一等国という自負がゆえに、他国民に傲慢な態度を取ることもある。夢幻会の各種施策の甲斐もあって、日本文化や慣習を強引に押し付ける人間は少ないが、自分たちが格上だという意識が消えることはない。

「日本は米中露を打ち破った一等国だ。ついこの間まで白人の植民地だった連中と『同格』などありえない」
「日本の金と力で解放してやったのだから、俺たちに感謝するのは当然」
「白人を追い払う力もない連中は、大人しく日本(俺たち)のいうことを聞けばいい」

 当然、そんな態度を見せられたほうは面白くない。
 損得勘定で考えれば、日本に従うしか道はないのだが、今後もその損得勘定が成り立つと断言できない。
 どんなに損得勘定で正しい選択をしても、ヒトの感情を軽視しすぎれば後々大きなしっぺ返しを受けることを理解している嶋田達としては、無暗に反日感情に繋がりかねない要素は排除、あるいは抑え込みたかった。だから日本側としては日本が『アジアの文化』の影響もうけていることをアピールしたかったのだ。
 いずれは日本の文化を各地に浸透させ、日本に対する憧れを抱いてもらうことができれば、友好関係を長期にわたり維持できるとも夢幻会は考えている。
尤も隣国については完全に匙を投げていた。

(口を噤んで、静かに座っていれば何も言うまい)

 嶋田が期待するのはただそれだけだった。
 韓国を暴発させ、それを口実にかの国を抑え込み、ウラン鉱山がある北部を大々的に開発するという政策も無くはないが、当面の間は控えたいというのが夢幻会の意向だった。
 コストの問題もあるが、ウランなどを英国から購入する姿勢を示すことで、英国と協力する利点を国内の反英派に強調できる現状を壊す価値はないと嶋田は判断していた。

(あれだけ赤字を垂れ流すのだ。せめて日英関係再構築のために貢献してもらわなければ困る)

 現時点においてイギリスへの不信感は内政面で無視できるものではない。だがイギリスが日本帝国の原子力政策に必要な資源を良心的な価格で供給することで、かなりのガス抜きになる。特に国内から得られる量が少ないとなれば尚更だ。
 中にはイギリスを殴って領土と資源を奪えばいいというものもいるが、『殴って奪うより買った方が割が良い』状況が続く限りは政策として採用されることはない。
 そしてそれはイギリスも理解している。
 だからこそ、日英は危うい協調を何とか続けられる。お互いに相手が欲するものを供給できるために。
 尤も辻は日本勢力圏でのウラン鉱石の正確な採掘量や消費量を隠匿し、イギリスに日本の意図を正確に推測させないようにすることも狙っていた。

「我々がどれだけのウラン鉱山を抱えているかを腹黒紳士に把握させると後々厄介ですから。それにかの紳士たちも我々が半ば放置していると思っている半島にウラン鉱山があるとは思わないでしょう。ウランの採掘については現状維持。情報の隠匿を最優先にするのが妥当かと」

 日本から出す情報は可能な限り絞ってコントロールする……それが辻の狙いだった。
 尤も彼が半島への投資を絞るのは、膨大な支援をしても得られるであろうリターンがあまりに少ないという理由もある。
 東南アジア諸国の多くも、将来的には英国のように日本が欲するものを供給できるようになると思われている。故に日本は彼らに投資するのだ。
 しかし韓国にはそんな期待を抱けない。例え日本が湯水のように支援して裕福にしても、「今後半世紀は足を引っ張るだけ」との予測しかない。
 故に最低限の支援で何とかしようとするのだ。これは夢幻会の総意でもある。

(さてさて、彼らがどう動くか? あれだけ釘を刺した以上、この場での激発はないだろうが……何はともあれ、イラン側特使の行動に注視だな。全く、中東は厄ネタの集積場か。どいつもこいつも面倒な連中ばかり。何で英仏のツケがこっちに回ってくるんだ。当事者だけで何とかしろよ……)

 ホスト国・日本帝国の宰相たる嶋田は次から次へと湧いて出てくる厄介ごとに頭を抱えたい衝動を抑える。

(いや、本当の禍は不意に訪れるものだ。夢の彼方に消え去った前の世界でも、今の世界でもそれは同じ。何より……我々は短兵急に物事を運び過ぎた。これによる歪みは大きい。会議の席上で、不意の凶報を聞くことも考えられる。あらゆる事態を想定しておいた方がよいだろう。迂闊に私が狼狽した素振りをすれば帝国の権威に傷をつけることになる)

 帝国ホテルで開かれるパーディー、それさえも戦場の一つであることを嶋田は改めて肝に銘じる。それでもなお、豪華絢爛な帝国ホテルを目にして思わずにはいられない。

(ああ、俺はもともと一サラリーマンだった。こちらでも、平穏な老後を過ごすのが夢だったのに……それがこの様か。おまけに死後は地獄送り確定。全く、人生は儘ならないものだな。まぁ辻なら「どうせ死んだら地獄に落ちるのですから、生きている内に楽しみましょう」と返すだろうが)

 そんな忸怩たる内心を悟らせることなく、嶋田は堂々と帝国ホテルに入っていった。



        提督たちの憂鬱外伝 戦後編29



 各国の国旗が壁に掲げられ、帝国ホテルのスタッフが腕によりをかけて用意した料理が並ぶパーティー会場において、嶋田はレセプションパーティーの開始を手短に告げる。
 耳触りの良い音楽が流れる中、諸国の代表が次々に思い思いの場所に集まって雑談に興じる。中でも嶋田や吉田といった日本帝国政府高官の周りには多くの人間が集まっており、この会議で誰が注目されているかを端的に示していた。
 その中で、嶋田は北米西海岸三ヶ国の代表たちと北米情勢について会話を交わした。戦前は日本を極東の黄色人種の小国程度しか思っていなかった面々からすれば頭を下げざるを得ない状況に多少なりとも不快感を感じるが、それを表に出すような人間でもなかった。
 彼らの内心を薄々察していた嶋田だったが、それを口にするつもりもない。むしろ彼は目の前にいるスーツ姿のマッカーサーの姿とその言論に多少の感銘を覚えていた。

「将軍の見識に敬意を表します」

 内心で「さすが生粋のエリート……」と唸るほど、マッカーサーは日本についてよく学んでいた。マッカーサーが流暢な日本語で話していたことも嶋田を驚かせた。

「世界の3分の1を席巻した国家社会主義者に『友邦と肩を並べて立ち向かう』以上、友邦のことを知るのは『当然』のこと」

 遠まわしに自分より劣る見識しか持たない人間について「肩を並べて戦う資格がない」と断じるマッカーサー。
 マッカーサーの真意を理解した人間の中には少し気分を害したような顔をする者もいたが、マッカーサーは全くに意に介さない。彼にとってこの程度のジャブで表情を変える人間など、敵手には値しないのだ。

(挑発しつつ、カリフォルニアこそが西海岸の盟主であり、日本と共に戦える同盟国であるとのアピール、いや宣言か。よくもそこまで自信に溢れた表情で言えるものだ。いや、このような人間だからこそ、彼は史実の戦後日本を統治できたのか?)

 色々と考えを巡らせつつも、嶋田は笑みを浮かべて対応する。

「将軍の薫陶を受けたカリフォルニア共和国陸軍は精鋭と聞きます」

 カリフォルニア共和国陸軍は旧連邦軍の系譜を継いでいた。
 装備こそ日本側に劣るものの、練度では決して侮れるものではない。その情報は北米派遣軍から大本営と政府に伝えられている。故に嶋田は彼らに期待を抱いていた。

(実質的に中央即応集団となった近衛師団、装甲戦力を拡充した歩兵師団、ハーフトラックの充実で漸く機械化歩兵大隊を初期の計画通りに配備できた機械化歩兵師団、併せて25個師団。これに加え戦車師団、工兵師団もあるが陸戦の基本となる歩兵が足りない。カリフォルニア陸軍がある程度、代わりを務められればこちらの負担も減る。いや減らしてもらわないと困る)

 世界的に有名になった大鳳や白鳳。世界に誇れるこの巨大空母は、その巨体に相応しい負担を日本海軍に課していた。
 一部の海軍軍人が「大鳳や白鳳は良い女だよ。引き換えに金もかかるがね」と言い、航空主兵論者が希望した大鳳型空母量産計画が没になったことからもその負担が伺える。
 巨大戦艦と言われる大和型戦艦(表向きはY型戦艦)だったが、その維持費は空母に比べれば『まだ』安いほうなのだ。おまけに戦前から就役していた戦艦の大半はここ数年で殆ど退役する運命にあるため、その方面での予算の圧縮はある程度可能だった。
 逆にジェット機への更新、搭乗員の再訓練などで航空関連の予算は増える一方(これに原潜開発、核戦力整備も加わる)。
 おかげで一部では陸軍と共に空軍を創設することも検討されたのだが、指揮系統の問題、大日本帝国憲法の問題、そして将来必要となることが判っている宇宙軍との兼ね合いなどから、第三の軍(海保を第三軍と考えると実質は第四軍)である空軍の創設には多々の困難が予想され、早期実現は困難、或いは益が少ないとの判断が下された。しかしながら、軍のコスト削減も必要であるのも事実。このため陸海軍の基地航空隊の指揮系統を統合した統合航空総隊(仮称)を創設する案が具体化しつつあった。
 陸海軍から基地航空隊が出向して統合航空総隊司令部の指揮下で軍事行動をとるようにすることで『実質的な』空軍を創設する。しかし独立した『軍』ではないので面倒な統帥権の問題は起きないし、装備の調達コストの低減、戦訓の共有を今まで以上に効率的に進められる……妥協案とも言えるこのプランに賛同する人間は急速に増えており、数年内に実現するのではないかと言われるようになっている。
 尤も宇宙軍と空軍(前身(予定)は統合航空総隊(仮))を併せた航空宇宙軍の創設と聞いた夢幻会の一部の面々は「爆雷をよく使いそう」、「負けフラグ?」などと言う者 もいたが……。
 何はともあれ、日本陸海軍は夢幻会主導の下、コストの圧縮に努めていた。

(多少の出費は構わないから、北米西岸諸州が役に立ってくれれば……いや、ハースト達の初期の構想通りに西海岸が一丸として独立してくれていれば……)

 尤も日本海軍がハワイ沖海戦で米太平洋艦隊が完膚なきまでに打ち負かし潰滅させたことが、アメリカ早期崩壊の一因であることを考慮すると嶋田たちの自業自得でもあった。
 そのことを当事者である嶋田も自覚していた。それでもなお、「もしも」を思わずにはいられないのがヒトの性なのだ。どんなに意味がないと判っていても。
 そのような状況故に、自分たちの負担を軽くしてくれるかもしれないカリフォルニア共和国陸軍に嶋田は期待を寄せることになるのは当然の流れだった。
 そんな嶋田の称賛に満更ではないという顔をしつつマッカーサーは口を開く。

「いえいえ、大日本帝国陸軍には及びません。パレードの雄姿を見れば、無敵皇軍と貴国のマスメディアが豪語するのも納得です」
「無敵とは大袈裟というものです」
「ドイツ陸軍を梃子摺らせたソ連軍を打ち倒せる軍……過小評価ではないでしょう。加えて貴国の海軍力と空軍力はドイツを遥かに凌駕しています。我が国の海軍など比較になりますまい」 「まぁそれは国情を考慮すれば仕方ないでしょう」

 慰めるように言う嶋田。しかし彼はカリフォルニア海軍の現状について落胆していなかった。
 カリフォルニア共和国海軍は、旧米海軍太平洋艦隊と比較にならない程縮小しているが、嶋田としては日本海軍の後方支援が出来れば十分と判断していた。

(魔法の壺でもないとかの国で大規模な海軍は維持できないだろう……というか、そんな魔法の壺があったら、俺たちが欲しい。はぁ〜20万トン以上の巨大戦艦と並行して大鳳型以上の空母を量産したり、大災害で人口激減しても高性能の艦載機を開発して史実以上の大艦隊揃えたりできる力が俺たちにあればな……いや、むしろそれだけの金と物があったら、もっと別のことに使えそうだ)
 
 そんな嶋田の思いをよそに、マッカーサーは再び口を開く。

「兎にも角にも、『補給が万全』の状態で貴国が独と戦えば勝利は確実でしょう」 

 『補給』……やや強調されたその言葉に嶋田は「工業力がある程度整えられている西海岸の売り込み」と判断する。

「補給の重要性は我々もよく認識しています。策源地の重要性も」
「それは心強い。旧暫定政府では、補給を無視して将兵に犠牲を強いる文官が多く、前線の将兵に多大な犠牲が出ましたから」

 マッカーサーの『軍事に無知な文官に対する嫌味』に嶋田も苦い笑みを浮かべる。

「旧連邦軍の勇戦振りは存じています。全く持って痛ましい限りです。友邦として共に戦えていたなら、どれだけ心強かったか」

 全ての非は中華思想の狂人に与し、アメリカの正義を棄てた旧連邦政府と軍事的に無能、かつ自らの保身に執着した暫定政府首脳にあり、何も知らされずに戦わされた旧連邦軍将兵は被害者、西海岸諸勢力は『対日穏健派』であり『悪の暫定政府』とは一線を画した『良識的な勢力』というのが日本のスタンスであり、嶋田はそれを徹底する姿勢を見せる。
 一般国民には旧連邦軍を「軍事的に無能な公家によって敗死させられた楠正成」に例え、旧アメリカ合衆国から独立した西海岸諸国や旧合衆国軍将兵に傲慢になったり、負の感情を抱かないように世論工作も着々と進めていた。
 幸い戦争が短期間で終わり、日本側の犠牲が少なかったこともあってこれらの世論工作の難易度はそう難しくはなかった。
 ただし引き換えに文民統制に対する印象が悪化したのは否めなかった。単純に言えば「軍人が主導権を握った日本は戦争に短期間で勝利し、文民が無茶な戦争指導をしたアメリカは大敗を喫した」と宣伝したも同然なのだ。
 夢幻会はニューヨークで無念の死を遂げた副大統領デューイを過分に称賛することで、文民統制自体が悪いのではなく、時の政治家や官僚が悪かったとしたかったがそれにも限界があった。何しろニューヨークに戻った本人は大した実績をあげられず病死し、ニューヨーク州政府は崩壊。生き残りの住民諸共、防疫線の中に封じ込まれた。
 勿論、無い無い尽くしの状況で彼はよくやった方なのだが、目に見える実績のある、無しは多く影響した。
 夢幻会は自分たちが勝ったことで、大日本帝国憲法を改正して文民統制を実現する構想の難易度が増すという皮肉な事態に直面しつつあった。
日本国内では「素人の政治家(文官)が国防に口出しをすると碌なことにならないことがはっきりした」などと訳知り顔で宣う自称・軍事専門家さえ現れる始末。
 嶋田からすれば「どうしてこうなった?」と言いたいところであり、「友邦として共に戦えていたなら」というのは実際には偽らざる本音でもあった。
 そんな嶋田の内心を知る由もないマッカーサーは、表面上の事象から嶋田が旧連邦と旧連邦軍を分けていると受け取る。

「現在の共和国軍も旧連邦軍に劣るものではありません。ただ、それはあくまで正面戦力の話。お恥ずかしいことに、我が国の情報収集能力、分析能力は貴国に及びません。国家社会主義者を奉じるようになったテキサス人、彼らを後援するドイツに後れを取らないためには、これらの分野への梃入れが必要になるでしょう」
「貴国が望めば、我々は支援を惜しまないでしょう。我が国は信義を守る同盟国を軽んじることはありません。ただ、詳細については後々、外務省も含めた関係者で話し合うと良いでしょう」
「かつて日本海軍が師と仰いだ自称・紳士の国とは違う、と」
「我々はかの国を手本としています。それは今も変わりません。『故に』、盟邦を蔑ろにするつもりはありません」
「成るほど……そういえば、この会議の発起人は吉田外相と聞きますが」
「ええ。彼は気骨があり、更にユーモア溢れた男です。将軍とはきっと話があうでしょう」
「ほう、それほどですか?」
「百聞は一見に如かずと言います。実際に会われたどうです?」

(何とか吉田に功績を挙げてもらわないと……)

 次の次の首相に吉田を推す嶋田は、外相である吉田を前面に押し出すことで、吉田が実力者であること、対外協調派であることをアピールすることを忘れない。

「では、お言葉に甘えて」

 そう言ってマッカーサーが離れると今度はハーストが現れる。
 この男もマッカーサーに負けず劣らず流暢な日本語で嶋田に話しかける。

「大日本帝国最高の軍政家、名宰相と名高い『嶋田提督』とお話しできるとは、光栄の極みです」

 笑みを浮かべるハースト。嶋田も笑みを浮かべて会釈するが、内心では複雑な感情を抱いていた。

(こいつも有能なんだよな……売国奴としても一流。いや、我々にとって有益な売国なら大歓迎だが……こう釈然としないのは何故だろうな)

 目の前の男は、戦前、戦中において対日強硬論を煽り立てておきながら、祖国の滅亡が避けられないと見るや、祖国を引き裂き高値で売りさばこうとした人間だった。
 尤も高値で売り飛ばす前に祖国は崩壊してしまったが、それでもただでは起きず、今やカリフォルニア共和国建国の功労者、カリフォルニア政府の重鎮としてその名を轟かせている。
 最悪の場合、祖国のために独裁者の汚名を着せられて処刑されることを覚悟した嶋田とは対極に位置する人間と言っても良い。
 このため嶋田がハーストに良い感情を抱かないのは当然だったが、その手の感情を表に出すことはない。嶋田にとって、目の前の男は役に立つ駒だった。少なくとも日本にとって利益になる内は、彼の行動もある程度目を瞑る必要がある。
 そんな嶋田にハーストは産業面での話題を振る。

「我が国の工業力は旧アメリカ時代に比べて弱体化しています。しかし同時に市場の急激な縮小も問題になっています」
「航空産業ですか」
「ワシントンでは造船業も問題になっています。何しろ軍需が期待できません」
「……西海岸が困窮し混乱しないように手を打つ必要がある、と」
「貧困は過激な思想の温床となります。我々の目と鼻の先に、そのお手本のような国がありますので」
「ふむ……」

 ハーストが揶揄したテキサス共和国。
 ナチスドイツと現地政府が情報統制を敷いているため、自由に手に入れられる情報が少しずつ減りつつあるが、それでもかの国が過激な主張を繰り返す原因が経済状態にあることは類推できた。
 嶋田としては「無理な軍備は削って復興や防疫線維持に充ててくれ」と思っているのだが、もともと民主主義、自由主義が主流だった地域を強引に統治するべく独裁体制を敷き、カリフォルニアを筆頭とした西部諸勢力を『白人の裏切者』と敵視することで国内の統一を図ったために、テキサス共和国は軍縮が困難となっている。
 加えてドイツ第三帝国はテキサス共和国から大量の石油資源、食料を供給させている。このしわ寄せは当然のことながら国民に及び、不満を抱えた国民が団結して決起すれば革命騒ぎに繋がるのは確実だった。
 勿論、そのことをテキサス側は理解しており、彼らは奴隷とした有色人種、厄介者の旧東部人を最下層の存在とし、彼らをスケープゴートにすることでガス抜きを図っていた。

(恨みつらみが重なって、とんでもないことになりそうだ……まぁある程度、火薬庫になるのは判っていたがここまでとは)

 収集できる情報からでも、現地でどんな行為が横行しているかは想像に難くない。

「人間はどこまでも残酷に、無慈悲になれる……か」

 自分たちの所業を思い出しつつ、そう口にする嶋田に「わが意を得た」とばかりに頷くハースト。

「飢えた狼を自由の象徴のように賛美する者もいますが、それは本当の飢えを知らない者の戯言に過ぎません」
「肥え太った豚の方が良い、と?」

 揶揄が入った問いかけ。しかしハーストは気にも留めず、むしろ余裕のある笑みを浮かべて答える。

「提督、豚というのは存外、賢く綺麗好きな生き物です。噛む力も強く、ヒトの指なら食いちぎることもできます。侮ると痛い目に遭いかねません」
「そして豚は太らせて食べるもの。なるほど、覚えておきましょう」

 そのころ、吉田は夢幻会の敷いたレールにそのまま乗ることに多少の躊躇いを覚えたものの、評価が低迷気味の外務省を現在の情勢下において復権させるために嶋田の思惑に乗る形で振る舞っていた。

(特筆に値する功績もない男が、実力者に尻尾を振って権勢を得ている……などと言う者もいるだろう。しかし今はそれに耐えなければ。それに……)

 同時に吉田は韓国代表団が余計なことをしていないか目配りをすることも忘れない。この会議に水を差す可能性がある以上、注意を払わずにはいられない。
 仮にこの場で何かしなくとも、ドイツが日本の隣国である韓国に興味を示していると示されれば色々と勘繰る者も現れる可能性がある。日本側陣営で独韓接近との噂で動揺する者はいないだろうが、反韓感情が強い者たちはここぞとばかりに強硬論を口にしかねなかった。
 そして日本国内で国防上の問題から韓国併合論が噴出するようなことがあれば、諸外国から何を言われるか分かったものではない。力尽くで他民族の独立を奪おうとしているなどと喧伝されてナチスと同一視されては堪ったものではない。
 万が一、併合する事態になった場合、韓国の所業を喧伝して反論することはできるが、これまで築いた『解放者』としての名声に傷がつくリスクはある。

(会議に参加させるのは時期尚早だったか?)

 その問題児扱いされている韓国側代表団はイランからオブザーバーとして参加した面々から、ドイツが韓国を評価している旨を告げられていた。

「なるほど、ヒトラー総統は我が国を評価なさっている、と」

 韓国側の随員は笑みを浮かべるが、代表は内心で困惑した。
 数少ない良識派に属する男からすれば欧州の帝王となったヒトラーが自国を評価する理由が見つからないのだ。

(先の大戦で相応の戦果を挙げていたのなら兎に角、我々は準敗戦国扱い。改革の歩みも遅い。そんな祖国を評価する? 我が国を懐柔するにしても、飴を寄越すはず。だとすればこれは合図と? 我が国に再度、日本を裏切るなど出来る筈がないだろうに。まして空手形に終わるのは目に見えているのに、それに乗ることなど……)

 韓国側の代表は礼を失しない程度の対応に終始した。

「ドイツ人は我々を捨て駒程度にしか見ていない。彼らの誘いに乗れば我が国は今度こそ滅ぶことになる」

 代表本人はそう断じるが、日本の介入を嫌う者はドイツの外圧を利用して、日本の介入を抑えたいとの思いを強くした。
 日本から見れば悪弊であっても、現地の人間からすれば古来からの伝統である場合が多い。
 現在の日本からすれば韓国には『友好的な中立国程度』の存在として、自立してもらいたいのだが、それを成すには最低限の国力が必要となる。
 このため渋々とだが介入を進めるようになっていたのだが、その行為そのものが韓国国内の保守派を苛立たせる。例えそれが最終的に国家の利益になるものだとしても自分たちが重視する伝統や権益を破壊する行為を行うのであればそれは敵に他ならない。

「日本人は自国のために我々の国を掻き回している。この国は我々の物のはずなのに!」

 日本人からすれば「お前らがいつまで経っても不安定な政情だから、こっちは不本意ながら介入しているんだ」と思い、韓国人はそれを余計な介入として反発する。
 まして儒教や小中華思想の影響が強い韓国住民にとって、日本人は格下の存在なのだ。その格下から服従と改革を迫られるなど屈辱でしかなかった。
 ただし現状で歯向かっても、叩き潰されるのは目に見えている。故に彼らは日本に圧力をかけてくれる存在を欲したのだ。
 かといって日本側の目が光っている会議で暴発すれば、どんなことになるか判らないことも彼らは理解していた。少なくとも裏切りの報復として行われた粛清、暗殺などは記憶に新しい。下手をしなくても自分が死にかねない策略を率先して行う勇気(蛮勇)は彼にはない。

(まずは同志たちに連絡を取ってからだな)

 夢幻会によって行われた徹底した特権階級への報復措置は、『この場』での暴発を抑止するだけの効果はあった。
 そう、『この場』においては。
 何はともあれ表面上、この会場において大きなトラブルは何も起こらず、会食は順調に進んだ。

(ふむ、すべて順調。これで明日は……)

 会食も終盤となり、嶋田が明日以降の予定を考えている最中、秘書が嶋田のもとに駆け寄ってくる。

「どうした?」

 軽く会釈して他の出席者から距離を取った嶋田が何事かを尋ねると、秘書が小さなメモ紙を渡す。
 怪訝そうな表情を浮かべつつ、嶋田はそのメモ紙に目を通す。そしてメモ紙に記された内容を理解すると眩暈を覚えるが、成すべきことを思い出し、すぐに立ち直る。

「……これは本当なのか?」
「間違いありません。海軍軍令部、陸軍参謀本部、中央情報局もすでに動いています」
「……わかった。首相官邸に戻り、事態に備えるとしよう。会議の出席者にもその旨を伝えてくれ。西海岸からの来賓に連絡は?」
「総理の後に」
「わかった」





 首相官邸に向かう車に乗った嶋田はため息をつきそうになる。
 知らされた2つの報告。それは嶋田を憂鬱な気分にさせるに十分だった。
 「インド西部スーラトで肺ペストの発生を確認、インド総督府は非常事態を宣言」……それは日本側が想定していたシナリオの中でも最悪の類の物であった。

(今の印度は分離独立に向けて民族移動の真っ最中。その中でパキスタンに近い港湾都市でペスト、それも肺ペストだと、冗談じゃない!)

 ペストが民族移動の真っ最中に発生。おまけにインドは経済的混乱によって困窮した貧困層が溢れている。イギリスもかつての力はなく、インドの統制は不可能。
 パニックとなった民衆が制止を振り切って移動すればペストはインド全土に拡大し、多大な犠牲者を出すことになる。それは当然ながら内戦ぼっ発のトリガーとなり得る。
 何よりアメリカ合衆国という大国が、戦争、疫病、天災のコンボによって崩壊。旧アメリカ合衆国東部は防疫線によって封鎖され、内陸は滅菌作戦の名の下に無差別攻撃が加えられているのだ。そしてそれは知れ渡っている。そうインドでも知る人は多いだろう。
 そんな人々が自国領内で肺ペストの発生を知ってどう思うか、どんな恐怖にかられるか……それは想像に難くない。

(潜伏期間の長さ、それにインドと北米を直接つなぐ海路、空路が存在しない現状においてアメリカ風邪と同種の可能性は著しく低いだろうが、『一応』は考えておくか)

 万が一、肺ペストがアメリカ風邪と同種であった場合……問題はインドやイギリスだけでなく、日本にも飛び火する。
 津波の影響で大きく制約されているが、対独戦略を見据え、日本側は英国との交流を再開しているのだ。未知のルートで日本側勢力圏にアメリカ風邪が持ち込まれた可能性は皆無ではない。
 最悪のケースも考えつつ、嶋田は同乗していた秘書に尋ねる。

「現地の情勢は?」
「住民は恐慌状態です。彼らは当局の制止を振り切り、スーラトから脱出を図っているとのことです。当局との間で衝突が多発し死者も出ているとの情報もあります」

 このとき日本側はまだ掴んでいなかったが、現地の一部では恐慌状態と言うのも生ぬるい状態だった。
 何しろ北米防疫線の滅菌作戦の例から、『列強軍が無差別爆撃に来る』という噂さえ流れ、自棄になった者たちが暴動と略奪さえ起こしていたのだ。

「……英軍は何か手を打っているか?」
「英海軍が周辺海域を封鎖しています。印度兵を中心とした部隊も現地に展開中との報告もありますが……」

 うまくいっていないことを悟った嶋田はイギリス側の不甲斐なさに苛立ちを覚えたものの、何とかそれを抑える。

(サイクロン被害が拙かったな。ただでさえ経済が悪化していたインドは、あれで追い打ちを受けることになった。その状態で、この一件。負の影響は大きい)

 昨年11月にインドを襲った巨大サイクロン。それは各地に多大な被害を与え、今も尚、その爪痕は残っている。中でもベンガル地方の被害は甚大であり再建は程遠い有様だ。
 飢餓と併せて死者は百万単位に上っており、困窮している人間はその数倍との報告もあがっている。当然、これは現地情勢を不安定にしており、勢力圏が隣接する日本にとって頭痛の種だった。
 帝国陸海軍は印度騒乱に備えて軍を配置していたが、『騒乱勃発が想定以上に早まりそうだ』と判断した嶋田は、改めてため息をつきそうになったが何とかこらえる。

(後世で税金の無駄遣いとの誹りを受けても、この手の備えは無駄に終わるに越したことがなかったのだが。それにしても印度洋でのあれだけお祭りをして、得られた結果がこれとは……いや、副産物としてイラン演習でMe262を完膚なきまでに叩きのめしたことで、ドイツへの威嚇が出来たと思えば、いや、しかし……)

 色々な考えが脳裏によぎった後、嶋田は苦笑いした。

(これこそが本来の姿なのだ。我々が知らぬ未来、あの夢幻の彼方に消えた世界とは違う流れ、その先端に我々は立っているのだ。もやは我らの手に緻密な航海図はない。多くの未知の航路を独力で切り開かなければならないのだ。故に失敗も無駄も生まれることもある、ということだろう)

 嶋田は未来が見えず、手探りで事に当たった先人たちの苦悩を改めて認識した後、おもむろに口を開く。

「東部と南部はサイクロン、西部はペスト。これは宗教、民族、経済問題が加われば……いずれパキスタン、その他の周辺地域を巻き込んだ大乱に繋がる」
「その幸運も総理の英断があってこそです。もしもインドにまで手を伸ばしていれば、我々も本格的に関与せざるを得なかったでしょう」
「ふむ……」

 嶋田としては色々と思うところはあるが、秘書の称賛に対して曖昧にうなずく。

「……何はともあれ、今なすべきことは情報収集と正確な分析だ。問題はインドだけではない」

 もう一つの報告。それはアメリカ風邪封じ込めのための最前線であるテキサス共和国で起きた出来事だった。

「待遇改善を求めた労働者の大規模デモ、そしてそれに対する容赦ない弾圧……これだけで済めばよかったのだが」

 暫くして首相官邸に到着した嶋田は関係閣僚や陸海軍首脳部と円卓で顔を突き合わせ、まずインド問題について話し合った。
 イギリスからもたらされた続報でアメリカ風邪の可能性が低いことに一同は安堵したが、インド情勢の悪化を思い出すと再び憂鬱な顔になる。
 何しろインドが本格的な内戦状態になれば東南アジア、インド洋に混乱が波及する。仮に膨大な難民が東南アジア方面に流れれば日本の負担は更に跳ね上がることになるのだ。
 イギリスに対する不信感を持つ閣僚の中には「あれだけ支援してやったのにこの様か」とイギリスに対して不信感を露わにする者もいるが、嶋田は「『今は』誰が悪いではなく、我々は何をするか、何ができるのかに頭を捻るときだろう」と言って宥めた。
 しかし遅れて閣議に参加した堀の報告で問題は疫病だけで終わらないことが鮮明となると、当の嶋田もイギリス人を呪いたくなった。

「インド共産党とそれに同調する一派も急激に活動を活発化させているようです」

 堀の報告に多くの人間が眉を顰める。インドの共産勢力の情報はある程度入手できていたが、そこまで拡大しているとは初耳だったからだ。

「アカに被れる輩がそんなに大勢いるのですか? それともソビエトは印度の共産勢力に肩入れしていると?」

 阿部内相は驚くが、堀は渋い顔で頷く。彼は「詳細は手元の資料に」と前置きすると重い口を開く。

「彼らは全ての責任がスターリンに被せられたことから『共産主義が悪いのではない。革命を私物化し、悪用したスターリンが悪かったのだ』と主張し始めています」
「……そのスターリンが取り除かれたソビエトで何が起きているのか、彼らは知らないと? それとも我々が流したソビエトの現状についての情報を嘘と断じたと?」

 弱者の強制労働によって成り立つ国家。それは共産主義の理想とはかけ離れた姿であった。日本はそれらの情報をリークすることで共産主義への憧憬を打ち消すことに力を入れている。それにも関わらず共産主義勢力が予想以上に伸長している……それは阿部にとって驚くべき情報でもあった。

「知っているようです。しかし彼らは『スターリンとロシア人は失敗した。自分たちはうまくやる』と思っているようです。我々日本人が白人社会に打ち勝ったことも多分に影響しているようです。彼らは白人から得た技術と知識で日本が成功した以上、自分たちも共産主義を成功させられない理由はないと」
「「「……」」」

 堀の報告を聞き終えた嶋田はため息をついた。

「若い人間が綺麗ごとを並べたアカの思想に嵌るのは、まぁ判らないでもないが……大の大人になっても理想と現実を区別して考えられないとは……いや、現地が悪魔の思想と言われるアカの思想に縋らなければならない状態ということか(いや、イギリス人は植民地統治のために、インドを分断していた。そのツケが一気に噴き出すということかも知れないな。我々がその割を食らうというのが納得いかないが)」

 辻は処置無しと言わんばかりに頭を軽く振る。

「アメリカ南部ではカルト宗教が出現し、インドではアカが復活の気配。いやはや、肌の色に関係なく、追い詰められた人が最後に縋るのは『極端な思想』と。まぁソビエトが共産主義の限界を示して自滅した訳ではない以上、共産主義に一途の望みを託す人間が現れるのは避けられないということなんですかね」

 この後、彼らはどうやってこの難題に対処するかで頭を捻った。
 そういって嶋田は宥めたが、この問題を一気に解決する手段はないことも自覚していた。インド亜大陸は広く、住んでいる人間も多い。宗教、民族対立も顕在化しており、ここに本格的に手を出すのは中華の泥沼に手を出すよりもひどいことになるのは目に見えている。

「しかし、こんな地域を100年以上もかけて植民地化したイギリス人の執念は評価できますね(よくも史実で3つの分裂で済んだものです)」

 辻はそう言って肩をすくめる仕草をする。
 これを見ていた永田陸相は苦い顔でこれを咎める。

「蔵相、イギリス人の評価よりも、今はインドをどうするかを考えるべきです」
「……直接手を出せない以上、封じ込めしかないのでは? 昔からよく言います。『臭い物には蓋』と。まぁ問題は容器の『中身』が勝手に増えて蓋を吹き飛ばす、或いは困った隣人が容器の蓋を開けようとすることも考えられるので、蓋をしてそのまま放置とはいかないでしょうが」

 そう言った後、辻は心底嫌そうな顔をする。

「本来はイギリス人に押し付けるところですが、連中は損切りして放り出すでしょう。『立つ鳥跡を濁さず』……これを彼らが実行するとは到底思えませんし」

 イギリス人がエゲツナイことについては異論の余地はなかった。

「万が一、英国が本気で負担するようなことになったら、国力を消耗してドイツに対抗できなくなる。そしてドイツがイギリスを呑み込むようなことになれば不利益を被るのは我々……どんなに不本意でも、我々が関与して被害を極小化したほうが実害が少ない以上は我々に選択肢はない」

 嶋田の意見に出席者たちが一様に顔を顰める。

「しかし万が一、インドが赤化したら一大事だ」

 杉山の懸念に阿部が同意する。

「その通り。そのまま共産勢力が拡大してユーラシアを縦断する共産国家が生まれたら大変なことになります。ユーラシア大陸の南北に跨り、人口5億人を超える一大共産圏など害悪でしかありません。ドイツと手を組んでヒトラーが言う反共十字軍を作るしかなくなります」
「参謀総長と内相の懸念は判るが、基本的にはテ号作戦に基づいて行動するしかあるまい。現地政府から支援要請があっても、空手形を切ることなく、情勢をよく吟味して回答する……これが関の山だろう。我が国にインドを救う力はない。犠牲は多いだろうが、彼らには自分の足で立ち上がってもらおう」

 ただし共産勢力が許容範囲を超えて伸長した場合、これに対抗する勢力に梃入れすることで共産勢力を封じ込めることも決定した。
 尤も現地勢力と英国だけに対処させるのも不安であるため、後方支援や海洋封鎖のためインド洋で活動する艦隊が必要とされた。そしてその艦隊の基幹、或いは象徴として期待されたのがY型戦艦として発表された『大和型戦艦』であった。

(最強の見せ札たる大和型……いや、まぁ確かに印度洋に展開することは考えていたが、このような形で期待されるようになるとは)

 大和型建造を推進した古賀大将は鼻高々だったが、嶋田は会議の流れに苦笑した。
 何しろインド半島の共産主義者が海に出ようとしたなら、これを容赦なく吹き飛ばすのも大和型の仕事になりそうなのだ。色々と皮肉を感じざるを得なかった。
 嶋田は「本当に、世界は『こんな筈ではなかった』ことばかりだな」と誰も聞こえない程の小声でそう呟いた後、「まぁ建造費と維持費以上の利益を祖国と我々に齎すなら何の問題もないか」と気分を切り替えて次の議題に入る。

「西海岸からの帰還者を中心とした『独立正義党』か」

 奴隷制が敷かれたものの、奴隷にされた人間全てが無抵抗である訳がない。テキサスによって占領され、圧制を敷かれていると思っている住民たちなら尚更だ。
 そして二級市民扱いされ、食うに困った彼らの抗議に対する回答は銃弾の雨、これに対して一部の人間が反撃する……というのが今の旧アメリカ合衆国中西部の状況だ。
 これだけなら、日本側に影響がないなら、日本も実質的には何も干渉しない。しかし今回は違った。
 独立正義党と名乗り、諸外国の影響力を排した共和制国家の樹立を主張する団体が突如出現したのだ。
 今回の暴動を扇動した独立正義党の構成員は卑劣な騙し討ちでテキサス側の人員と車両に多少なりとも損害を与えたものの、勇壮なるテキサス軍将兵の手で全員が射殺された……テキサスはそう発表した。またテキサス側の発表では独立正義党の中核メンバーは西海岸から帰還した者や、西海岸に残るアメリカ合衆国の残滓に影響を受けた危険分子となっている。

「西海岸の裏切者、そしてその背後にいる者たちが独立正義党を名乗る反乱分子を煽った可能性が高い。これは北米防疫線を揺るがす暴挙であり、人類文明への挑戦である!」

 テキサス政府は露骨な名指しこそ避けたものの、『一連の反乱のバックには西海岸を支配する日本がいる』と遠まわしに日本を批判していた。
 ドイツはもう少しトーンを抑え、『何者であっても北米防疫線を揺るがす暴挙は許されない』との声明を出している。

「テキサスの物言いに対しては『何の証拠もない濡れ衣だ』と一蹴しておくが……全く時期が悪い」

 嶋田は苦い顔をしつつ、この組織の背後を考える。

「日本側は少なくともこのような組織に肩入れした覚えはない。だとすれば考えられるのは『本当に現地人の手で生まれた抵抗組織』か『他勢力による工作』だが……」
「前者なら、想定の範囲。テキサスの苛政に反発しない人間はいないでしょう。後者なら我が国を貶めたいドイツの自作自演、或いは支那で暗躍した共産党と同じように日独を噛み合わせたい勢力……ソ連、イギリス、それに件の宗教団体が有力かと。可能性は低いですが……西海岸諸国の暴走も考えられます」
「英ソの反応は?」

 これに吉田が答える。

「つい先ほどですが、英ソ共に『何の証拠もない一方的な決めつけ』と評しています。ただソ連側は『善意で調査団を送っても良い』と言ってきていますが」
「ソ連の申し出については『丁重』にお断りしろ」
「はい」

 諸国の反応を確認した後、首脳部は議論を再開する。

「環太平洋諸国会議に手を出してきたドイツのことだ。北米でも挑発行動に出る可能性はある。ただリスクが高すぎるが……いやドイツならあり得るか?」
「今回の件を口実にテキサスにこれまで以上に軍備を増強させ、北米での戦争準備を進める気では? 狙いは隣接する英領やフランス系住民が多いケベックが考えられますが」
「件のカルト宗教団体も有力な容疑者では?」

 様々な意見が出る中、嶋田はカルト宗教団体が頭に引っかかった。前の世界での宗教絡みのテロを知るだけ、そちらの人間の行動力を無視できなかったのだ。
 ちなみにこの時点で、この手の人間は嶋田が考える以上に危険思想に取りつかれつつあったのだが、残念なことに今の嶋田、そして夢幻会にそれを知る術はなかった。
 嶋田に出来るのは現時点で手元にある情報で、状況を類推することだけだった。

「兎にも角にも、北米防疫線が瓦解するような事態を招くのは拙い。他ならぬ帝国のために」

 嶋田の言葉に反論はなく、それを確認した嶋田は自案を提示する。

「彼らの動き次第だが……西海岸での演習の後、桑原艦隊、そして西海岸の基地航空隊をパナマにまで移動させたいと思う。山本海相、古賀総長、海軍はどうかね?」

 話を振られた山本は古賀と小声で話し合った後、口を開く。

「期間はどの程度を?」
「長くても一か月程度。パナマで日英合同演習をすることも視野に入れたい」

 ここで陸軍参謀総長の杉山が割って入る。

「それはあまりに欧州枢軸を刺激しすぎでは? インド問題がある以上、二正面作戦に繋がりかねない行動は慎むべきでは?」
「インドが騒乱状態になることは欧州も知るところとなる。そうなれば帝国の弱みに付け込んでくるぞ。どこまでも譲歩しろと?」
「それは……」
「これはあくまでも保険だ。それに弱腰で侮られるよりは余程いい。帝国はドイツ側の対応次第で二正面作戦を覚悟した上で大西洋側に介入する意思と能力がある……そう思わせるだけでも彼らに軽挙妄動を思い止まらせる力になる。何よりドイツはインド洋演習、イラン演習で帝国の力を思い知っている」
「確かに」
「それで海相、可能かね?」
「……可能です」
「宜しい。環太平洋諸国会議の真っ最中に事件が起きたのは『不幸』だったが、この事件への対応に使える戦力が西海岸にあったことは『幸運』と言えるだろう」

 いずれにせよ、独立正義党の件については「日本は無関係」と声明を出し、逆にテキサス共和国の政情不安定についてドイツに苦情を伝えることが決定された。
 その後のテキサス側の動きによってはパナマで大規模な演習を行うことも正式に決定され、関係省庁は早速準備に取り掛かることになった。尤も後者についてはあくまで保険であり、誰も実行したいとは思っていなかった。
 提案した嶋田でさえ「はるか離れた土地で起きた揉め事に顔を突っ込まないといけないとか、何の罰ゲームだ」との思いが強かった。

(世界を三分する大国? 世界の面倒ごとの3分の1を押し付けられる立場の間違いだろうに。いや表向きの力関係から考えると、面倒ごとの4割は押し付けられかねないな)

 『大西洋側の国々がもがき苦しむ中、わが世の春を謳歌する大日本帝国』……それは表面上は紛れもない事実だった。故に多くの負担を求める人間も多い。
 かつて盟邦の裏切りによって世界から孤立した経験を持つ日本人からすれば「手前勝手のよいことばかり言うな」と返したいところだが、この手の要請を無視し続ければそれはそれで面倒なことになることも嶋田は理解していた。人の妬みというのはいつの世も恐ろしいのだ。
 日本は満州事変の真相暴露後、旧中華民国北京政府と旧アメリカ合衆国を悪役に仕立て上げて妬みや憎悪を逸らしているものの、すべてを逸らせるわけではない。
 それに加え、昨今ではその手の感情を煽る計画が次々に動いている。
 緑の革命を目的とした稲荷計画、トランジスタを用いた新型電算機の投入による技術革新、詳細は公表していないが行政改革を含めた首都圏再開発計画、蒸気機関車牽引列車の弾丸列車が主体の高速鉄道を夢幻会がよく知る『新幹線』に置き換える大規模な交通インフラの整備計画も調整が進められている。
 軍事に人と金をとられているため、前の世界を知る夢幻会の人間からすれば色々と制限が多いように見える。だがそれでも尚、これらの計画は日本の未来を明るく照らすものになると多くの人に思われるだろう。しかし同時に、日本以外の勢力に属する人間にとっては、日本にのみ光が降り注いでいるようにしか見えないものでもある。
 日本からすれば『必要な』未来への投資だったが、その投資を行う余裕すらない者たちからすれば嫉妬の対象でしかない。
 嶋田もそれを理解していたが、海外の視線を恐れて計画を止める訳にもいかない。

「さて、どうなることか……」






 あとがき
 お久しぶりです。
 提督たちの憂鬱外伝戦後編29をお送りしました。
 難産でした。あとリアルが忙しくて……次の更新はもう少し早くできればいいなと思うのですが(汗)。
 それでは拙作にも関わらず最後まで読んで下さりありがとうございました。
 戦後編30でお会いしましょう。