昭和20年9月1日。この日、呉から出港する艦隊があった。
 それは大鳳型空母の登場によって幾分、影が薄くなったものの、それでも世界有数の排水量を誇る正規空母『翔鶴』を旗艦とした空母機動部隊であった。
 彼らは途中で日本海軍の最新鋭攻撃機・天山と日本陸軍でも精鋭と名高い第9師団を乗せた輸送船団と合流し、北アメリカ大陸・西海岸を目指すことになっている。その気になれば小国を蹴散らせるだけの力を持っているものの、彼らは別に戦うために北米に向かうのではない。
 彼らはカリフォルニアへの敵意をむき出しにするテキサス共和国に対する睨みをきかせ、同時に北米西岸をより安定させるために盟邦・カリフォルニア共和国で現地の駐留軍と共に大規模な演習を行う予定だ。
 そしてこの艦隊出港の報告はすぐに東京の海軍軍令部と海軍省に寄せられた。

「そうか、予定通り桑原の艦隊が出港したか」

 古賀軍令部総長は総長室で軍令部次長・大西中将の報告を聞いて大きく息を吐く。

「まったく、虎の子の2航戦を演習で派遣することなるとはな」

 インド洋、イランでの演習で日本海軍はその圧倒的な海洋航空戦力を披露し、現在、誰が世界の海と空を支配しているかを明らかにした。
 しかし日本海軍は自身が長年整備して対米戦争勝利の原動力となった海洋航空戦力が質の面では圧倒的でも、量の面では心細いと考えていた。何しろ海軍の主力である航空母艦のうち、噴進式艦載機を運用できる能力を持つ正規空母は大鳳型と翔鶴型のあわせて4隻。
 だが翔鶴型は搭載機数や継戦能力では大鳳型には及ばず、今後の艦載機の大型化を考慮すると、運用面で制限が出てくることは間違いない。
 まして戦時量産型の軽空母である祥鳳型は搭載機数も少なく、防御力も不足している。このことから翔鶴型が如何に貴重かが分かる。

「これでテキサスが多少なりとも静かになれば良いが……」

 テキサス共和国の内情はカリフォルニア共和国に比べて芳しいものではなかった。旧アメリカ合衆国の南部一帯を統治下においていたが、東部から流れ込む難民に頭を痛めていた。またテキサス共和国が軍事力で統治下においた地域ではその強引な統治に反発する者が少なくなかった。
 彼らは徹底的な人種カースト制及び情報統制、物資統制を行い、逆らう者は徹底的に粛清するなど、あらゆる方法で国民を統制していた。日本側もテキサス共和国が如何なる圧制を敷こうとも、それがテキサスの国内問題にとどまるのであれば何もしない。しかしテキサス共和国は国民の不満を逸らし、国家の統合を維持するために 外部に敵を求めた。そして彼らが敵としたのは旧アメリカ合衆国の精神面での後継者を自称し、北米西海岸で平和を謳歌するカリフォルニア共和国を中心とする西岸諸国だった。
 最近では着々と軍事力を増強しているように見える日本に対する不信と恐怖も合わさり、言動がより過激になっている。

「日本は人類防衛の最前線である北米防疫線の維持をこちらに押し付けた上に、その余力で我々を倒すための軍事力を整備している!」
「日本人は空爆だけしか行わない。人を出せないなら、資金や物資を最前線の国々に供給するのが世界秩序の維持に責任を持つ列強の責務のはずだ!」

 過激な主張の中には「世界から富を収奪し続けた日本は新技術を無償で世界に提供しろ」などと主張する新聞社さえある。この主張を知った日本人は大いに眉をひそめた。
 何しろ大多数の日本国民には自分たちが欧州枢軸による非人道的な政策に目をつむり、(日本人の主観では)大規模な軍拡も控え、緊張緩和のために前線に張り付ける戦力を限定している(実際には張り付ける余裕がないとも言える)など、緊張緩和のために欧州側に多くの譲歩をしているとの思いがある。
 このため「これだけ譲歩しているというのにまだ不満があるのか!」との反発が一部で生まれた程だ。ただし反発が拡大しない内に夢幻会が迅速に世論誘導に動いたこと、何より幸いにも日本国内は平穏で経済的にも余裕があったため、「北米内陸に侵攻せよ」といった強硬論は台頭することはなかった。
 しかしテキサス共和国の態度に不信を感じる者たちは少なくなかった。特にカリフォルニア共和国ではテキサス共和国の動きに警戒する声が強かった。このためカリフォルニア共和国を保護する立場である日本が何もしないわけにはいかない。日本が日和見の態度を示せば、西海岸は瞬く間に切り崩されかねない。
 このため、海軍にとっては虎の子と言える翔鶴型空母2隻を演習のために西海岸に派遣するのだ。
 だが日本陸海軍の軍人たちにとって頭痛の種はテキサス以外にも存在した。

「大陸で何か不穏な動きは?」

 この古賀の問いに、大西は首を軽く横に振る。

「情報局、及び外務省からドイツと中華民国国民党の動静を監視していますが、具体的な行動に出る兆候はありません」
「朝鮮半島は?」
「小規模な反日デモが起きていますが、大規模な暴動に発展する兆候はありません」
「そうか」

 トランジスタを公表されてから、列強が重要な情報を暗号のやり取りすることが減った。だがそれまでの暗号解読及び諜報活動の結果から、中華民国国民党と朝鮮の一部勢力がドイツと何かしらの接触を図っていると日本側は判断し、警戒に当たっていたが、特に武力で暴発するような兆候はなかった。

「ふむ……念のために遣支艦隊を佐世保で待機させていたが、杞憂に終わるか? いや、日本の面子に泥を塗るなら、この会議中に騒ぎを起こすのが最も効率的だ。連中もそれくらいは理解している……警戒するに越したことはないだろう」

 かつて中華民国北京政府を叩きのめすために派遣された戦艦伊勢、日向を中心とする遣支艦隊は、佐世保に待機しており、大陸で何かあれば動ける体制を維持している。
 各地に展開している基地航空隊も大陸上空を飛び回ってプレッシャーを与えている。空での動きと並行して各地上部隊も中華勢力及び朝鮮反日派への警戒を解いておらず、警戒態勢を維持している。更に夢幻会は万が一に備えて富嶽を投入する用意も進めていた。

「原爆は使いませんが……通常爆弾でも十分な効果を得られるでしょう。現在の支那では我々の爆撃から身を守れるような防空壕は作れません」

 夢幻会は大陸勢力の動き次第では富嶽も動かすつもりだった。仮に大陸勢力が意図的に紛争でも起こせば、富嶽にも大量の通常爆弾を搭載して大陸に送り込み、下手人を一気に、徹底的に叩く予定だ。そして富嶽の運用には大西が関わっていた。
 何しろ大西は先の大戦で原子爆弾をメキシコに投下し、町を一つ焼き払った富嶽を指揮した経験を持つ。その後も富嶽の運用に関わり続けたため、大西中将は富嶽運用では海軍の第一人者との扱いを受けている。そしてこの実績を買われ、人事異動で大西を軍令部次長に抜擢されたのだから、どれだけ評価されていたかが分かる。

「全くだ。口の悪い人間は原爆を支那の人口密集地帯を焼き払えなどと言っているが……原爆製造に必要な費用やそのあとの汚染を考慮してもらいたいものだ。いや、そもそも無暗に民間人を、それも女子供まで原爆で大量殺戮する真似を口実もなく『公然』としたらどう思われるか」
「仰る通りです。原爆は人口密集地帯に対して容易に使うものではありません」
「うむ」

 メキシコの原爆投下はあくまで「人類文明を守るため」という大義名分があり、メキシコ革命政府を『世界の敵』扱いすることで正当化できた。
 しかし単なる紛争で原爆を使えば、後々に色々と言われかねない。それを恐れる夢幻会は核兵器の使用を極力避けるつもりだった。そしてこの方針に最も賛同しているのはメキシコに核を投下した大西であった。
 大西はメヒカリで起きた目を覆わんばかりの惨劇を知り、何回か辞意を漏らしていた。だが彼を更迭するような真似をすれば世界に原爆投下は誤りだったとのメッセージを発信しかねないため、海軍上層部は何とか辞意を思いとどまらせている。当然ながら古賀もその一人だ。

「……まぁ何も起きない、いや起こさないのが最善だ。今後も警戒を怠るな」
「はい」

 日本軍の北米西海岸での演習も、そして大陸勢力に対する厳重な監視と封鎖も、日本の余力が乏しい現在の状況下での騒乱を未然に防止するための策であった。
 しかし武力で威嚇される側からすれば神経質にならざるを得なかった。特にイラン演習で大敗したドイツ、そして反日傾向が強い大陸勢力はより過敏となった。

「イランに派遣された艦隊とは別の空母機動艦隊が西海岸でも演習か……日本人はよほど余力があるのだな」

 先日、遂に心労で倒れたレーダー元帥に代わってドイツ海軍総司令官に任じられたカール・デーニッツ元帥は海軍総司令部の総司令室で報告を聞くとため息を漏らした。

「彼らが『環太平洋諸国会議』と呼ぶ国際会議でも、大鳳級の二番艦『白鳳』が公開される。彼らは着々と軍備を整備しているようだ」

 ドイツ海軍が護衛艦艇と輸送船の整備に汲々としている間、日本海軍は護衛艦艇と主力艦、海洋航空戦力の整備を同時並行で進め、イギリスには旧米国製の高速戦艦と正規空母を貸し出して王立海軍を梃入れしている……この事実にドイツ海軍は暗鬱となった。

「こちらが手に入れられた主力艦は旧式で低速のニューメキシコ級、いやジェファーソン・デイヴィス級だけ。カリフォルニア共和国のように高速戦艦と空母が接収できていれば」

 テキサス共和国は接収した旧連邦海軍を使用していた。
 中でも旧ニューメキシコ級、現ジェファーソン・デイヴィス級戦艦3隻はテキサス海軍の象徴のような扱いを受けていた。ただ戦艦の運用には非常にコストが掛かるため、まともに動いているのは1番艦の『ジェファーソン・デイヴィス』で、残りは置物と化している。ドイツ海軍はこの旧式戦艦を使うのに乗り気ではなかった。
 ドイツ海軍からすれば旧米国製のノースカロライナ級戦艦とヨークタウン級空母が喉から手が出るほど欲しかった。あれらを接収できていればドイツ海軍にはある程度の余裕が出来たのだ。しかし残念なことに、空母機動部隊を編成するために必要な高速空母と高速戦艦は全て日本側の手に落ちた。
 更にこれらの艦艇は一部が英国に貸し出されてカリブ海で対峙する羽目になっている。ただでさえ手駒(特に水上艦)が乏しいドイツ海軍高官たちは神を呪った。
 何はともあれ、仕事が増えたが使える船や装備が乏しい海軍、対日戦に自信がない空軍、広大な占領地(大西洋の向こう側も含む)の維持をしなければならない陸軍としては日本を刺激する策は回避してほしいというのが偽らざる本音だった。
 そんな彼らの思いとは裏腹に、ドイツ国防軍最高司令官である『ちょび髭の伍長』は己の意思を曲げていなかった。



         提督たちの憂鬱外伝 戦後編27



   昭和20年9月3日。
 この日、重慶政府を率いる蒋介石はいつものようにソビエト連邦の侵略を批判する談話を発表した。
 これだけなら夢幻会も「はいはい、ワロスワロス」と流しただろう。しかしソビエトの侵略を一通り批判した後、蒋介石はこれまで言わなかったことを口にした。

「かつて世界を破滅させんとした共産主義者は他国を侵略するだけでなく、多くの若者を他国から攫い極寒の大地で過酷な労働を強いている。そう、我々の同胞だけでなく、中国の長年の友人である朝鮮の民、中央アジアの少数民族も塗炭の苦しみを味わっている」

 日本は韓国からソビエトに流れ込む労働者については「出稼ぎ」、あるいは「朝鮮半島内部の犯罪組織の仕業」、「韓国の社会構造の問題」として積極的な関与はしなかった。
 日本側はソビエトから安い資源を手に入れるために、反日傾向が強い住民を活用できるなら、住民自身による人身売買はある程度黙認できると判断していた。事大主義の元裏切者で、無駄に気位が高く、感情的……現地住民をそう評する日本側では現地住民を同情する者はいない。現地の日本人が巻き込まれなければ「ご自由に」が日本の態度だった。
 イギリスは英日関係の好転の為に、ドイツは自身の人種政策の為に、この問題に触れてこなかった。だがここで蒋介石が敢えて公式に触れたという事実がこれまでと何かが違うことを示していた。

「ここに至り、我々は民族、主義主張を乗り越え、共産主義者の侵略から祖国と同胞たちを守るために手を携えることを決意した」

 蒋介石は朝鮮半島で行われる人狩りから逃れてきた人々の受け入れを発表すると同時に、『人道的な面』から『出来る限り』の支援を行うことを断言した。
 またソビエトの脅威に晒されている民族(朝鮮族含む)が多数参加する反共統一戦線が結成されること、彼らを『反共の同志』としてドイツが支援することが明らかにされた。

「亡命者たちは自分たちから肉親を奪った共産主義者と戦うため、重慶政府軍に志願している。我々はこれを受け入れる」
「ただし我々の力では十分な装備を彼らに支給することは難しい。だが幸いなことに反共を志す遠い友人たちが支援を約束している」
「共産主義者が力を取り戻せば、世界は巨大な災厄に襲われることになる。これを阻止するためには、目の前の利益、主義主張を乗り越え、共産主義者に対抗するしかない」

 『出稼ぎ労働者の供給』で間接的に利益を上げている日本への嫌味にも聞こえる談話に、夢幻会の面々は軽く眉をひそめた。
 おまけに自称被害者、自称亡命者が「人攫いについて訴えても『誰にも』相手にされなかった。だから親切な友人の手を借りてここまで逃げてきた」と涙ながらに訴える写真やニュース映像さえ撮られるという事態に至り、夢幻会の人間は「既視感を感じる光景だ……」とため息をつく。しかし事態はそれだけで終わらない。
 ベルリンからは『ソビエト連邦と親ソ勢力によって危機に立たされている民族の統一戦線への参加』も発表され、ベルリンの記者会見では命からがらソ連から逃げ出したとされる少数民族がソビエトの蛮行と脅威を声高に主張し、反共統一戦線に所属することを明らかにした。ただ彼らは遥か中国大陸奥地にまで出向かず、ドイツの協力(具体的には武装親衛隊による教導、物資供給など)を受けつつ欧州方面から『ソビエト及び親ソ勢力によって苛烈な支配を受ける被害者』の解放を目指すとされた。
 一連の発表の後、ヒトラー自身が壇上に上がって『反共政策』が如何に人類にとって重要なものか、ソビエトと名乗るロシアが如何に残虐かを声高に演説した。

「かつてロシアの侵略を受けた人々よ、我々の敵が誰なのか忘れてはならない」

 ヒトラーはそう言って、諸国に反共政策での協調を呼びかけた。
 また「ソビエト・ロシアへの過度な利益供与は、世界に再び災いをもたらす行為であり、これを慎むべきである」とも訴え、壇上を降りた。

「黄色いSSは今回の布石か」

 首相官邸で報告を聞いた嶋田は「また面倒ごとか」とため息をついた。
 しかしため息をついているだけでは何も進まないことを彼はよく知っている。故に多忙な日々を送る夢幻会の有力者と共に対応を協議するため、会合を招集した。

「欧州枢軸勢力圏では『日本の植民地では反体制派の植民地人をアカに売り飛ばしている』などと報道されています」

 招集された夢幻会の会合では情報局局長の堀が欧州側の動きを報告し、報告を聞いた会合の面々の多くは若干ながら嫌な顔をした。

「ドイツ外務省の反応を纏めますと『亡命は本人の意思』、『反共統一戦線は諸民族による反ソ組織』、『我が国に日本と敵対する意思はない。かの組織を支援するのはあくまで反共政策と人道上の理由』……この三点です」

 この吉田の報告に近衛は「『人道』……お前たちが言うかね、その単語……」と呟いた後、首を横に振った後、もう一方の当事者について尋ねる。

「吉田外相、蒋介石は?」
「旧中華圏、具体的には華南連邦、山西共和国、華東共和国、福建共和国に反共での共闘を呼び掛けています。まぁこちらはポーズだと思われますが」
「今の蒋介石にこれらの国々を纏める力はないからな。そうそう、ソ連は『我が国に日本と敵対する意思はない』と表明している。尾崎君の伝手でも、同様の内容が伝わってきている。最近はウラル以西の開発でも日本資本の参加が打診されているほどだ。それも驚くほど有利な形で」

 この近衛の言葉に「ウラルの鉱物資源は魅力的なんですけどねえ」と辻がボヤく。
 イギリス資本と手を組んでいる倉崎は「最近、かのフォード氏がソ連に渡って大量生産技術を梃入れしていると聞きますが」などと告げると、「ああ、英ソ協力はこちらでも聞いたことがある。ソ連が米国製兵器の系譜を受け継ぐのか」、「引き換えにイギリスがソ連兵器を引き継ぐと? 英本土でソ連チックな戦車が行進したら英国が赤化したみたいだな」、「いや下手をしたら英海軍もソ連風になる可能性が」などと騒めく。

(赤い英国……ああ、昔、そんな架空戦記を読んだ気がするが。でも我が国の今後のロケット開発は、旧ソ連の系譜に近いんだよな……日英がソ連式を多用して、本家が旧アメリカ式か……うん、何というカオス世界。どうしてこうなった、と言いたい)

 今後のことを考えて思わず頭を抱えそうになった嶋田だったが、今はそんな場合ではないと思い出して軌道修正を試みる。

「まず、目の前の問題をどうするかを考えましょう」

 強い口調でそう断じる嶋田を前に場の雰囲気は変わり、まず韓国からソ連への出稼ぎを容認していた辻が口を開く。

「報道については事実無根ということで一蹴すればいいだけです。人身売買などは『犯罪組織』の仕業なのですから……ああ、こういう組織を野放しにするような社会秩序を擁護する韓国の反日派の抵抗ぶりをより喧伝するのが良いでしょう。『近代化を妨害し、国家を中世の暗黒時代に押し留めようとする愚か者』、こう喧伝しておきましょう。ああ、出稼ぎ労働者が帰ってこないのは、まぁ『不幸な事故』があったからでしょうし……適当な理由をソ連側がでっちあげるでしょう」
「(でっちあげって自分で言うか……)それで済むかね?」

 杉山の疑問に辻は首を縦に振る。

「ええ。我々は大戦前までは韓国から外交自主権をはく奪しただけです。先の裏切りから、統帥権こそ抑えていますが、国内の統治についてはあくまで助言しているだけです」

 現在、その助言はほぼ命令に等しいが、一応、『法的』には韓国は植民地ではなく曲がりなりにも独立国だった。

「ではあくまで現地の責任に?」
「そう。そして今回のような悲劇を繰り返さないために、我が国が朝鮮半島に干渉することを、特権階級や反日派にメスを入れることを『より』正当化します。ええ、すべては我が国の国是であり、ドイツの国是でもある『反共』のためですからね」
「あの厄介者に好き好んで干渉したくはないな」
「私だって関わり合いになりたくはないですよ。まぁ件の貿易が問題視されるようになったら、動くつもりでしたし、事前に用意した脚本が前倒しになったと考えれば良いでしょう」

 「まぁ本当の問題は別のところにあると思いますが」と小さく呟くと、辻は湯呑に注がれた熱い茶を口にする。
 辻が黙ったのを見て近衛や阿部内相は「まぁ仕方がないか」とシナリオ前倒しに同意する。

「では半島からの労働力の供給は大幅に削減する、と?」
「ははは。勤労精神にあふれる朝鮮の方々による『自主的な出稼ぎ労働』や『移民』は制限するつもりはないですよ? 何しろ、かの地では一般人の所得は低いのに食料と医薬品は非常に高値で取引されており、貧困層の生活は非常に苦しいと聞きますから」
「……辛辣だな」
「いえいえ、私は何もしませんよ。これも特権階級の差し金と聞きます。ああ、全く何で彼らは『善良な』庶民に共産主義に共感するようなやり方をするのやら。これではますます特権階級にメスを入れざるを得ませんね。そもそもそのような愚か者たちに軽くお灸をすえてやるのが、伍長殿も言う『人の道』というもの……そうは思いませんか?」

 辻はドイツのちょっかいを逆手にとって、改革に反対する反日派の粛清を進める口実にするつもりだった。

「まぁ相手が多少は恩義を感じるような民族なら、我々がこれまで以上に口と金を出して、経済を引き上げることでしょうが……」

 現地の事情を知る面々は、辻が何を言わんとしたかを理解して苦い顔をするか、あるいは嘲笑を浮かべる。そして外相である吉田は苦い顔で口を開く。

「我々が何かしらの利益を供与すれば、ヒトラーに煽てられた彼らはそれ以上のものを声高に要求する、と」

 中央情報局は暗号解読でオブザーバーで参加するイラン大使が何を頼まれたかを掴んでおり、その情報はすでに関係者に周知されていた。
 それでもイラン大使のオブザーバー参加を取り消さないのは、産油国であるイランとの関係も重視しているからだ。何より彼らが何を言うかあらかじめ分かっていれば対処も容易いということもあった。そして外務省、情報局の対応で環太平洋諸国会議の場で韓国に暴発される恐れはないと判断されていた。
 だが会議場の外、特に韓国本国では物分かりの悪い者たちが、ヒトラーの甘言を真に受けて調子に乗ることも考えられる。まして日本が甘い条件で韓国に資金を投じれば『日本が譲歩した』と勝手に判断してますます調子に乗ることも考えられた。『人身売買の被害者』を自称して上海の租界経由でドイツに助けを求められると彼らが思えば尚更だ。
 辻は「ええ」と頷き、阿部内相は苦い顔で口を開く。

「要求が通らなければドイツに靡くような言動が本国で目立つようになるでしょう。場合によっては……少なくなった国内のアジア主義者や不穏分子とつるんで動くかも知れません。会議そのものを叩き壊す程ではないですが、嫌がらせにはなるでしょう。悪戯小僧が、玄関前に落書きする程度には」

 大きな打撃にはならないものの、そこそこの嫌がらせには十分だった。
 「さて、どうしたものか」と言わんばかりの顔で会合の面々は視線を交差させる。露骨に反逆をするような真似をするなら、甲案の発動もあり得たのだが、今回はあくまで『赤匪の人狩りを恐れた者たちの亡命』という形になっている。今の段階でかの国そのものを大々的に懲罰するわけにもいかない……それが場の空気だった。

「反共統一戦線という名の親独勢力と繋がるであろう半島内部の反日分子を先制攻撃して叩く、あるいは監視して身動き取れないようにするべきだろう。現地の政府要人周辺の警戒体制も強化するべきだ。『比較的』信頼のおける部隊だけではなく、海援隊なども動員する必要がある。ドイツが実際に反日派を支援していたなら、相応の対価を支払わせる」

 杉山の意見に反対する人間はいなかった。
 とりあえず対韓政策の方針は決したと判断した嶋田は一息ついたが、そこで堀が別の懸念を示す。

「問題は反共の大義の下、韓国人がソ連に対してテロ、あるいは挑発行為をしないか、も考えなければならないかと」

 実害こそは大してないだろうが、反共統一戦線(欲を言えば黄色いSS)に参加する手土産と考えた連中が何かを仕掛ける可能性は皆無ではない。
 ましてその行為が日本に対する嫌がらせになるとしたら……それを躊躇う人間はほぼいないだろう。

「「「連中はどこまで……」」」

 黄色いSSも精々、『内通した裏切者の逃げ場所程度』と思っていただけ、夢幻会の面々は苦い顔をする。尤も夢幻の彼方に消えた21世紀の世界を知る人間の中には「ナチの武装親衛隊に朝鮮系が加わるのか……あちらの人間が知ったらどう思うことやら」と意地の悪い想像をする者もいたが。

「……ソ連分割が遠のけば遠のくほど、我々に頭痛の種を提供してくれる、と。総統閣下もなかなか趣向を凝らしたプレゼントを用意してくれましたね」

 嶋田は苦い顔で、笑えない洒落を口にする。

「何か案があるのかね?」

 杉山の問いに対し、辻は首を横に振った。

「先ほど言った通りのことに加え、韓ソ国境の警備を強化するしかないかと。今回の一件で慌てて朝鮮半島に深入りするとこちらの負担が増えますから……ただ、これ以上朝鮮半島をかき回すなら、こちらもポーランドに手を突っ込む意思があると伝えることを提案します。ああ、ソ連側にも伝えておきましょう。『ソビエト連邦に渡る出稼ぎ労働者に関してソ連政府の責任の下、適切な管理が行われることを望む』とね」

 『穏健』ではなく『適切』と表現する当たり、辻の本音が垣間見えるが……そこに突っ込む人間はいない。近衛はむしろポーランドの扱いに注目した。

「警告、と」
「ええ。まぁ黄色いSSも暫くは拡大させておきましょう。こちらから間諜を送り込む窓口にもなる訳ですし」
「ドイツ人が亡命ポーランド人にスパイを潜り込ませているように?」
「ええ。まぁどうせ客寄せの広告塔でしょうから、大した情報が得られるとは思えませんが、何もしないよりはマシでしょう」

 辻がそう答える傍らで阿部内相が複雑そうな顔をする。これに気付いた嶋田が「何かあったのか?」と疑問を抱く。

「阿部さん、どうしました?」
「いえ、『反共を訴える韓国人』とアカの総本山であるソビエトの衝突を避けるために韓ソ国境に兵を出さなければならないのかと思うと、色々と複雑な思いが」

 嶋田と杉山は若干ながら頬を引きつらせ、辻と近衛は苦笑いする。

「「「……それを言ったらお終いですよ」」」

 多くの会合出席者がそう言った後、一斉にため息をついた。
 何はともあれ、夢幻会はドイツも決して間抜けではないことを改めて認識すると同時に、今回の一件に対応するためにプロパガンダの強化、軍事力の適切な誇示と勢力圏内の引き締めをより推し進めていくことも決定された。
 そしてゴタゴタが続く中、昭和20年9月10日。この日、環太平洋諸国会議に参加する人々が帝都・東京に集う。




 昭和20年9月10日。
 この日、大日本帝国の勢力圏とされる国々から派遣された使節団が一様に帝都・東京に集った。
 中東、そして北米から海路で訪れた来賓たちを、帝国海軍ご自慢の大鳳型空母2番艦・『白鳳』、ビック7として有名な長門、陸奥を中核とした艦隊が東京湾で出迎えた。
 サンタモニカ会談、そして印度洋、イラン演習でその名を轟かせた空母大鳳の姉妹艦を豪華客船の上から眺める人々は、大日本帝国こそが海洋の覇権を握る国家であることを改めて理解させられた。

「ドイツ海軍ご自慢の戦艦ビスマルクを超える大型空母を2隻も建造、配備できるとは……」
「そしてあの空母が搭載しているのは、ドイツ空軍の最新鋭機を完封できる戦闘機。比島沖海戦の結果を見る限り、搭載している攻撃機も相当の物でしょう」
「空母だけではない。老朽化した戦艦の退役を進めているとは言え、日本海軍が保有する戦艦の数は列強最多。その実力も証明済みだ」

 現時点で16インチ砲以上の大口径砲を搭載している戦艦は長門型2隻、伊吹型2隻、ビスマルク、改KGV級2隻、ノースカロライナ級戦艦2隻の合計9隻。このうち、4隻が日本の保有であり、日本勢力圏全体では6隻、日英を合わせた海洋国家陣営全体では実に8隻にもなる。そして長門型が退役する頃にはY型戦艦2隻が加わる。片や欧州側では主力艦の建造計画は『まだ』ない。独伊は空母(それも実験艦としての要素が多い)、仏は装甲巡洋艦の整備を進めている程度。この数の差は当面のところ、ひっくり返ることはない。戦艦の魔力が減衰したとはいえ、戦艦の威容が国威を未だ発揚させることを考慮すれば、この数の差は大きな意味を持った。
 サウジアラビア、イランと言った独英の勢力圏とされた中東諸国の関係者は、豪華客船の上から出迎えに来た白鳳を見て普段威張っている白人たちが零落したと感じると同時に、大いに溜飲を下げた。
 日本の活躍で白人の地位が下がったため、相対的に有色人種の地位は多少ながら向上したが、それでも白人のキリスト教徒たちがイスラム教徒のアラブ人を格下に見る態度は目につくのだ。

「イギリス人とドイツ人は必死に平静さを保とうとしているが、保ち切れていないな」

 アラブ人たちは必死に沽券を保とうとしている白人たちを内心で嘲笑した。
 同時に、自国の石油資源が日本との交渉において武器になり得ると判断した。

「日本海軍の連合艦隊は強力だが……それゆえに大量の石油が必要になる。まして中東にまで艦隊を派遣するのも莫大な燃料が必要だ。日本陸軍も機械化が進められているだけ、油を必要とする。ならば石油は有力な交渉材料となるだろう」

 このアラブ人たちの考えは決して的外れのものではない。実際、中東の石油資源は日本政府にとって無視できるものではないからだ。
 日本勢力圏の資源温存も考慮すれば、中東から石油を輸入できるようになることは大きな利益になる。このため日本は中東諸国を歓迎したのだ。たとえイラン側が韓国に余計なことを言うことを命じられていたとしても……。
 次世代の主力艦たる白鳳、前世代の主力艦の代表格たる長門、陸奥の歓迎を終えた後、デッキ上の来賓たちの目に沿岸一帯に建設された工業地帯が飛び込む。
 かつて世界最大の工業国家であったアメリカ合衆国のそれと比べても見劣りするものではない、近代的な工業プラント群に多くの白人が感心した。だが中には苦い顔でこの光景を見つめる者もいた。

「これと同じ規模の工業地帯が、この弧状列島には4つある。そして、この国の生産量はかつての祖国ほどではないが、質では多くの分野で凌いでいる。いや隔絶している分野もあった……それも戦前からだ」

 ダグラス・マッカーサー。旧アメリカ合衆国陸軍大将であり、今では新たな祖国としたカリフォルニア共和国で国家安全保障問題担当大統領補佐官として大統領に安全保障面で提言を行うようになっている。そして今現在、この男はカリフォルニア共和国使節団の一人として日本を訪れたのだ。
 ハーストは傲慢なマッカーサーによい感情を抱いていなかったが、瓦解寸前の在比米軍を纏め上げて日本軍の上陸を阻害し続けた(実態は日本が無視しただけ)という功績を前にしては何かしらのポストを用意せざるを得なかった。
 そしてマッカーサーは旧連邦軍将校と共に『なぜ祖国はあのように無残な滅亡に至ったのか』という研究を進めていた。

「我々はこの国を理解していなかった。いや情報はあっても、それを正しく活用していなかった……」

 このマッカーサーの横で彼の呟きを聞いていた一人の男が同意する。

「はい。日本機が決して侮れない実力を有しているのを英国駐在武官から報告されていたにも関わらず、上層部はそれを握りつぶしていました」

 チャールズ・ウィロビー、米陸軍時代ではマッカーサーの腹心を務めた男であり、今はカリフォルニア共和国陸軍少将となり軍政分野に進んでいた。
 ちなみに彼は使節団の人間ではない。日本の進んだ軍事技術、それに共産主義者の浸透に対応するためのノウハウを収集するため、日本で開かれる実務者協議に派遣されたのだ。日本側もカリフォルニア共和国に自国兵器、或いは技術を供与するために協議を持ちたいと思っていたこともあって、今回の訪日が実現したのだ。
 彼は日本陸軍の工廠、兵器メーカー、そして情報機関などに招かれる予定となっている。

「戦前の情報部、特に上層部の無能ぶりは目に余る。情報部に日米の衝突を煽る共産主義者が蔓延っていたと言われても納得できる程だ」

 このマッカーサーの感想は、多くの旧連邦軍将兵が一度は抱くものでもあった。
 しかしそれ以上のものをマッカーサーは抱いていた。

(問題は政府、いや政治家だな……仮に正しい情報を報告しても、政府がそれを正しく活用できなければ意味がない。シカゴの暫定政府はあのような状況でも戦争を継続させ挙句の果てにアメリカ合衆国を滅ぼした。確かに容易に講和することはできないのは判る。だが、戦い続ければ破滅しかないと判っていながら……)

 マッカーサーは孤立無援のフィリピンで、日本軍の攻撃と現地のフィリピン人の冷たい視線に耐える日々を過ごさせられた。これが政治家や文官への不信へとつながっていた。
 これは無茶な決戦を強要された旧合衆国海軍将校にも言える。

「文民統制? ふん、海のことが何もわかっていない連中が偉そうに」

 暫定政府によって散々に振り回され、ハワイ沖で多くの同僚を失い、部下に自殺攻撃を強要させる一歩手前まで追い込まれたハルゼーなどは文民統制に対して不信感を抱いていた。カリフォルニア政府はすべての責任を共産主義者や旧東部に押し付けたものの、文民統制という制度そのものへの不信が生じたのは拭い切れない事実だった。

「軍事の素人を支えるのが我々の仕事だ。だが支えられる側が、我々の話を理解しなければ、いや、わざと曲解するようなことがあれば意味がない。シカゴ政府の高官たちのように自分たちの過ちを認められない大物気取りの政治家が国政を動かせば悲劇が繰り返されてしまう。それは避けなければならない」

 マッカーサーは軍人時代に得た知見を基に、様々な提言を実施しているが、時々もどかしさを感じることは多々あった。
 かと言ってクーデターを起こして政府をひっくり返すつもりもない。

(ハーストは気に食わないが……連中のように戦争終結への道を探って日本との交渉を重ね、成果を残した者もいる。文官全員が無能という訳でもあるまい)

 自由民主主義や文民統制の存在そのものが問題ではなく、その運用や制度を補完するためのシステムに問題があったとマッカーサーは結論づけていた。
 そして既存のものに代わる運用方法や補完システムの構築こそが自身の使命であるとも考えている。勿論、その成果を売りにして更なる栄達を望む気でいるが……。

「まずは情報機関の立て直しだな。目耳を潰された状態では戦いにもならん。君は色々と日本各地を見て回るらしいな?」
「はい。有益な情報を日本側から入手してくるつもりです。出来るなら日本最高、いえ今では世界最高のシンクタンクと呼ばれる総合戦略研究所も見たいところですが」
「さすがにそれは無理か」
「はい」

 日本の飛躍を支えてきたとされる日本最大にして最高の頭脳集団・総合戦略研究所。マッカーサーも一度は招待されたい場所であるが、カリフォルニア共和国の関係者でそこに招かれた者はまだ居なかった。

「……あの機関は、政府、軍、経済界、様々な場所に影響力を有していると聞く。あのような組織が今後必要になるのかも知れないな」
「何はともあれ、出来る限り有益な情報を入手してくるつもりです。全ては偉大なる祖国のために」

 ウィロビーが言う『偉大なる祖国』が何かを理解したマッカーサーは笑う。

「ああ、すべては偉大なる祖国のために」

 一方、日本政府が用意した政府専用機を使って日本を訪れた貴賓に対しては、印度洋、イラン演習でその名前を世界に轟かした疾風が出迎えを行った。

「これはこれは……」

 日本が誇る超大型爆撃機・富嶽を改造した政府専用機を用意してもらった上、世界最強の戦闘機を出迎えに寄越し、来賓が地上に降りた後は軍楽隊で盛大な歓迎式典を行うという歓待ぶりに多くの来賓が頬を緩める。
 ただし日本の金と武力で植民地から脱却できた東南アジアの元植民地人たちは、日本帝国に対する警戒を完全に解くことはしない。
 インドネシア独立準備政府首班であり、将来のインドネシア初代大統領と目されるスカルノは日本の力を知れば知るほど、自分たちを後援してくれる日本を頼もしく思うと同時に警戒するようになった。

(日本政府は暫くの間、我々の支援をするようだ。だが、日本が掌を返せば恐ろしいことになる)

 ソビエトやドイツのように平然と条約を破らないだけ、まだ信用できる。しかしそれでも、日本が方針を変えればあっというまにインドネシアは窮地に陥る。
 おまけに太平洋で日本に対抗できる国家は存在しないのだ。自国近海に日本が誇る無敵艦隊が遊弋し、自分たちの頭上を富嶽が飛び回るようになれば、どんなに理不尽な要求をされても泣く泣く受け入れるしかない。

(今すぐ、そんな事態にはならないだろう。だが国家に永遠の友人は存在しない……)

 しかしそれでも今は日本に全てのチップを掛けるしか方法がないのがインドネシア側の現状であった。
 スカルノと同じように日本の動きに恐れを抱く参加者は少なくなかった。何しろ、彼らの視点から見れば大日本帝国という国家はその気になれば自分たちをいつでも抹殺できる大国でもあるのだ。
 稲荷計画の拠点として選ばれたタイ王国の代表団でさえ、日本の動きに細心の注意を払った。

「我々はすでに一度過ちを犯した。次にまた誤れば亡国に繋がりかねない」

 タイ王国から国王の名代として参加したラーマ王子はそう言って気を引き締める。
 タイ王国は東南アジアにおける日本の代理人、或いは誠実な仲介者となることを日本側から期待されていることを理解しており、その役目を果たそうと必死だった。
 一方、日本勢力圏では古参であるはずの韓国側は胃が痛い思いをしていた。日本からは「ここで何かしでかしたら、潰す(意訳)」と何回も釘を刺されており、使節団の中で馬鹿な真似をする人間はいない。

「地球の反対側のドイツが援軍に来る可能性がどれだけあると思っているんだ? そもそも日本が本気になったら上海のドイツ租界にさえ行けなくなるぞ!」

 まともな人間はそう言ってドイツとの連携など『論外』と切って捨てていた。しかしまともな人間が多数派になるとは限らない。まして彼らの祖国では感情こそが至上であり、そのためには法すら捻じ曲げる者が多い。そんな彼らに日本側が冷たい視線と態度を見せるのだから、ますます激昂して日韓関係が拗れる要因となっている。
 かと言って日本が下手に出れば「自分たちの立場が上」と勘違いして調子に乗るのが彼らなので、どうすることもできなかった。

「とりあえず、この会議を無事に終わらせることを考えよう」

 そんなやり取りがされているとは知らない(ある程度予測はしているが)日本側は、東京に用意した専用宿舎を訪れた来賓たちを盛大にもてなしつつ、翌日以降の催し物のチェックに余念がなかった。
 11日には皇居で天皇陛下と拝見、新型陸攻『天山』のお披露目を含めた軍事パレードなどが予定されており、12日には国会で環太平洋諸国会議が開催される予定となっている。どれも失敗は許されないため、関係者は気合を入れていた。特に『天山』は現在のドイツでは迎撃が困難なものであるため、更なる抑止力となると期待されていた。
 ただし軍事力を大々的に誇示する、あるいは行使することで敵を抑え込む政策が成果を挙げるほど、日本国内で武断主義が持て囃される風潮が根強くなるため、夢幻会にとっては痛しかゆしでもあった。

「些か副作用の強い薬で対処するしかないというのが、歯がゆいところです」

 首相執務室の応接用のソファーに座っていた辻は、苦い顔をして現状を嘆く。
 国力面で史実を超えているとは言え、決して潤沢とは言えない台所事情を抱える帝国を支える男からすれば、現状は愚痴の一つでも言いたくなるものであった。

「御目出度い連中も多い。現状でも、本来は民政に振り向けたいリソースをどれだけ軍事に注ぎ込んでいるか判っているんでしょうかね? メガネだけでなく、目と耳もまとめて交換することをお勧めしたいところです」

 辻の向かい側に座り、先ほどまで今回の会議とその後のことを話していた嶋田は苦笑する。

「支配地域が太平洋全域。仮想敵国筆頭が約束破り上等のドイツですから、仕方のないことかと。ソビエトもそうですが、あの連中は条約も協定も簡単に破りますから」
「片やイギリスは三枚舌。フランスもイタリアも油断できたものではない。大陸勢力は言うに及ばず。全く、このご時世でも人は毒の盛り合いを続け、隙あらば隠し持ったナイフで隣人を刺そうとする。人間の業というものは罪深いものですね」
「……つける薬でもあればいいのですが」
「死んでも治りませんよ。他ならぬ『我々』がそれを証明しています」
「ははは、本当に全く救いようがありませんね」
「我々は、少なくとも私は実在するかも判らない神に救いの手を求めても仕方ないと割り切りますよ。我々にできるのは時計の針を進めることだけです。時計の針を戻すのは……ドイツ人に任せましょう。ええ、自称・優良種さまにね」

 辻の手元には、英国経由で入手したドイツの電子計算機事情に関する情報があった。そして辻は史実の情報と照らし合わせてドイツの電子計算機が著しく遅れていると判断した。

(ドイツ人は当面の間、真空管の計算機しかない。このままいけばこちらはICに移行し、LSIの開発も進んでいる。ソフトの差は言うまでもない。いや、技術があちらの21世紀に近づくにつれて、こちらの技術開発は加速するから、その差はさらに開く。いや開かせて見せよう)

 プライドが高いヨーロッパ諸国が日本どころか、彼らが嘲る東南アジア諸国にさえ脅かされかねない状況に陥った光景が脳裏に浮かんだ辻は、黒い笑みを浮かべた。
 そんな黒い考えを感じた嶋田は改めてため息をつくと、諫めるように言う。

「……我々の目的は『勝つ』ことではなく、『日本の繁栄』であることを忘れないでくださいよ。目的と手段を取り間違えては本末転倒になりますからね」

 この台詞を聞いた辻は咳払いして、頷く。

「確かに。気を付けるとしましょう」

 神妙な顔で言う辻を見て、嶋田はひとまず安心する。だがその次の言葉がすべてを台無しにした。

「神話の再現は一度で十分です。二度目は御免被りたいものです」
「……二度目をする気があったんですか? そもそもそのプランがあると?」
「ははは。冗談ですよ、冗談。そんなに気にしないでください」
「そ、そうですよね。冗談ですよね(笑えないんですよ、貴方が言うと……)」

 そして首相と蔵相、大日本帝国の中枢を担う男たちは笑いあった。片方は幾分か乾いた笑みであったが……。
 かくして環太平洋諸国会議に参加する役者はそろい、舞台の幕が上がる。









 あとがき
 お久しぶりです。earthです。
 提督たちの憂鬱外伝 戦後編27をお送りしました。
 長くかかった割には話が進んでいない……次回以降、色々と話が進むはず……です。
 それでは拙作にもかかわらず最後まで読んで下さりありがとうございました。
 戦後編28でお会いしましょう。