西暦1945年5月5日。
 この日、再建されたセイロン島・コロンボ港に大日本帝国海軍遣印艦隊とイギリス王立海軍東洋艦隊が一堂に集っていた。

「世界の半分が滅びかけたというのに、これだけの軍艦がまだ残っているとは……」

 伊吹の艦橋から見える光景に栗田中将はそんな感想を漏らす。
 そしてその感想は決して的外れなものではなかった。
日本海軍遣印艦隊は超大型空母『大鳳』、軽空母『紅鳳』、『海鳳』、戦艦『伊吹』、『鞍馬』を中核とした一大機動艦隊であり、イギリス海軍東洋艦隊も装甲空母『イラストリアス』、『ヴィクトリアス』、巡洋戦艦『フッド』、戦艦『プリンスオブウェールズ』を基幹とした有力な機動艦隊だった。

「ですがイギリスの巡洋艦不足は是正されていないようです。我が国が売却した阿賀野型を改装して空母部隊に随伴させる程ですから」

 参謀の言葉に栗田は頷く。

「そうだな」

 イギリス海軍は先の大戦と津波で多くの巡洋艦に被害を蒙った。さらにこの大津波のせいで補充もままならかった。このため日本から購入した阿賀野型を改装したリバー級軽巡洋艦を空母の護衛に使っている。
 日本海軍からすれば「あれは航路防衛のための艦なのだが」と突っ込みたくなるが、そんな艦でも使わざるを得ないのがイギリス海軍の現状であった。何しろ英海軍の巡洋艦は数が不足しているだけでなく、質の面でも問題があるという泣きたくなるような状況なのだから……。

「イギリス本国はかなり窮乏していると聞く。彼らにも余裕がないのだろう。まぁ我が国にとては痛しかゆしだが……」

 この栗田の言葉に異を唱える者はいない。むしろ口の中で「天罰覿面だ」、「因果応報だ」と呟く者さえいた。
 日本海軍の軍人たちにとって、どんなに言い繕ってもイギリスは卑劣な裏切り者であった。戦前は高慢なところがあっても、有力な同盟国ということで耐えていた部分があったが、先の大戦において血と汗を流した引き換えが露骨な裏切りとなれば反英感情が一気に高まるのは当然の流れだった。

(気持ちは分かるが……やれやれ、多門丸とも話をしておく必要があるな)

遣印艦隊空母部隊を統括する山口中将は嶋田政権が禊という形でイギリスから様々なものをせしめていること、そして山本海相から裏事情についてある程度知らされていたことから、栗田とともに部隊の不満が高まりを押さえる努力をしている。
 故に彼らの苦労は高止まりだった。

「何はともあれ、今度の演習は成功させなければならない。四式戦が艦上機であることの意味を理解できない筈はないからな」

 栗田はそう言って宥める。
 現状において、イギリスとの協調を推し進めている夢幻会派でさえ、イギリスに対する不信感と嫌悪感は拭い切れるものではない。
 対英協調外交の旗振り役とされる嶋田でさえ、イギリスに対して疑いの目を向けているのだから、それ以外の人間がどのように思っているかは言うまでもない。
 実際に地中海やBOBで多くの犠牲を払った下級士官、兵士達は特にその傾向が強かった。
 そのように負の感情が募っている中でも、遣印艦隊の士気やモラルが維持されているのは「卑怯者の前で無様な真似だけは晒したくない」との思いがあるからだ。
 このような現場の将兵の思いは、様々な形で後方に届けられていた。

「……まぁまだ許容できる範囲ではあるが、あまり好ましいことではない、か」

 首相官邸の執務室で報告書を読んだ嶋田は、書類を机の上に置く。
 そしてソファーに座っている山本海相、古賀軍令部総長、そして元海軍情報部長にして、総研軍事顧問の堀予備役海軍大将を見る。

「なかなかに前途多難だ」

 この嶋田のぼやきを聞いた三人は苦笑する。

「仕方ないだろう。将校での反英感情がこの程度で済んでいるのが救いだ。まぁこれでも宮様や貴様たちが進めた教育改革の成果かも知れんな」

 山本の言葉に嶋田は笑みを浮かべる。

「そう言ってもらえると、骨を折った甲斐があったな(本当は対米戦争回避が最大の目的だったんだが……これは言えないな)」

 夢幻会は陸海軍の士官教育の過程において軍事だけでなく政治・外交についても徹底した教育を行い、研究を実施させていた。
 これらは本来、史実での仏印南部進駐のような迂闊な軍事行動をとって余計な緊張を高めないためのものであり、本来は対米戦争を回避するための方策の一つだった。
 残念ながら対米戦争は勃発してしまったが、それでもこの教育改革は現状においてそれなりに効果を挙げていると言える。

(まぁ軽挙妄動されるよりはマシか)

 そんなことを思いながら、嶋田は別の書類を手に取って話題を変える。

「それにしても、イギリスも噴進機を既に開発したとは……まだまだ、油断はできないか」
「大英帝国の底力という奴だな。工業力こそ衰えたが、技術面ではまだまだ見るべき面が多いということだろう」

 山本の意見に嶋田は頷く。
 二度の世界恐慌と大西洋大津波で大きな打撃を受けた筈のイギリスが突貫でジェット機を実用化した事実は非常に興味深いものだった。

(まだ生産数が少なかったとは言え、英国の防諜能力も恐るべしというべきか? それとも情報部の失策か……他国の技術を軽視する傾向があるとすれば問題だな)

 嶋田は色々と考えた後、話を再開する。

「……まぁインド洋演習もそうだが、次のイラン演習も重要だ。少なくともあの模擬戦では絶対に負けられない。真っ向からやって容易に負けるとは思えないが」
「総研としてもそれは同意します。イランで敗北するようなことがあれば外交面で問題が出てる可能性があります」

 堀の意見に古賀は重々しく頷く。

「勿論、負ける気はありません。元々、遣印艦隊の疾風には海軍の搭乗員の中から選りすぐりの逸材を選抜しています。BOB、冬戦争、先の対米戦争で頭角を現した者たちも大勢おり、機体、人材ともに問題はありません」
「海軍省も今の布陣が最善と思っている」

 嶋田は日本海軍の最精鋭が操る四式戦闘機『疾風』と戦うことになるであろうドイツ軍人に軽い同情を覚えた。
 兵器スペックで言えば、疾風相手に史実Me262クラスの機体では勝ち目などないのだ。加えて日本側はパイロットスーツについても進化を進めており目に見えない部分での差は大きく広がっている。

(まぁ負けるわけにはいかないのだ。現場のドイツ人には技術者やゲーリングを恨んでもらおう)

 彼らはそのあと、印度及び中東情勢についていくつかの会話を交わした後、山本と古賀はその場を後にした。
 そして2人が出ていった後、少しして嶋田は堀に頭を下げる。

「堀、貴様には悪いことをしたと思っている」
「ああ、海軍大臣のことか? 別に気にすることはない。それに俺は今の職を結構気に入っている」

 海軍情報部を長年纏め上げた男は、気さくにそう笑った。
 嶋田が海相を誰かに譲る際の候補の中には堀も入っていた。そもそも日米開戦がなければ嶋田が軍令部総長と海相を兼任することはなく、堀がどちらかの役職についていたのだから、人選としては問題はなかった。だが結局は山本が海相として選ばれた。

「戦後、陸軍と協調を維持するためには、対支戦で陸軍から感謝されている山本が海相にいたほうが都合がいいからな」

 堀の台詞を聞いた嶋田は苦笑し、それを見た堀は話を続ける。

「それに、宮様や近衛さんからも裏の事情は聞いている。恨むどころか、俺はお前に同情するよ」

 さばさばとして言う堀に嶋田は素直に頭を下げる。そして頭を上げると表情を引き締めて、話を切り出す。

「……しかし現在、状況は風雲急を告げている。そして海軍情報畑で経験を積んだ貴様には、今の職は役不足だと思っている」
「では?」
「ああ。中央情報局局長はもうそろそろ交代の時期だ。だから、その後釜になってもらう」
「おいおい、俺はもう老人だぞ?」
「情報局はさらに組織を拡大しなければならない。その手綱を握る人材が必要なんだ」
「反対する者はいないのか?」
「反対する人間はこっちで抑え込む」
「まったく、嶋ハンは怖い人間になったな」

 冗談半分で言う堀に対して、嶋田は憮然とした顔で言い返した。

「怖い人間にでもならなければ……こんな仕事、やってられんよ」



             提督たちの憂鬱外伝 戦後編15



 演習のためにインド洋に日英の大艦隊が集結しているとの情報は、諸外国の知るところとなっていた。
 日英両政府は日英の海軍力を喧伝することで当面の抑止につなげようと考えていたため、この演習のことを諸外国に積極的に宣伝したのだから、それは当然のことと言えた。
 そしてこれだけの艦隊が集まっているにも関わらず、何もしないという選択肢は欧州諸国にはなかった。

「連中の動きを監視しろ!」

 ヒトラーの命令を受けたレーダーは潜水艦や漁船に偽装した情報収集艦をインド洋に送り込んだ。

「また日本海軍が相手か……」

 IXD型潜水艦『U181』艦長を務めるヴォルフガング・リュート中佐は、発令所で少しゲンナリした顔でそうつぶやいた。
 対英戦の際にUボートは日本海軍に大いに苦しめられ、多くのUボートが撃沈された。彼も何度か命の危機に追いやられたため戦場ではあまり会いたくない相手と思っていた。

(……まぁ戦場ではないだけまだ良いか。しかし可能ならXXI型が欲しいどころだな)

 ドイツ海軍は対英戦での反省、そして日本の高速潜水艦の情報から独自に高速潜水艦の開発・建造を進めていた。
 対ソ戦や復興事業によって海軍予算が絞られる中、ドイツ海軍は何とかXXI型と呼ばれる潜水艦の開発に成功したのだが、技術的な問題を完全に解決できず、本格的な量産は45年後半に先送りされていた。
 このためドイツ海軍は既存の遠洋哨戒行動用の航洋潜水艦を送ることになったのだ。
 そして、このドイツの動きに続くようにフランス、イタリアなども次々とインド洋に艦船を送り込み、情報収集にあたった。対日融和外交を進めるイタリアであっても、やはり日本海軍の情報収集は必要不可欠だった。
 勿論、このような欧州枢軸諸国の動きは、既に日英海軍の察知するところとなっていた。
 日本海軍は暗号解読と磁気探知機を搭載した対潜哨戒機を多数インド洋に飛ばすことで、欧州側潜水艦の動きを大まかながら把握していたのだ。

「だまし討ちはないと思うが、警戒は怠るな」

 空母大鳳で一連の報告を聞いた山口中将はそう命じると、その視線を机の上の作戦図に向ける。
 作戦図の周辺にいる参謀たちは、これまで集められた情報をもとにインド洋の海図に欧州枢軸軍の艦艇を示す駒を置き、彼らの行動について考えを張り巡らせていた。

「独海軍も必死のようだな」

 机のそばに寄った山口の口から洩れた感想に、参謀長の有馬少将は頷く。

「確認できたものだけでも潜水艦8隻、不審な漁船が4隻……この倍以上の艦が周辺海域にいても不思議ではありません」

 有馬少将の意見に山口中将は同意する。

「欧州諸国にとって最大の脅威が我々だからな。少しでも情報は収集したいのだろう……不審船に対する電探の使用は慎重に行うことを徹底させろ」
「はい」

 日本海軍の電子技術は世界最高峰と言われるが、電探の性能諸元については最高機密に指定され、機密漏えいについては細心の注意が支払われていた。
 嶋田たちは「電子戦での敗北は深刻な事態を招く」と口を酸っぱくして言っていたことに加え、旧アメリカ海軍が電子戦で敗北したためにどのような苦境にあっていたかが調査で明らかになるにつれて将兵も問題意識をもって機密保持に努めるようになっている。
 しかし電子兵器が登場しない時代を過ごしてきた中年期の男たちにとっては、この電子兵器の進歩は戸惑いを覚えさせるものでもあった。

(まったくSFの世界のようだ……小沢さんも戸惑っていたが、やはり技術の進歩が著しい)

 名将と言われる山口でさえ、戦前には想像もできなかった技術や戦術の進歩に戸惑いを覚えた。

(俺はこの技術の進歩に取り残されないだろうか。総研、いや夢幻会は技術開発を加速させていると聞く……しかしなぜ、彼らは技術先進国であるドイツやイギリスさえ持てなかった技術を短期間で開発できるのだ? 噂では試行錯誤があまりないと聞くが、そのようなことが可能なのか?)

 情報漏えいによって、ある程度の階級を持つ者たちにとって夢幻会の存在は公然の秘密となっていた。
 夢幻会の功績なども流れてくるにつれて、帝国の隆盛を支えた功労者という認識はあるが、一部の人間はその異質さを感じ取っていた。

(いくら天才でも試行錯誤はあった。それが無いというのは……試行錯誤が少ないのではなく表に出ていないだけか? いや、しかし……)

 自問自答する山口。だが部下の視線に気が付くと、慌てて気分を切り替える。

「それと……英国海軍の動向にも目を配れ。連中は電子兵器の情報収集に躍起だからな」

 それは言外に「イギリス軍は信用するな」と言っているに等しいのだが、それを咎める者はいない。

「『今日』は友軍だが『明日』もそうだとは限らん。ただし、無暗に『今日の友軍』を敵に回すような行為は慎め」

 片やイギリス側は、日本人から向けられる侮蔑と疑いの目に気づいても何も反論できなかった。
 なぜなら日本人が言っていることは概ね正しく、これまでの所業から口で何を言っても信用されないことを彼らはよく理解していた。
 東洋艦隊旗艦『プリンスオブウェールズ』の艦橋では幕僚たちが半ば諦めた顔で、日本側の反応について話し合っていた。

「……提督、やはり、日本人はまだ我々のことを疑っているようです」
「仕方ないだろう。彼らからすれば、あれだけ献身的に戦ったにも関わらず裏切られたのだ。我々が逆の立場なら、皮肉だけでは済まないだろう」

 東洋艦隊司令長官のフィリップス大将はそう言ってため息をつく。

「ハリファックス政権のツケは大きかったな……」

 フィリップス大将の呟きは、英海軍の将校なら誰もが一度は呟くものであった。

(我々に実績があれば、日本人にここまで言われることはなかったのだが……)

 何しろイギリス軍は先の大戦以降、ドイツを相手に碌な戦果をあげられなかった。海軍はUボートによって商船を撃沈され続け、陸軍は大陸で大敗した上に、重装備を捨てて逃走。空軍はBOBで敗北して英本土南部を散々に荒らされたのだ。
 ここまで不甲斐ないと、発言力などあるわけがなく、日本でイギリスと組むことを疑問視する声があがる一因となっていた。
 そしてフィリップス達イギリス軍人にとって更に頭が痛いのは、イギリス軍の再建が遅れ気味であるということだった。
 何せ大西洋大津波と第二次世界大恐慌、さらにサイクロンによるインド情勢の悪化……これらの事態を受けてイギリスの国力は大いに消耗し、対独戦で消耗した戦力の補充にさえ苦労する有様だった。
 さらに北米に軍を展開させたため、そちらにも兵力を貼りつかせなければならず、イギリス軍は乾ききった雑巾を無理やり絞るかのように部隊を運用しているのが現状だった。ハリケーンやスピットファイアなどの既存機は北米での需要も増えたため、新型機のラインを増設するのも一苦労だ。
 航空機の供給力が低下する中、需要は減るどころか増える一方。このため、イギリスは日本から大量の航空機を輸入するようになったのだ。
 まぁ日本が意図的にイギリスの航空機開発を妨害するように様々な嫌がらせ(整備が難しい二重反転プロペラ機を見せつける等)などしたため、英軍の航空行政が混乱したという事情もあったが……。
 何はともあれ、一連の事態を重く見たイギリス政府、正確には円卓会議はインドの放棄を正式決定し、撤収準備に取り掛かっている。

「現状でインドを維持しても、利益は得られない」

 円卓会議はそう結論付けた。
 イギリス政府は演習で英海軍の健在ぶりを示すと同時に、演習後に国民議会との間でインド独立を約束し、それを文章で残すことになっている。
 彼らは文章で独立を保証することでインド人を少しでも大人しくさせ、内戦勃発までの時間を稼ぎ、それまでにさっさと引き上げるつもりだった。
 ちなみにインド内戦で発生した混乱を利用する計画もあったが、ユーラシア各地で民族対立が深刻になっている状況から見送りになっていた。逆にイギリスは一連の混乱が周辺(特に東南アジア)に拡大するのを防ぐ方向で動いている。

「まぁ過ぎ去ったことを言っても仕方ない。今後は我々が彼らの友軍として相応しい能力を持っていること、そして再びあのような恥ずべき裏切りをしないことを証明しなければならん」
「はい。『ペレグリン』の出番です」

 イギリス海軍は太平洋での戦いを見て、空母機動部隊の整備を進めた。
 しかし悲しいことに英海軍にはまともな艦上攻撃機がなかったため、初期は日本から輸入した九七式艦爆、九七式艦攻を載せることになった。
 そこで更なる問題が生まれた。イギリス海軍の空母は防御力と引き換えに搭載機数が乏しいため、艦戦と艦爆と艦攻、これらをすべて載せて運用するのは色々と問題が多かった。
 現在、英海軍はアークロイヤル、イラストリアス、フォーミダブル、ヴィクトリアス、そしてカリフォルニア共和国から借りたヨークタウン級空母『ブリティッシュコロンビア』(旧名:ホーネット)の五隻の正規空母を保有しているものの、アークロイヤルとブリティッシュ・コロンビア 以外の三隻はどれも搭載機数が軽空母並(搭載機によっては祥鳳型よりも少ない)という有様だった。
 このためイギリス海軍が採用したのが輸入した烈風を改造した戦闘雷撃機『ペレグリン』だった。
 一機種で全ての任務をこなすマルチロール機……夢幻会の人間が聞いたら色々な感想を抱きそうな構想であったが、イギリス海軍はそれを実現した。引き換えに調達コストはうなぎ登りだったが、それでもペレグリンで戦闘機と攻撃機を統合できたのは大きな成果と言えた。

「……あとは、君たちがヴィクトリアスに持ち込んだ新型機か」

 フィリップスは自信満々の技術者達を見た。

「グロスターミーティアF.2の艦載機仕様であるシー・ミーティア。あの機体なら大英帝国の底力を日本人にも見せつけることができます」

 イギリスは性能向上に限界がある遠心式ジェットエンジンであるものの、ドイツに一歩先んじる形でジェットエンジンの開発に成功していた。
 彼らはBOBでの敗北後、ドイツとの再戦に備えて新技術の開発を進めていた。新技術の中にはジェットエンジンも存在した。
 大西洋大津波、第二次世大恐慌、そしてその後の異常気象、そしてジェット機について懐疑的な上層部など様々な問題によって開発は難航したが、富嶽を見せつけられたイギリス人技術者たちは死にもの狂いで開発を行い、遂にドイツに先んじてジェット戦闘機『グロスターミーティア』の実戦配備を可能とした。
 苦しい懐具合から、本格量産は難しかったがイギリスは少しずつであるがこの機体を生産し、政府はこのインド洋演習ではシーミーティアの先行量産型をお披露目することで大英帝国の威信を示すことを考えていた。
 尤も一部の軍人、特に空軍の航空行政に不信感を抱いている海軍軍人は新型のスピットファイアより僅かに速い程度の機体で、日本自慢の新型機に対抗できるのかと疑っていた。

(嫌な予感しかしないが……)

 フィリップス大将は不吉な予感を覚えた。
 そもそも使い物にならない艦上機を押し付けられてきた彼らからすれば空軍のお墨付きなど、信用するに値しないものだった。
 だがそれ以前に、この機体を早めにお披露目すると悪いことが起きるのではないか、そんな考えが脳裏によぎる。故に彼はある決断を下した。

「この機体のお披露目は後回しにしよう。なに、主役は遅れてやってくるのがセオリーだからな」




 そして西暦1945年、昭和20年5月6日。この日は多くの人間にとって忘れられない時となった。
 午前中は日英両艦隊がそれぞれ見事な艦隊運動を披露し、世界第一位と第二位の海軍の実力をアピールした。そして午後に入ると目玉である新型機のお披露目となった。
 イギリス側はまず戦闘雷撃機『ペレグリン』を送り出した。烈風の改造機をマルチロール機として使う英海軍に、日本海軍の軍人は感心する。

「烈風に爆撃だけでなく、雷撃もやらせるとは……」
「調達費用が高くなるのでは?」
「そもそも搭乗員の訓練も……」

 様々な問題が提議されたものの、少ない搭載機を有効に活用するため英海軍が並々ならぬ努力をしていることを、誰もが感じ取った。
 同時に山口は今後の日本海軍でもこの手のマルチロール機が必要になると考えた。

「大鳳型空母が量産できない以上、祥鳳型のような軽空母が数の面で主力となる。ならば、この手の機体が必要になる……」

 片やイギリス海軍は日本軍が持ち込んだ四式艦上警戒機『旭光』に注目した。

「日本はすでに航空機にすらレーダーを搭載し、それを運用しているのか……」
「日本艦隊を攻撃するとしたら、この電子の目を掻い潜らなければならないが……現状では難しいな」

 日本側は航空機のジェット化と高速化を見据え、現状の駆逐艦による外周警戒では探知距離が短く対処時間が取れなくなる事を想定して早期警戒機の先駆けである艦上警戒機『旭光』を開発した。当初は機上での迎撃誘導等の管制を行う事も考えられたが、現状で機載できる電子機器を考慮すると時期尚早と判断され警戒のみとされた。それでも旭光に搭載された電探で探知された情報が母艦とデータリンクされることで、艦隊の迎撃能力は飛躍的に向上している。尤も高翼式の双発機で艦載機としては従来にない大きさであるので、運用できる艦は非常に限られているが……。
 何はともあれ、ここまでなら特に両者ともに問題はなかった。
 そう、疾風が登場するまでは。

「疾風が量産されれば、日本海軍に敵はないな」

 フィリピン沖、ハワイ沖海戦でエースとなった武藤金義飛曹長は、自身が乗る四式艦上戦闘機一一型『疾風』の操縦席でそう確信した。
 2年前に登場したばかりの烈風改さえ比較にならないほどの加速を自分の体で味わいつつ、疾風に追いつけず次々に脱落するペレグリンとコロンボ基地所属の新型スピットファイア(Mk.C)を見た。

「ふ、中には骨がある奴がいるようだな」

 何とか追い縋ろうとするスピットファイアを確認すると、武藤はさらに機体を加速させた。
 推力3200kgという時代を先取りした倉崎が誇る軸流圧縮式噴進発動機「誉」。そしてノースロップ技術陣によって適用されたエリアルールにより、音速付近での抗力増大を抑えられるめりはりがある機体の組み合わせは、その能力を存分に発揮した。

「こいつについてこられるか?」

 推力3200kgの誉エンジンが5t以上ある機体を一気に加速させる。 1100km/hもの最大速度を叩き出す誉エンジンが齎す加速はレシプロ機では考えられないものだった。スピットファイアのパイロット達は「まだ速く飛べるのか!?」と驚愕し、動揺しているのが武藤にも判った。

「零戦(烈風)とは違うんだよ! 零戦とは!」

 強力なGによってシートに体を押さえつけられているにも関わらず、武藤は高らかに笑った。
 辺りを見渡せば、英軍のスピットファイアは常識をはるかに超える速度で飛び回る『疾風』に追いつけず、次々に脱落していった。グリフォンエンジンを搭載し、整備性が悪い二重反転プロペラを採用した機体でさえ、赤子の手を捻るようにあしらわれる……それは英軍にとってはもはや悪夢としか思えない光景だった。

『何て化物を作り出したんだ、日本人は!』

 その台詞は、搭乗員達だけでなく、その光景を見ていた者達すべての感想だった。
 イギリス海軍大将であるトーマス・フィリップスはプリンスオブウェールズの艦橋で茫然とすると同時に、シーミーティアを出さなくてよかったと安堵した。
 フィリップスやヴィクトリアス艦長は信じられない程の速度と機動性を持つ疾風を見て、間違いなくミーティアでは勝てないと判断すると、慌ててミーティアのお披露目を中止したのだ。

(大恥をかくところだったな……)

 ミーティアを少し超える程度の機体ならば、まだ救いはあった。
 しかし出てきたのは、ミーティアなど鼻で笑えるような驚異的な性能を持った戦闘機だったのだ。そんな化け物の対抗馬と言って鼻高々にミーティアを出してぼろ負けするより、『秘密兵器』のままにしたほうがまだマシだった。
 ヴィクトリアスの艦橋で茫然としているであろう技術者達を想像した後、フィリップスは壮絶な溜息をついた。

(しかし、これで戦闘機の開発計画は根底からひっくり返ったわけだ。本国は大騒ぎだな)

 上層部や技術者達は、今後グロスターミーティアの性能を向上させるつもりだったが、この様相では多少性能を向上させても対抗できないことは明らかだった。勿論、新型のレシプロ機も同様だ。
 イギリス空軍省や各メーカーが頭を抱えるのは目に見えていた。これからドイツ人が受ける衝撃よりはマシとは言え、どれだけの技術者と将校がノイローゼになるか判ったものではない。

(もう、いっそのこと、日本の戦闘機を主力に据えたほうが早いかもしれないな)

 レシプロ機とは異なる異形の、それでいて優美さを感じさせる機体が轟音と共に、既存の戦闘機では全く考えられない程のスピードで空を駆けていく光を見ながら、フィリップスは英国人らしからぬことさえ考えた。その直後、ある疑問が脳裏に浮かぶ。

「……参謀長、いくら日本人でも、あのようなものを短期間で、一朝一夕で作れると思うかね?」
「空軍の話を聞く限り、ジェットエンジンは試行錯誤の連続だった筈です。それに初期に生産された機体はさらに性能が低かったようですが」
「では、あの機体が配備される前には、何機もの試作機、いや実験機が作られていた訳だ。それもミーティアに匹敵、あるいは凌駕するようなものが」

 フィリップスの言葉を聞いて幕僚たちは顔を蒼くした。

「そ、それは……」
「日本と我々の間にはどれだけの格差があるのやら……」

 フィリップス大将はそう言って溜息をついた。

「コロンボでの晩餐会がある。そこで色々と探ってみるとしよう」

 日英合同演習の後、イギリス側は遣印艦隊の乗組員を盛大にもてなすつもりだった。
 イギリスは日本海軍の反英感情を少しでも和らげるためにも、可能な限り上質の料理、酒、煙草、そして女をコロンボに用意した。インド総督であるマウントバッテンが「現代の酒池肉林」と評したほどのものであり、日本艦隊の将兵はこれらのサービスをすべて無償で受けることができるという破格の扱いだった。
 飢餓に苦しむ住民たちが見たら激怒しそうな催しものであったが、イギリスはそれだけの御持て成しをする意味はあると判断していた。
 
(多少なりとも有益な情報を得られれば良いが……)

 現状において非合法的な方法で日本の重要な情報を入手するのはリスクが高すぎた。
 このため考えられる歓待をすることで、少しでも日本人の口を軽くして情報を引き出したいとの思いもイギリス側にはあった。
 日本側もこのイギリスの下心については察していたが、情報漏洩を完全に防ぐ手立てはなかった。艦隊乗組員に外出禁止を命じれば、漏洩防止は不可能ではないだろうが、それをするとあれだけの準備をしたイギリスの面子を傷つけかねない。故に栗田は厳重に注意を行い、単独行動は可能な限り控え、複数の人間で行動せよと指示を出した。
 そして艦隊の長である栗田は山口、そして一部の幕僚とともに迎賓館で開かれた豪華な晩餐会に参加した。
 高級料理がズラリと並び、一流の演奏者たちが奏でる心地よい音色が流れる会場。そして日本海軍軍人を持て成すのはマウントバッテン卿を筆頭としたVIP達。
 まるで自分たちが途方もない重要人物になったかのように思える会場で、栗田は自分の役目を果たそうとした。

「どうですか。我が軍の最新鋭戦闘機・四式戦闘機『疾風』は?」

 内心で「食事の味なんて分からないな」と思いつつも、栗田はそう切り出す。
 フィリップスを含むイギリス軍人は栗田中将の質問に対し、素直に賞賛の言葉を送る。

「素晴らしい、この一言以外に言うべき言葉はありません」
「イギリス軍の方々からそのような高い評価を頂けるとは」

 「光栄です」と続けた栗田だったが、イギリス側からすれば嫌味にも聞こえた。

「そういえば英海軍も新型機を採用したとの話を聞きましたが、今回の演習では姿が見えませんでしたな」
「ははは。何分、新型機は本土防衛に優先して回されるので」

 恥かきそうだから出せませんでした……などとは口が裂けても言えないフィリップスはそう言ってごまかす。

「それで日本はこの優れた戦闘機をどうされるおつもりで?」
「我が国は『友邦』を見捨てません。政府の決断によっては欧州方面へ派遣されることになると思います」

 『友邦』という単語に、数人のイギリス軍将校の顔が少しだけ引きつる。

「そ、それにしてもこのような戦闘機があるとは商談の際に聞きませんでしたが?」

 「型落ちした戦闘機を高値で売りつけるじゃないのか?」と思う人間がでるのは当然だった。しかし栗田は軽く流す。

「四式艦上戦闘機は『対米戦争における決戦兵器』との扱いで、我が国の技術の粋を集めた機体とも言えます。そうそう国外に出せるものではありません」
「それでは北欧諸国にも供給しないと?」
「かの国々にどのような兵器を輸出するかは政府同士が決めることですので。ただ『友邦』には相応の配慮がなされるかと」
「「「………」」」

 ちなみに辻は「友好的なお得意様にはそれなりのサービスを提供しますよ?」とその筋に流していた。フィリップスは裏切りの代償が如何に高くついたかを思い知った。

「それにしても貴国の先見性にはいつも驚かされます。お恥ずかしい話ですが、我が国ではジェット機開発の際に、その有効性に疑問を抱く人間も少なくありませんでした」
「いえいえ、我が国でも同じですよ。ただ嶋田元帥、当時は大将でしたが、元帥が各方面に色々と働きかけて実現したのです」
「ほう?」
「尤も計画当初は対独戦争への投入を考慮したものだったのですが……」

 軽くジャブを繰り出す栗田。しかしイギリス人はその程度では動じない。

「では、今後は当初の計画通りになる、と?」
「現状のままなら、そうなるでしょう。幸い疾風は艦上機として設計されています。空母があれば迅速に、どこにでも展開は可能です」
「どこにでも、ですか?」
「ええ。帝国海軍の空母機動部隊が展開できればの話ですが」

 日本としては大西洋にまで進出するつもりは皆無だったが、絶対にそんな事態がないとも言うつもりもなかった。

「まぁ我が国は大西洋側に空母部隊を置けるような拠点がないので、大西洋側は難しいでしょうが」
「ふむ、グレートブリテン島は如何です?」
「ははは。確かに補給や整備の面からすると魅力的ですが……」

 栗田はそう言って言葉を濁す。

「私個人としては、師である大英帝国海軍と再び肩を並べて戦える時が来ることを祈っています」

 両者の腹の探り合いが続く中、コロンボの夜は更けていった。








 あとがき
 お久しぶりです。拙作ですが、提督たちの憂鬱外伝戦後編15を最後まで読んでくださりありがとうございました。
 かなり駆け足になりましたが、インド洋演習は終了です。
 演習よりもその前後の描写が多いと思いますが……まぁそのあたりはご勘弁を(苦笑)。
 最初ミーティアは登場予定がなかったのですが、ペレグリンやスピットファイアだけだと寂しいので今回登場していただきました。
 もっともインド洋でその雄姿は拝めませんでしたが(爆)。
 次はイラン演習、もしくはその直前の話になる予定です。また次でドイツ海軍駆逐艦コンペの結果発表を行いたいと思います。
 それでは提督たちの憂鬱外伝戦後編16でお会いしましょう。



※2014年8月5日改訂。イラン演習の日本陸軍参加取り消し。



 今回採用させていただいた兵器のスペックです。


リバー型軽巡洋艦

基準排水量:6,900t
全長   :158m
全幅   :17.8m
主機   :蒸気タービン2基 2軸推進
最大出力 :52,000hp
最大速力 :28Kt
航続距離 :18kt/8,000海里
兵装   :45口径12.7cm両用砲 連装4基 8門(前後2基づつの背負い式)
      50口径7.6cm速射砲 単装6基 6門(首尾線上に2基、両舷2基づつ)
      20mm機銃 連装8基 16門
      53.3cm魚雷発射管 三連装2基
装甲   :舷側38mm 甲板32mm
水上偵察機はカタパルトも含めて撤去




ブラックバーン/ペレグリン Mk.III, Mk.IV, Mk.V
最高速度:653km
航続距離:1,600km(Mk.V:増槽装備時2,100km)
空虚重量:3,680kg
エンジン:<栄>空冷エンジン 二段二速過給機付き 2,000馬力
武装:
・イスパノ・スイザMk.II 20mm機関砲 ×2
・ブローニングM2 12.7mm機関銃 ×2 (Mk.III:ブローニングMk2 7.7mm機関銃 ×4)
・1,000lb爆弾 ×2 または 18inch MarkXVII 航空魚雷



新型スピットファイア(スピットファイア Mk.C)
乗員数:1名
全長:9.96m
全幅:11.23m
全高:3.86m
自重:3070kg(最大4663kg)
発動機:ロールスロイス グリフォン85 2375馬力×1基
最高速度:740km/h
上昇限度:13560m
航続距離:1268km
武装:AN−M3 20mm機関砲×4、227kg爆弾×1および113kg爆弾×2


グロスター ミーティア F.2(初期生産型 史実F.3相当)
乗員数:1名
全長:12.57m
全幅:13.11m
全高:3.96m
自重:2690kg(最大6260kg)
発動機:ロールスロイス ダーウェントMk.T 推力920kg×2基
最高速度:780km/h
上昇限度:12700m
航続距離:770km
武装:AN−M3 20mm機関砲×4



四式艦上警戒機『旭光』
全長:13.20m
全幅:22.00m
全高: 5.20m
自重:8,550kg
エンジン:ターボプロップ TP−01M 1500hp × 2
最大速度:365km/h
航続距離:1800km
武装:無し
乗員:3名(正副操縦士、電探員)