提督たちの憂鬱外伝 戦後編8




 西暦1944年も暮れようとしていたが、かつて世界経済の中心であった大西洋沿岸地域は相変わらず暗い世相に包まれていた。
 大西洋航路こそ辛うじて復活しつつあったが、大津波によって港の多くが周囲の都市ごと破壊されており、復興には程遠いというのが実情だった。
 加えて被災者は天文学的な数であり、第二次世界恐慌と大西洋航路の一時的な途絶による経済の混乱は更に貧困層を作り上げている。
 戦前なら共産主義者が台頭しただろうが、共産主義が悪魔の思想として認知された今となっては、共産主義に傾向する人間は少なかった。かつてフランス国内に影響力を持っていた共産主義は衰退する一方だった。
 だが見放され、自分たちが少数派となりつつあるのを自覚するほど共産主義者達は先鋭化していった。それが更に共産思想を衰退させるにも関わらず彼らは各地で衝突を引き起こした。当然のことだが、その衝突はフランス政府を動かすことになる。

「共産シンパを徹底的に殲滅せよ」

 フランス共和国首相のフィリップ・ペタンはドイツに介入される前に共産シンパを壊滅させることを指示していた。
 復興を優先しているペタン政権からすれば、共産シンパなどは内と外の両方で祖国の足を引っ張る疫病神でしかない。

「全く、景気の良い報告をもっと聞きたいものだ」

 日々入ってくる報告は大半が憂鬱なものであった。このためペタンは政府高官たちを前にして思わずぼやいた。

「まぁ海軍拡張を先送りしたおかげで、何とか余裕もできました。イギリスへの報復を叫ぶ声も強いですが……ここは我慢の時でしょう」

 北アフリカ駐留軍総司令官兼アルジェリア総督であるマキシム・ウェイガン陸軍大将はそう言って首相を宥めた。
 尤もウェイガンとしては海軍の拡張など狂気の沙汰でしかなく、あのような『狂気の産物』といえる海軍拡張計画は永遠に日の目を見ないでほしいというのが偽らざる本音だった。

(フランス本土への食糧供給のために、どれだけ植民地政府が負担を強いられているのかわかっているのか?)

 ウェイガン大将はこっそり視線をある男たちに向けた。
 その視線の先には対英強硬派と知られる者達が不満そうな顔で座っている光景があった。彼らの表情をみてウェイガンはため息をつきそうになる。

(あの連中は……。いや、気持ちはわかるが一市民ではない以上、優先順位程度は弁えてほしいものだ。いや私が言えたことではない、か)

 かつての自分の所業を思い出すと、彼は苦笑しそうになった。

(かつての私なら、彼らや市民と同じようにイギリス討つべしと主張していただろう)

 反英感情は市民の間でも根強かった。自分たちを後ろから撃ったイギリスは、フランス人にとっては正に忌むべき怨敵だったのだ。
 勿論、そのことを理解しているフランス政府は政府への不満を逸らすために、反英感情を煽り立てている。

「この世で最も恥知らずの裏切り者」
「恩をあだで返し、強者に媚びへつらう似非紳士」
「栄光なき孤立」

 フランス政府はイギリスを貶める宣伝を繰り返した。そして被災したアフリカの植民地再建や軍の再建を『イギリスへの復讐のため』と言って正当化した。
 一方で海軍の無理な拡張を取りやめたことで浮いたリソースを国家再建に割き、貧困層の救済に乗り出したため、貧困層の暴発はかなり抑制されている。

「イギリスに復讐するために、今は耐える時だ」

 フランス国民の多くは「再建できたら百倍返しだ」と心で誓った。
 ウェイガン自身もイギリスへの復讐戦については賛成だが、大多数の人間と違って総力戦ではなく限定戦にとどめ、判定勝利で矛を収めた方がよいとも考えていた。
 かつて政治家嫌い、イギリス嫌いで通っていたウェイガン。しかし彼の性格は世界史に残る大災厄・『大西洋大津波』を機に大きく変わった。
 ヨーロッパを地獄の底に叩き落とした大災厄、そしてその後の祖国の混乱とアメリカ風邪の蔓延……これを目のあたりにしたウェイガンはフランスを救うために精力的に動いた。
 そして今回も、ウェイガンは対英強硬派を宥めにかかる。

「下手に戦って共倒れすれば喜ぶのは日本人だ。あの東洋の侍たちは戦うだけが能ではない。狡猾さではジョンブル共に負けず劣らずだ」
「……」
「もしもこれ以上、日本人が大きな顔をするようになれば、白人世界はひっくり返る。今でさえその傾向があるのだ」
「「「………」」」

 ウェイガンの言う通り神への信仰心に陰りが見せ始めていた。何しろフランスはこの戦争で散々な目にあった上に天災にあい、新大陸では新たな黒死病が猛威が振るっている。
 白人世界はガタガタになっているといっても過言ではなかった。それにも関わらず、異教徒の日本人はわが世の春を謳歌している……この状況は自身の神への疑問を投げかけるには十分だった。

「神の恩寵を受けた我々がなぜ、黄色人種に後れを取るのだ?」
「世界を導くのは白人が神から与えられた責務であり、権利であるはずだ。なぜ日本人がああも大きい顔をできるようになるのだ?」

 市民の間ではそんな声もあった。21世紀の価値観を持つ日本人からすれば噴飯ものだったが、この白人を上位に置く考えは、白人世界では何ら非難されるべきことではなかった。
 有色人種が住んでいた地域を植民地化したことさえ、文明化させてやったのだ、という意識を持っているほどだ。そんな彼らにとって日本の後塵を拝むという事態は衝撃だった。
 特に画期的な発明である原子爆弾……あの「神の火」を日本人がいち早く実用化したことは白人たちにとって大きな衝撃と敗北感を与えるには十分だった。
 歴史に詳しい人間は日本人が成功したか、それを解明しようとしたが……その結論は「訳が分からない」だった。何しろ文明開化以降の発展があまりに異様なのだ。

「日本社会の変化は『進歩』ではない。『進化』だ」

 ある研究者は匙を投げたような顔でそう言い放った。
 そんな評価の所為か、ナチスドイツが日本人を『有色人種』とは切り離し、『突然変異種』と区分したことを受け入れる者が増えることになる。
 尤もウェイガンからすれば、日本人をどう区分しようが大したものではない。突然変異だろうが、何だろうが白人世界を脅かすのなら『脅威』でしかない。
 日本の隆盛を警戒するウェイガンの説得に、対英強硬派も渋々とだが引き下がる。

「イギリスだけでなく、日本の動きにも注意する必要があるだろう」

 ペタンのその言葉をもって会議は終わりを告げた。
 まぁ何はともあれ、様々な意味で日本人は注目の的と言えた。しかし注目されるというのは一部の人間に大きなデメリットを与えることになった。

「やれやれ……日本人は注目の的だな」

 殺伐とするパリの一角にあるホテルで、一人の背広姿の日本人男性が窓越しに周辺の様子を見て小さくため息をつく。
 情報機関に所属する男は西ヨーロッパの現状を調査する任務を担っており、日々、欧州の情報を日本に送り続けている。
 情報収集のため彼は表向きは商社マンの肩書きで活動しているのだが……日本人と言うことが周囲に判った時の反応を思い出すと顔が僅かながら引きつった。
 まるで異星人を見るかのような視線もあれば、日本が一人勝ちしていることに対する嫉妬の視線、或いはイギリスによって手酷い目に合わされた同類を見るような視線……このような様々な視線を向けられるのだ。
 居合わせたドイツ人に「神様に賄賂を贈る方法を日本が開発したというのは本当か?」と冗談半分(半分は本気)に聞かれたときには、心の中でため息を付いた。たまたま入った喫茶店で白人女性のウエイトレス達が「日本人は魔法が使えるらしい」と囁いているのを聞いた時には本気で頭を抱えそうになった。

「そんな方法があるのなら苦労はしないだろうに……いや、彼ら白人が納得できる理由を欲していると言うことか」

 神に祝福された白人種を押し退けて日本が発展し続けるということは、何か特別な理由がある筈……そう考えるのがある種、普通と言えた。
 しかしそれは同時に白人優越思想の裏返しでもあった。再び、白人が優位に立った時、彼らがどのような振る舞いをするかは想像に難くない。
 日本国内では欧州諸国を侮る人間も現れていたが、軍上層部や情報機関は欧州諸国の底力を過小評価していなかった。
 ドイツは元々、欧州でも最高クラスの工業大国だった。第一次世界大戦以来、日本はドイツから技術と金を毟り取ってきたが、それでも尚、侮れないだけの実力を誇る。フランスも、第二次世界大戦勃発前は列強の一角を占める大国であった。イタリアも地中海で日本海軍に消耗を強いた実績を持つ。

「日本が欧州枢軸を押し退けて筆頭になったのは、他の国が沈んだからに過ぎない」

 嶋田たち、夢幻会中枢メンバーはそう評し、欧州諸国が怒涛の勢いで追い上げてくることを警戒していた。このために夢幻会は信用しがたい裏切り者であるはずのイギリスとも再び手を組み、世論が非難の声をあげない程度の支援を行ってイギリスを梃入れしている。
 そして欧州で活動する男もイギリスと協力する必要性をよく理解していた。

「白人たちは予想以上に粘り強い。欧州のほぼ全てを敵に回すとなると、イギリスとの協調は欠かせないか」

 実際、フランスは当初考えていた海軍拡張をいったん取りやめにして、浮いたリソースで国内再建を急いでいた。またアフリカの本国化も進めており、アフリカでは反抗的な住民の処分が進められている。フランス政府はアフリカ本国化のため北部住民の一部をアフリカに移民させることさえ検討していた。
 ちなみにスペインは内戦と津波の後遺症に苦しんでいた。ポルトガルを併合したものの、首都にあった各種書類が消滅したせいでいろいろと苦労していた。また日本がばら撒いた武器はスペインからの独立を望むカタルーニャにも流れており、それがますますスペイン政府を刺激している。

(しかしうまくスペインが混乱して欧州の足を引っ張れば、日本の利益になるな……)

 そんなことを考えた直後、男の脳裏に一つの疑問が浮かぶ。

(……上は、このことまで見越していたのだろうか? イギリスの裏切りを除けば、あまりにも都合がよすぎるような気がするが……)

 スペイン内戦への干渉、冬戦争への義勇軍派兵、大戦への参戦と災厄の島であるラ・パルマ島の獲得、そして大西洋大津波と対米戦争。
 これらの事象は一つ一つを見ればまるでバラバラのように見える。だが男は何かつながっているような気がした。

(いや、気にし過ぎだ。未来でも判っていなければ出来るわけがない。いくら総研でもそこまでは分からないだろう。白人が語るオカルト話に毒され過ぎだ)

 男はそう苦笑して自身の考えを否定した。だが現実はその彼の予想を遥かに超えるものであった。
 欧州の白人たちが語るオカルト話のさらに斜め上を突き進み、日本帝国を列強筆頭の座にまで押し上げた男たちは……頭をかきむしっていた。





「馬鹿な」
「ありえん……」

 浴衣姿の近衛と杉山は椅子から立ち上がり、声を震わせながら、辻を見ている。山本に至っては座ったまま魂が抜けたような顔をしていた。周囲の人間はまるで化け物を見るかのような表情だった。
 一方の辻は満面の笑みを浮かべている。

「いえいえ、大したことではありませんよ?」

 そう言った直後、辻は唇を釣り上げ、それを見た周囲の人間は腰が引ける。

「おや、どうされました? 本番はこれからですよ。」

 顔には笑みを浮かべているものの、その目はまるで獲物を探す狩人のような鋭さを放っている。それを直視できる人間は少なかった。
 そして直視できる人間の一人である嶋田はため息をつきながら場の収拾に乗り出す。

「いい加減にしてください。辻さん。いくらなんでもやり過ぎです」
「何を言っているんです。まだ前半戦じゃないですか」
「……これだけ点数に差が開いたら、やる気も失せますよ。正直、イカサマを疑うような状況ですが?」

 緊迫した空気が流れる部屋で彼らがしていたのは……麻雀だった。
 今回、「最近、重い会話が続いていたため気分転換を」ということで温泉旅館で会合が開かれていたのだ。そして旅館で気分転換とばかりに会合出席者が参加して麻雀大会が開かれたのだが……結果は辻の大勝だった。ちなみに山本のスコアは……目を疑う数字になっている。

「プロの雀士と言われても納得できんよ。正直に言うと、失礼だが……イカサマかと思えてくる」

 近衛のボヤキを聞くと回りの人間も頷く。それを見た辻は堂々と言い放つ。

「お嬢様学校、そして新しい制服のデザインを考えると、よく和了れるんですよ。いや〜お嬢様を守護する神の庇護でしょう」

 そこには一点の迷いもなかった。その堂々たる態度に、MMJの同志が納得したかのように頷き、嶋田も危うく納得しかけた。

「ああ、そういえば新しい制服が作られるという話を聞きましたが、ってそんなオカルト、あるわけないでしょうに。イカサマか、透視能力でも持っているか、確率でも制御していると言われた方がまだ納得できますよ」
「私にそんな超能力はないですよ。建設予定の学園都市でもそんな研究をすることはないですから。それに……仮にイカサマなら、見抜けないほうが悪いと思いません?」
「では、本当にイカサマだと?」
「まさか。だから言っているじゃないですか。お嬢様を守護する神の庇護でしょう、と」
「そんな馬鹿な」
「おや、嶋田さんはオカルトを否定される、と?」
「「「………」」」

 自分たちの存在そのものがオカルトであることを思い出した面々は沈黙した。

(((言い返せない……)))

 オカルトじみた存在による、オカルトじみた麻雀(?)はこの後もしばらく続くことになる。
 身ぐるみはがされて燃え尽きた面々(辻の恐怖を身をもって思い知らされたとも言う)がある程度復活するのを見計らって、会合は再開された。

「さぁ話を進めましょう」

 生気がみなぎっている辻。片やギャンブラーとしてのプライドをズタズタにされた山本は軽く沈んでいた。
 嶋田は盟友の様子を気にして声をかける。

「や、山本、大丈夫か?」
「あ、ああ。それにしても辻蔵相はすごいな。何というか、まるで勝てる気がせん」
「……ギャンブルと口喧嘩と腹黒さであの男に挑んで勝てる男は、そうは居ないからな。気にするな」

 辻のこれまでの所業(例:2回の世界恐慌)を思い出した嶋田の脳裏に『世紀末賭博師伝説』という謎の単語が浮上するが、嶋田はそれを脳裏から追い出す。

「相変わらず酷い言い様ですね……嶋田さん」
「自覚があるんだったら、多少は直してくださいよ。辻さんは人当りさえよければ総理でも務まるのに」

 この意見に全員が頷く。杉山は苦笑しつつ、辻に視線を向ける。

「この男を矯正するには病院で脳を改造するしかないだろうな」
「杉山さん、辻さんを運び込んだらその病院自体が逃げますよ」

 嶋田は冗談じみた口調で言うが、出席者はこぞって賛意を示した。

「現代医学が戦う前に逃亡するな。俺が医官だったら、仮病使ってでも休む」
「そもそも、うっかり辻の脳味噌なんて見たら発狂ものだろう。語るのもおぞましい『何か』だろうからな」
「変態に能力を与えた結果が『コレ』だからな」

 夢幻会の同志にも関わらず、辻のあまりの貶され様に山本も乾いた笑みを浮かべた。尤もそんな掛け合いはすぐに終わり、彼らは本題に戻った。

「まずは夢幻会のあり方と公的機関化についてだったな」

 欧州やアフリカで嵐が吹き荒れている頃、表面上、平和を謳歌している日本帝国の中枢では今後の政体をどうするかで激論が繰り広げられていた。
 情報の拡散によって夢幻会の存在が知られるようになった以上、現状維持は非常に難しくなっている。また戦勝に伴う権力の集中によって組織の腐敗が進むことも懸念されていた。故に夢幻会を公的機関に統合し、組織の自浄能力を維持することを図っていた。

「……まぁ何はともあれ、ありのままに公開するのは無理でしょうね」

 辻の意見に反対はなかった。夢幻会がそのまま表に出ると混乱が起こると考えられた。よって影の巨人はひっそり時間をかけて表の世界に溶け込むのが最も効率の良い方法だと会合の面々は判断していた。

「総研はかねてからの想定通り、枢密院と併せるという形で問題ないでしょう」
「夢幻会を公的機関にするにしても、構成員全てを表に出すわけにはいかないな」
「勢力圏拡大に伴い、総研を拡張するとの形で、これまで公表していなかった夢幻会の協力組織を表に出すというのは?」
「それと政策決定に携わる人間や権限がある人間だけを出し、後はこれまで通りと。民間の技術者や科学者などは外部協力者や識者の第三者委員会の所属と」
「横の繋がりについては、各省庁間の人事交流制度を強化し、必要な組織を新たに立ち上げれば何とかなる」
「他の民間人については趣味を隠れ蓑にしてつながりを維持します」

 会合の席では年末だというのに休みも無く連日激論が交わされていた。
 夢幻会の構成員の中には、政策決定に携わらない人間もいる。また権限は持たない支援要員も多い。だがそんな彼らを幹部達は軽視していない。夢幻会はそのような名も無い人間達の協力もあって強大な力を持ち得たからだ。幹部達は末端の人間の利益も守るべく頭を捻っていた。しかし問題は夢幻会のことだけではない。
 今回の戦争では、陛下に危害が及ぶのを避けるため陛下の承認の下に嶋田が全権を掌握した形となったが、毎回手回しをするのは些か手間であり時間が掛かる。また陸海軍の協調についても、制度面よりも人的交流による横のつながりによるものが大きい。陸海軍の指揮系統についても再検討する必要があると、彼らは考えた。

「世間は勝った、勝ったと騒いでいるが、見直すべき点が多いな」

 陸軍参謀総長を務める杉山は、問題点の数々に頭痛を覚えた。

「統合参謀本部の設置、それに兵部省の復活が必要になる、か」

 近衛の言葉に、陸海軍の面子が少し渋い顔をする。軍需省の設置で必要な資材の調達、兵器の生産は効率化したが指揮系統にまで踏み込むとなると色々と面倒なことが多い。だが陸海空の統合作戦の遂行や今後の災害派遣のことも考えると部隊運用は統一する必要があった。

「軍の指揮系統も重要ですか、戦争指導の在り方も考えなければならないかと。政府と軍の統制が取れなければ勝てる戦も負けます」

 日米戦争を指導した嶋田は非常時においては、強力なリーダーシップと各組織の間の調整が重要になることを痛感していた。

「非常時においては戦時大権を首相に委ね、全てが終わった後にその妥当性を議会や枢密院が評価する……そんな形もいるだろう」

 だがこの近衛の意見に山本が待ったをかけた。

「近衛公、それは待っていただきたい。海軍内部ではアメリカ海軍が臨時政府によって振り回された事実を知って、文民による過度な干渉は好ましくないと考え出す者がいるのです。イギリスのチャーチル元首相が無謀なジブラルタル奪還をごり押ししていたことや、ヒトラーによる作戦やビスマルク建造への介入も問題視されています」
「「「………」」」
「……陸軍でも戦時中に議員連中が戦線拡大を唱えて右翼と接触していたとの情報から、議員に統帥権を与えたら碌でもないことになるのではないかとの声がある。場合によっては統帥権を手札にした危険な遊びに手を出しかねないとの懸念もある。そして私もそれを否定できない」

 永田陸相が言いにくそうな表情で告げると、誰もが苦い顔になった。

(この戦争の負の影響だな……)

 嶋田はこっそりため息をつくと妥協案を示した。

「重臣会議に一定数の陸海軍大臣経験者を送り込み、総理選出で軍の見識が生かされる、という形にしましょう。同時に重臣に選ばれるのは大臣職を一定期間経験した者に限ることを厳格化しておけば、任期の途中で大臣を放り出す輩も少なくなるでしょう」
「軍の影響力が増しかねないが……」
「その辺りは、当面の間、『我々』が重臣としてさじ加減をするしかないでしょう。少なくとも陰で隠れて全て決めていると思われる現状よりはマシになるかと」

 近衛の懸念に対し、渋い顔で嶋田はそう答えた。

「勿論、政治家の底上げも進めましょう。将来が有望な人間の育成を進め、国会に送り込めばマシになるでしょう……効果が出るまで10年はかかるでしょうが」
「しかし、それまで改革を止めるわけにもいかない……だとすれば」

 近衛は少しの間を置いて話し始める。

「大本営政府連絡会議を発展させた集団指導体制を作る……これならどうかね?」
「具体的には?」

 山本の質問に対し、近衛はよどみなく答える。

「国務大臣及び大本営の一員である首相、陸海軍統帥部、そして両軍を指揮する統合参謀本部の総長、総研所長や情報局局長による安全保障政策を決定する場を設ける。憲法上、法的拘束力は持たせられないが、それなりに有益のはずだ」
「ふむ……」
「またその会議に統帥部と政府の間を取り持つ人間を複数名置く。これなら軍と政府の摩擦を減らすこともできるだろう」

 近衛の意見に特に反対する人間は出なかった。
 尤も嶋田は貴族院議員になった後、今度は政府と軍の関係を取り持つ仕事を振られそうな予感を覚えた。

「まさかと思いますが……」
「いやいや、さすがに嶋田さん一人に任せませんよ。杉山元帥やほかの退役した方々にも動いてもらいます」
「そ、そうですか」

 少しホッとする嶋田。何しろ杉山は夢幻会の人間でも指折りの良識派であり、好き好んで嶋田の胃壁を削るような真似はしない。

「ただし非常事態において、誰かが大権を握ることができるように手を打っておく必要はある」
「近衛公が提案した会議が推薦する人物なら、問題ないでしょう。軍も納得するはずだ。そして将来、政治家が信頼できるようになれば、最初に言われた改革もできるでしょう」

 山本の意見に永田も頷く。何はともあれ、大まかな方向性は決し、後日、再び細かい議論を行うこととなった。

「陸軍の新兵器開発はどうなっています?」

 気分を変えるように辻が尋ねる。これに杉山が渋い顔で答える。

「ドクトリンを変更する所為で、色々と手間が掛かっている。何しろ主戦場はインド、或いは北米だからな。それに四式戦車は小型化しすぎた所為で問題が多い。これらのことを考慮して新型戦車開発をしなければならない」

 人員不足、そして機動力を重視するドイツ軍が仮想敵の筆頭になったこともあって、日本陸軍は火力重視に舵を切っていた。
 陸軍内部では機甲師団同士の決戦をもって勝敗をつけようとする動きもあったのだが、海軍にリソースを割かなければならない状況では到底不可能という結論が下った結果だった。

「これだけ広い範囲を25個師団で守る……か」
「戦前の勢力圏で25個師団体制なら嬉しかったんだが……」

 当然だが、陸軍には師団の増設を要求する将兵もいたが、予算と人員の問題から不可能とされた。このため陸軍は火力重視を採用せざるを得なかった。海軍優遇に不満を持つ人間も、大洋を隔てた場所に、海軍の支援なしで進出する勇気は無かった。

「確か火力重視でしたか」
「勿論、機動力を軽視するわけではない。機動力と重火力を両立することが目的だ」

 現状の日本陸軍の火力は、史実の比ではないのだが……杉山の目からすればまだ不足と言えた。
 ちなみに中国戦線で日本陸軍によって文字通り木っ端微塵に粉砕された在中アメリカ陸軍の生き残りは、後に当時の日本陸軍上層部が自軍が火力不足と評していたことを知って卒倒したといわれている。

「まぁ次世代の戦車、十二式になるだろうが、この新型戦車の配備は、枢軸の戦備と技術の成熟を待ってからだろう」
「試作は作ると?」

 この問いに陸相の永田が答える。

「本格的量産はしないが、技術習得と運用経験獲得のために少数は生産して配備するつもりです」
「なるほど」

 周囲が納得したのを見て、杉山が後を引き継ぐ。

「手持ちの加農砲の自走化、それにヘリで輸送が可能な山砲や運搬が容易なロケット砲。あとは二式突撃銃の改良と、次世代型の開発も急ぐことになるだろう。ああ、運用の効率化のために通信網、いやデータリンクの整備のためにデジタル通信技術の開発も急ぐ必要があるな」

 突撃銃についても、二式突撃銃の改良型を配備した後は、西側のものにシフトすることが内々に決定されていた。その候補としてH&KやFN系列が挙げられているが、具体的にはまだ決まっていない。

「……忙しいですね」

 嶋田の同情が篭った視線に、杉山は目を細めて言う。

「『海軍』に人員と予算を取られているせいなんだが? もう少し余裕があれば選択肢が増えるのだが?」
「いえいえ、海軍も似たようなものですよ。何しろ現在の勢力圏を守るには大鳳型に匹敵する空母が6隻は必要との試算もあります」
「……まだ足りないとでも?」
「何しろ三大洋のうち2つで活動しなければならないので」

 しれっと言う嶋田。
 嫌味の一つでも言ってやろうかと思った杉山だったが、辻が座っているあたりから黒いオーラを感じたために断念した。ちらりと横目で見るとそこには実に『良い笑顔』を浮かべている辻が居た。

(引き際か……)

 非公式の夢幻会の会合であったが、そこでもある程度のパフォーマンスが求められるのだ。そして杉山はこのあたりで本題に戻すことにした。

「来年には五式十糎十二連装噴進砲が配備できるだろう。他の機材も調達を急いでいるところだ。問題は人の教育だよ。ドクトリンを変え、技術もさらに進化するとなると人の教育が問題になる」

 五式十糎十二連装噴進砲は63式107mmロケット砲をモデルにしたロケット砲であり、山岳地帯やジャングルなど不整地向けの装備として開発が進められていた。
 日本が守るべき範囲が広がり、かつ火力を重視している現状において、この手の装備は必要だった。

「確かに。いくら高性能な兵器でも、それを人が使いこなせなければ意味が無い」

 日進月歩の勢いで進化する兵器と各種技術は、これまでの軍の運用を大きく変える。その影響を受ける将兵の負担は大きい。

「また時間と金が掛かりますね」

 辻はそう言って嘆息する。

「『良い兵士が兵器を強くし、良い将校が良い兵士を活かす』、といったところですか。まぁそのためには多少の出費も必要でしょう」

 兵士だけが良くても、戦局はひっくり返られない……それを知るが故に誰も異論はない。誰もが納得しているのを確認して嶋田は話を続ける。

「疾風を出すことで、枢軸は当面は大人しくなるでしょう。少なくとも彼らが富嶽と疾風への対抗手段を手に入れるまでは」
「そして平和な内に、彼らより早く軍と勢力圏の再編を終えれば……『次の戦争』で主導権を握れる」

 先の戦争が終って2年も経っていない。だがすでに軍部、情報局は次の戦争に向けて準備を進めていた。想定されるのはインド周辺、或いは北米。彼らはこのまま平和が続くとは思っていなかった。

「判っています。平和とは所詮は次の戦争までの準備期間でしかない……そして我々は負けられない」

 嶋田と杉山の台詞に異議を唱える人間はいない。こうして夢幻会の年の瀬は過ぎていった。
 尤も、さすがに大晦日や元旦は多くの人間が家で過ごして、英気を養った。多少は息を抜き、体を休めなければよい仕事は出来ないのだ。

「ふふふ。久しぶりに気が抜ける。やれやれ、60を超えると激務は体にこたえるよ……」

 寝巻き姿でコタツに入り、ミカンを食べる嶋田。独裁者に似つかわしくない質素な和風の部屋で、一人コタツで体を温める姿はどうみても普通の老人にしか見えない。しかし本人は全く気にしなかった。

「豪華な部屋に居ると、どうしても自分は責任ある立場なんだって自覚するからな……来年は、今のゆったりとした時間が続けば良いのだが」

 「無理だろうな〜」と呟きながら突っ伏す嶋田。来年は本格的なインド問題への対処だけでなく、日本、イギリス両国では選挙もある。日本は問題ないだろうがイギリスの場合は保守党の敗北は確実。それどころか既存の政党への不信感からモズリー率いるファシスト勢力の台頭さえ予想されていた。
 そしてもう一つ、彼を憂鬱にさせることがあった。

(我々は常人とは違う、か)

 人体実験の結果、逆行者の脳の伝達速度が常人よりも早いことが明らかになっていた。最近の研究では樹状突起の成長が常人より促されて、情報が大脳の神経細胞に行き渡り、学習能力や一般的な知能が高くなっているのではないかと考えられるようになっていた。
 勿論、本当に人間離れしたほどの差異があるわけではない。超人的な天才だらけだったら、夢幻会はここまで苦労していない。

(感覚器から神経伝達に0.01秒くらいかかる。そこから脳内の処理を含めてが0.1秒程度で周囲を理解できるのが普通だ。史実では反射神経に優れた故にこのタイムラグが少なくなったスポーツ選手もいたが……我々はそれに加えて、知能や学習能力も上がっていると? いやまぁ確かにその能力がないとこの慣れない世界で生きていくのは辛かったかも知れない。新たな環境に放り込まれた故の『進化』とでも言うのか?)

 時間と空間を飛び越して、他人(又は過去の自分)に記憶と人格を転写するという現象である以上、何が起きても不思議ではない。だが改めて常人とお前たちは違うという結論を突きつけられるとさすがに考えてしまう。
 そして同時に、この情報は秘匿されなければならないとも嶋田は判断していた。

「これが外部に漏れたら、どんな事態になるか……」

 やれやれ、と呟くと嶋田は突っ伏した。

(……まぁ来年には来年の風が吹くさ。とりあえず、今は静養をとって体調を整えておくことが肝心だ)

 嶋田は暫しの惰眠を貪る。穏やかな眠りこそ今必要なのだ。




 嶋田が惰眠を貪る事で英気を養おうとしている一方、欧州枢軸首脳部は日本が繰り出すであろう次の手に対処すべく頭をひねっていた。

「イタリア海軍の空母はどうなっている?」

 総統官邸で壁にかけられた世界地図を見ていたヒトラーは、海軍元帥レーダーにイタリア海軍の様子を尋ねた。

「完成してから時間がそう経っていないため、やはり練度に問題が」
「そうか……」

 アクィラ級空母。それは地中海戦線での戦訓と日本海軍空母機動部隊の圧倒的な破壊力を見たイタリアが建造し、現在欧州枢軸が保有する唯一の正規空母だった。
 元アメリカ海軍の技術者のアドバイスを受けたこの艦はアメリカの空母の特徴ともいうべき広大な飛行甲板を持ち、両用砲は史実エセックスと同等の配置としている。サイドエレベーターやカタパルトこそなかったものの、艦首部をエンクローズドバウにして凌波性を高めると共に、航空機の発艦距離を可能な限り稼ごうともしている。
 更にドイツに頭を下げて、レーダーや機関砲を導入して、可能な限りの対策も取っている。このため実験艦でもありながら、正面戦力にもなりえる有力な艦に仕上がっていた。まぁ懐事情が苦しい故にノウハウを得るためだけの実験艦を建造する余裕が無かったと言えばそれまでだったが……。
 尤もそれ以上に懐事情が芳しくないドイツ海軍に至っては、空母を建造する前に不足している護衛艦の建造に注力しなければならない段階だった。

(ドイツ海軍の実力を分かっているのか、伍長殿は……)

 世界最強である日本帝国海軍、そして衰えたとはいえ欧州最大のイギリス王立海軍を仮想敵としているヒトラーに、レーダーは懸念を抱いた。
 何しろ今のドイツ海軍の力では、通商破壊とバルト海防衛が精一杯だった。
 それにも関わらず、今のドイツ海軍は相手の通商路を破壊するだけでなく、こちらの通商路を守ることも要求されている。そのためには駆逐艦や海防艦の建造が優先されるのは仕方が無いことだった。
 だが当のドイツ海軍の既存艦艇には対空、対潜能力に問題がある艦が多いため、単に数を増やすだけでは単に日本海軍に的を提供するだけという有様。このため既存艦艇の装備の見直しを急いで進めているという状況だった。
 片や仮想敵国のイギリスは、日本から軽巡洋艦以下の艦艇をせっせと購入して再建を進めていた。

「何で航路防衛用の巡洋艦があれだけ性能が良いんだ?!」

 阿賀野型軽巡洋艦の性能を知ったドイツ海軍高官はそう言って、この世の不条理を嘆いた。
 加えてイギリスが日本から旧アメリカ海軍の高速戦艦をレンタルしようとしているとの話が追い打ちをかけた。
 欧州側はイタリア以外、主力艦の建造が碌に出来ていないにも関わらず、日本はせっせとイギリス海軍再建を後押ししているのだ。それも余った戦時量産艦を売りつけることで、だ。
 日本は損をすることなく対独戦争における欧州での盾としてイギリス海軍を再建させ、自身は英ソから吸い取った資金と資源で次の軍備計画に取り掛かっている。
 当然、その事実を知っている総統の心境がどうなっているか……想像に難くない。

「日本海軍はタイホウ型空母の2番艦、ハクホウだったか。インド洋でイギリス艦隊と合同演習をするようだが、海軍はどうみる?」
「ハクホウが運用する新型機が気になります。日本海軍では『ハヤテ』と呼称されているようです」
「性能は?」
「空軍が開発中であるジェットエンジンを搭載している可能性が大、と海軍は見ています」

 これを聞いたゲーリングは面白くなさそうな顔をする。

「いくら日本の技術が優れているとは言え、ジェット機を艦載機として容易に運用できるとは思えませんな」

 このゲーリングの意見にヒトラーは「ほう?」と呟くと続きを促す。

「我々が開発中のジェットエンジンでも、耐久性や信頼性に問題があります。空母に載せ海上で運用するには不適かと」
「しかしそれは我が国に限ってのことではないのかね?」
「で、ですが総統、我々でも苦しんでいることを日本人が容易に解決できるとは」
「その日本人が何をしてきたと思っているのだ? 奴らは我々の手の及ばぬ高空を飛ぶフガクを作り、一撃で都市を灰燼と帰す神の火さえ作り上げたのだ。我々が知らぬ間にそれらの問題を解決していない、と言えるのかね?」

 ヒトラーの鋭い視線を受けてゲーリングは沈黙する。

「我が国のものと同等か、それ以上のものを作り上げた可能性は否定できん。そうでなければ連中がああも自信満々にインド洋演習を喧伝する訳がない」
「……」
「我々の新型機は?」
「急ピッチで開発を進めています。来年度には配備予定です」
「……分かった」

 ヒトラーは不機嫌そうな顔をするが、とりあえず富嶽を迎撃できる手段を手に入れられるということで何とか溜飲を下げた。
 しかしレーダーの胸中には日本海軍との差がさらに広がることへの絶望感があった。

(我々にはレップウカイと戦える艦上戦闘機さえないのに……)

 レーダーは眩暈がしそうだった。
 日本海軍に多少は痛手を与えられるであろうドイツ海軍期待の新型Uボートの開発は進んでいたが、潜水艦だけでは制海権は奪えない。
 ドイツ空軍の支援もどこまで当てになるか分かったものではない。下手をすれば各個撃破される結果になりかねない。

(日本海軍はハクホウに加え、更に次世代の戦艦の建造も進めると聞く……欧州の全海軍を纏めても我々は彼らに追い付けるのか?)

 レーダーは欧州諸国の全海軍を集結させても尚、日本海軍に対抗できるとは考えにくかった。
 そもそも集結させても、その運用が問題だった。仮に艦隊の総指揮をドイツ海軍が執っても、今度は母国語の違いによる問題が生じる。無理にドイツ語を強要すれば各国との関係にひびが入りかねない。
 そしてそのことを理解している陸空軍は最悪の事態を想定して危惧を抱いていた。何しろ大西洋を隔てて貴重な戦力を北米に貼り付けているのだ。イザ戦争となった途端に、日本海軍に大西洋で大暴れされて補給線を遮断されたら目も当てられない。

「いくら陸軍が精鋭でも補給を遮断されたら目も当てられない!」
「そもそも連中にまともに護衛する能力があるのか?」
「海軍が戦えるようになるまで、一体どれだけの時間と金と人がいるんだ?」

 酷い言われようだが、メキシコ海軍との戦い(?)以外では大した活躍をしていない(対ソ戦では地上砲撃くらい)ことから海軍への信頼は低かった。
 世間でも大した活躍をしていないドイツ海軍の評判は芳しくない。ビスマルクが対英戦で活躍していれば、少しは話は違っていたかも知れない。だが現実において、ビスマルクは依然、港で置物となっていた。レーダーの本音としては改ビスマルク級戦艦が欲しかったが、それを言える状態でもなかった。

(もう私の時代ではないな……)

 もうそろそろ辞任して、デーニッツに全て任せるか……とさえ思うようになったレーダー元帥。周囲は心労でげっそりとやせた元帥が辞意を表明するのと心労で倒れるのはどちらが早いだろうかと囁かれる程だ。

「レーダー元帥、私も現状で再戦するのは危険だと分かっている。そのために、イタリア政府が日本政府に接触するのを認めるつもりだ」
「イタリアが日本と接触するのですか?」
「そうだ。イタリアは日本人に好かれてもいないが、極端に嫌われている訳でもない。それを利用してムッソリーニは欧日の仲介を務めるつもりだ」

 日欧の仲介をイタリアが務める。それは確かにドイツにとっても利益になるが、それは同時に欧州枢軸内でのイタリアの地位が更に上がることを意味する。

「……よろしいのですか?」
「やむを得ん。イタリアの影響力が強まる事と現状で日英と再戦する事、どちらが不利益になるかを考えれば答えは一つだ」
「はい」
「ただイタリアが仲介を務めるとしても、我々も力を持たねば舐められるだけだ」

 そういうとヒトラーは墓荒らしの結果を尋ねた。

「旧東部で使える艦はあったのか?」
「原型を維持していても、大半の艦は使い物になりません。南部、テキサスにあったニューメキシコ級3隻はテキサス共和国に預けていますが」

 旧アメリカ海軍は欧州連合艦隊を撃退するべく、ニューメキシコ級3隻を含む艦隊をアメリカ南部防衛に送り込んでいた。
 しかしそれらは他ならぬアメリカ海軍が守ろうとしたテキサスの人間たちによって接収されてしまった。そしてテキサス共和国は新たな宗主国にそれらの艦艇を献上した。
 欧州側はとりあえず使えそうな駆逐艦や潜水艦などを接収し、戦力が不足している大西洋方面に配備している。ただし戦艦についてはテキサスに預けていた。

「元帥、『大半』ということは使えそうな艦もあると?」
「アイオワ級戦艦1隻が使える可能性があると聞いています。ただし徹底的な滅菌措置を行って本国に回航した上で大規模な修理が必要です。率直に申しますが、新規に戦艦を建造したほうが効率が良いかと」
「ふむ……」

 思うように進まない現状にヒトラーは苛々した顔をする。

「……東部の調査は引き続き継続せよ。件の戦艦についてはどのような形で利用するか検討する」
「はっ」
「下がってよい」

 そう言われてレーダーは退室した。続いてゲーリングも退出していく。そして一部の側近だけが残ったのを見てヒトラーは口を開く。

「夢幻会め……奴らはどこまで余の前に立ち塞がるのだ」

 夢幻会の存在はすでにドイツも知るところとなっていた。
 日本の躍進を長きにわたって支えてきた組織であり、日本の政治中枢でもあるこの組織の調査は依然として進められている。
 そして知れば知るほど、ヒトラーは夢幻会がいかに脅威的な存在であるかを理解するようになり、ますます危険視するようになっていた。

「奴らの情報を集めろ。可能なら奴らの弱みを突き止めるのだ」

 このヒトラーの命令を聞いていたヒムラーはある提案を切り出した。

「総統閣下、夢幻会の例から国内外の秘密結社、あるいは政治結社にも注意を払う必要が増したと思われます」
「たとえ今は取るに足らない存在であっても、将来はわからないと?」
「はい。夢幻会のような組織がそうそうあるとは思えませんが、注意は必要です」

 ヒムラーの言うことも一理あった。
 だがヒムラーは別に国家のためだけを思って提案をしているわけではない。親衛隊が国内、特に新領土に存在する反抗分子を大々的に取り締まるために秘密結社の脅威を誇張したいのだ。
 そしてヒトラーもそれに反対できなかった。世界の端にある島国の秘密結社が、途方も無い実績を叩き出した以上は足元を警戒しない訳にはいかない。またヒトラーを嫌う軍内部の繋がりを潰すことを考慮すると、ヒムラーの提案は魅力的だった。

「よかろう」

 これを聞いてヒムラーは頭をたれる。これを見たリッベントロップ外相が口を開く。

「しかし総統、夢幻会は日本人の中では比較的、我々との協調を重視する一派です。あまり刺激すれば我々の利益にならないと思いますが」
「わかっている。思い上がった日本人が、対独全面戦争を主張している事くらいはな。だが何もしない訳にもいかん」

 忌々しい敵手でありながら、夢幻会主導の穏健な政権が続くほうがドイツとしても有難かったのは事実だった。
 何しろドイツも勢力圏の再編にてんてこ舞いなのだ。更に津波の傷跡と異常気象によって受けた損害から回復するためにもう暫くの時間は必要だった。
 しかしヒトラーの言うように何もしない訳にもいかない。

「それと、連中がインド洋で演習する以上、我々も何かしらの対抗策が必要だ。そこでイラン領内で大規模な演習を実施する」

 この命令に国防軍最高司令部総長であるカイデルは「この状況で中東に兵力を送る気か?」と驚愕した。

「総統?」
「日英にはイラン安定化のためと言っておく。少なくとも我々がいる限り、イラン政府も無茶なことはできないからな」

 ドイツはイラン問題を巡ってイギリスとひそかに交渉を続けていた。故にイランを安心させ、同時にイラン強硬派が暴発するような事態を防がなければならない。
 ここでヒムラーが口を挟んだ。

「総統、ここは我々に任せていただけないでしょうか?」
「親衛隊を派遣すると?」
「はい。アーリア人の優秀さをアラブ人共に見せ付ける良い機会かと」

 これにヒトラーは頷く。

「良いだろう。だが、やはり国防軍からも兵と新兵器を送る。少数ではあるが……日本人を震え上がらせるような精鋭を送るのだ」

 ドイツ陸軍、空軍にはエース達が大勢いる。さらに空軍は烈風改や富嶽に対抗するべく新型機、新兵器の開発、生産も進めていた。
 ヒトラーはこれらのエースと新兵器を配備された精鋭部隊なら多少、劣勢でも戦局を挽回することが出来ると考えていた。ソ連軍の兵器が使い物にならない物が多かったことを差し引いても、エース達の戦果は十分だった。このヒトラーの決定によって、イランには史実を知る夢幻会の面々が震え上がるチート軍人が結集することになる。








 あとがき
お久しぶりです。提督たちの憂鬱外伝戦後編8をお送りしました。
次回に疾風登場予定です。尤も次回以降、中東及びイラン周辺のきな臭さはさらにひどい物になるでしょう。
それにしても全くと言ってよいほど話が進まない……完結までどれだけかかるのだろうか(冷汗)。
さて、拙作にもかかわらず最後まで読んで下さりありがとうございました。
戦後編9でお会いしましょう。


2013年10月24日追記

再改訂しました。さて、戦記物ではあまり出番がないウェイガン大将が登場です。
それも綺麗なウェイガン大将です(笑)。誰得なんだろうか(汗)






 今回採用させて頂いた兵器です。

五式十糎十二連装噴進砲
口径:105mm 全長:2.58m 全幅:1.4m 全高:1.1m
重量:382kg(ロケット装弾時:605kg) 最大射程:8千m
再装填時間:3分 運用人員:5名



アクィラ級航空母艦
基準排水量:24,500 t
全長:216.5 m
全幅:32 m
喫水:7.3 m
主機:ベルッツォ式ギヤード・タービン4基4軸 151,000馬力
主缶:ソーニクロフト式水管缶8基
速力:30 kt
航続距離:18ノットで5,500浬
兵装:OTO1938 13.5cm(45口径)連装両用砲8基
   :SK C/30 3.7cm(83口径)連装機関砲10基
搭載機数 51機(計画時:実際にはこれより減少)