「やれやれ、あの馬鹿共(前政権)のせいでこのザマだ」

 ロンドンにある寂れた酒場のマスターはそういってぼやく。
 戦前、戦中は大勢の日本人が訪れていた彼の酒場だったが、恥ずべき裏切り以降、日本人の客足は遠のいていた。来店が0ということはなかったが、戦前ほど気さくな雰囲気はない。加えてイギリス人も戦禍と津波によって懐が厳しくなっており、客足は遠のくばかりだった。そんな中、彼の店で最も羽振りがいいのは皮肉なことに、高騰する日本国債、日本円や日本の株式を保有していた一部の資産家達だった。彼らは今日も今日とて酒場に来て、次の儲け話に花を咲かせる。

「やはり日本企業だと、倉崎だな。技術力であそこに敵うところはない」
「いや堅実さを考慮すれば三菱だろう」
「それよりも日本国債のほうが確実な投資先だ。かの国は返済を滞らせたことはない」

 多くのロンドン市民とは対称的に、彼らは元気だった。
 そしてそんな彼らの多くは、イギリス各地で勢力を拡大しているBUF……『イギリスファシスト連合』の後援者だった。

「やれやれマールバラ公の子孫が生きていたら、こうはならなかっただろうに」

 そう嘆息するマスターだったが、BOB末期においてはチャーチルのことを悪し様に罵っていた。だがそんなことなど彼はもう覚えていない。いや覚えていたとしても、昔は昔と言っていただろう。彼らにとって彼らの生活を壊す政治家こそ悪なのだから。

(植民地人を頼るといっても、日本人をあそこまで怒らせるやり方をしなくてもよかったんだ。やれやれイギリス人の端くれとして、Mrタカギには軽く頭を下げておこう。 あんな無能政府の役人どもと同じ扱いをされるのは嫌だからな)

 そんなマスターの内心など知る由も無く、最近の英国では珍しく懐が暖かい男達の酒盛りは続いた。
 しかしそんな男達もハリファックス政権、そして今の政治体制のこととなると手厳しい。

「あの無能宰相は敵と味方の区別もつかなかったようだ。そもそもあの腕力しか自慢がない恥知らずの植民地人に媚を売ったのが間違いだったんだ」
「やはりモズリーの言うように、新たな政治体制を目指すべきなのかも知れん。政治家共が選挙民の視線を恐れて軍拡を怠り、ナチスドイツに負けたんだ」
「いや、そもそもチェンバレンが日本の忠告を聞いていれば、ここまで事態は悪化しなかった。日本は遣欧軍の派遣さえ用意していたからな」
「ちっ。あの耄碌爺が。第一次世界大戦の時の活躍を覚えていれば、日本軍が有色人種の軍隊とは思えない程使える事くらい分かるだろうに」
「まぁ仕方ないさ。あの時は誰もが戦争はご免だと思っていたからな」
「その結果が今だろう。これが議会制民主主義の限界だったのかも知れない」

 議会制民主主義発祥の地とも言われるイギリス。しかし二度目の世界大戦において、この議会制民主主義国家は先人達が築き上げた物の大半を政治家の失政によって失った。
 そしてその失態は議会制民主主義という制度そのものへの懐疑を生んだ。何しろこの大戦で躍進を遂げたのはファシズム国家であるドイツやイタリア、そして表向きは軍部(実態は秘密結社『夢幻会』)が牛耳る日本帝国だった。そして今やイギリスはドイツやイタリアの脅威に怯え、日本には頭が上がらないという有様。
 加えて世界最大の工業大国であり、民主主義国家の雄であったアメリカ合衆国は『アメリカ風邪』という最悪の置き土産を残して無様に、そして無惨に瓦解していた。さらにハーストの手によってアメリカ臨時大統領ガーナーが和平に応じなかったのは自分の政治生命が惜しかったためという情報まで広がっている。

「民主主義という制度は果たして国家を運営する制度として適当なのだろうか?」

 そんな疑問の声がイギリスの朝野に満ちていた。カリフォルニアや西海岸では共産主義者に責任転嫁することで民主主義そのものに不信感をもたれるのは回避したが、イギリスではそうはいかなかった。
 独裁政治や専制政治よりはマシと言われてきた民主主義だったが、この大戦の結果を見ると「効率的な独裁国家に民主主義国家は対抗できないのではないか」、「専制政治よりもマシとは言えないのではないか」という意見が出るのはある意味自然な流れだった。
 勿論、政治家たちは「植民地人と一緒にするな」と反論していたが、現在の逆境を招いたのが政府と議会であることは否定できず、苦しい立場に追いやられた。
 だがそれ以上に苦しいのは下層階級の人間たちだった。

「何はともあれ、現状では英本土で投資するより、アフリカへ投資したほうが良いな。もしくはカナダの太平洋岸か」
「そうだな。再び大西洋津波が起きたら目も当てられないし……何より国内は世相が暗いからな。ストやデモも少なくない」
「将来が見えないからな。下手をすると革命騒ぎになり、ドイツの介入を呼び込みかねない」

 庶民の生活は依然として圧迫されていた。各地から集められた資源や食糧で何とか一息ついたものの、生活は決して楽ではない。当然のことながら、彼らが政治家や上流階級や政府に向ける視線は厳しい。
 しかしそれに負けず劣らず文官たちに腹を立てていたのは軍人たちだった。

「好き勝手なことばかり言うな!」

 怨嗟の声を挙げていたのは戦前よりも遥かに国際情勢が悪化したにも関わらず、弱体な戦力で国土を守ることを余儀なくされた軍人、特に実情をよく理解している人間だった。何しろ空軍は壊滅。陸軍も大陸での戦いでボロボロ。海軍は津波で中小の艦艇が大打撃を受けていたのだ。

「これでどうしろと?」

 軍人達は顔を引きつらせた。
 本来は「降参」と言って手を挙げたいところだが、国王陛下の手前、そのような無様な真似はできない。故に彼らは足掻くことになった。
 英海軍は日本からは阿賀野型、戦時量産型の駆逐艦、海防艦などを輸入して再建を進めた。しかし国力の低下によって代艦建造もない状態でR級を含む旧式戦艦は悉くを解体せざるを得なかった。かつてビック7の一角を担ったネルソン、ロドニーなどは速やかに退役した(ただし解体された戦艦から得られた砲は、ドーバー海峡の守りに付くことになっている)。

「今暫くの間は王立海軍単独でも枢軸海軍と何とか戦えるでしょう。ですが枢軸諸国が海軍力を増強して戦力差が互角になればそれも危ういかと」

 イギリス海軍作戦部長アンドリュー・カニンガムはイーデン新首相に報告したのだから、彼らの劣勢振りが判る。サンタモニカ会談でイギリスが地中海からあっさり手を引いたのは、もはや彼らが単独で地中海で戦う力が無いという理由もあった。
 イギリス海軍は日本が接収した旧米軍艦艇を借りたり、退役する中古艦艇(戦時に作り過ぎた艦)を融通してもらい戦力を立て直していたが、それでも尚心細いというのが現状だった。
 しかし海軍にとって更に頭が痛いことに、ドーバー海峡で決戦する際に助力を頼まなくてはならない王立空軍の再建も中々進んでいなかった。新型のスピットファイアの生産と配備は進めていたが、数の面では心もとなかった。そんな中、空軍は富嶽に対応できる迎撃機の開発さえ要求されていた。

「ドイツ軍と今再戦すれば、瞬く間に制空権を失うでしょう。富嶽を満足に迎撃するなどまず不可能です」
「現状の予算と人員と資材ですべての要求を叶えろと言うなら、魔法使いでも連れて来るか、私を魔法使いにして下さい」

 BOBで手痛い敗北したイギリス空軍の関係者は悲鳴を挙げるか、皮肉を政府にぶつけた。
 加えて航空機の生産に関わる軍需企業が津波と第二次世界恐慌、アメリカ崩壊の影響で大きな打撃を受けていたことも空軍関係者を悩ませていた。
 金融や海運の混乱は企業活動に多大な打撃を与えていたのだ。イギリス政府は支援を打ち出すことで倒産が続発するような事態にはならなかったが、一刻も早い再建を目指す関係者にとっては頭の痛い問題だった。
 またBOB時には必要な機械部品や燃料を輸出していたアメリカが崩壊したことも問題だった。アメリカ製品が入ってこなくなったため、一から生産しなければならなくなったのだ。当然、生産スピードは落ちる。高オクタンのガソリンが手に入りにくくなったことも暗い影を落としている。

「次に本土航空戦をすれば、押し切られるぞ」

 イギリス空軍の高官たちはこぞって頭を抱え……その結果、対独戦争になった際には高性能爆撃機で敵の防空網を突破し、敵空軍基地を叩くことで彼我の戦力差を縮める戦略が検討されることになった。
 何しろBOBで日本陸海軍航空隊や亡命政府軍パイロットまで駆り出して防戦したのに、数の暴力によって押し切られたのだ。再戦となれば戦力差はさらに開く可能性が高い。故に先制攻撃を実施する戦略は『イギリス人』からすれば理に適っているように思えたのだ。
 英空軍が採用を検討している戦略は日本側が聞いたら「え、それって」と言うものであったが……英海軍もかなり無理なことを考えていた。

「あとは重雷装艦整備計画か。まさか、ここでも日本海軍の真似をすることになるとは」

 第一海軍卿であるアンドリュー・カニンガムは海軍省で苦笑した。
 ハワイ沖海戦で大戦果を挙げた北上、大井を参考にした重雷装艦を整備することは有効と判断されていたのだ。だが唯でさえ巡洋艦が足りないため、旧式艦であっても艦隊決戦のためだけの艦である重雷装艦に改装することは出来なかった。故に英国海軍は高速敷設艦として計画されたアブディール級に白羽の矢を立てたのだ。

「アリアドニ級重雷装艦か。日本から高い金で買った酸素魚雷と組み合わせればかなりの効果が期待できるな」 「ドイツ海軍はまだまともなレーダーがありません。十分に使えるでしょう」
「あとは魚雷艇の整備だ。酸素魚雷は取り扱いが難しいが、従来の魚雷よりは強力だ。うまく使えば決戦時に主力を援護できるだろう。本来なら空軍の支援も欲しいところだが……」

 カニンガムは机の上の書類に目を向ける。

(最悪の場合、『この船』の出番か)

 その書類には小型のモーターボートのような船について記されていた。
 だがその船を用いる戦術は統率の外道と言ってもよかった。何しろ、この船は爆薬を抱えたまま敵艦に突っ込むことを前提に作られていたからだ。
 勿論、別世界の某極東の帝国が作っていたものと違って脱出装置は装備されていたが、絶対の生還を約束するものではない。
 表情には出さなかったものの、カニンガムは苦々しく口の中で吐き捨てる。

(こんな兵器まで頼らなければならないとは……)

 このような末期の状況だと、同盟国の援軍を期待したいところだが……長年の同盟国は、先の祖国の裏切りによって現状では精々『中立』という有様だった。
 故に英陸軍の出番が来ること、つまり英本土決戦も十分に想定された。しかしその陸軍が置かれた状況は非常に苦しかった。
 まず英陸軍はダンケルクまでの戦いで重装備の大半を失うという大打撃を受けていた。停戦中に体勢を立て直そうとしたが、その思惑も大西洋大津波で文字通り水泡に帰した。
 さらに日独ソ陸軍の兵器、特に戦車はわずか3年で信じられない程の進化を遂げており、従来の兵器を量産しても意味がないという有様だった。
 独ソが停戦し、日独が対ソ政策で一致している今、ドイツの矛先がイギリスに向くのは時間の問題とイギリスは考えていた。故にイギリス陸軍はいつの間にか自分たちが手に届かない次元に進化したドイツ陸軍と戦うために備えることを要求された。

「無茶を言うなよ……」

 陸軍関係者は途方に暮れた。何しろ金も無ければ、物資も無く、さらに言えばいつ再戦となるか分からないので時間もあまりあるとは言えない状態なのだ。
 そんな無い無い尽くしの中、欧州枢軸軍の上陸に備え対小型艇用障害物、それも史実世界では採用されることのなかった氷山空母の素材だった『パイクリート』を利用した物の開発を進めることにした。彼らはこの障害物で多少でも時間を稼ぎ、イギリス陸軍が迎撃する体制を整えることを狙ったのだ。
 そしてこの上陸する敵軍を素早く叩くためにロケット兵器の開発にも力を入れていた。ちなみに後にそのロケット兵器は「パンジャンドラム」と命名され、そのことを知った夢幻会の一部の人間はお茶を噴くことになる。
 何はともあれ、英陸軍は本土防衛のために色々と知恵をひねった。だが残念なことに英陸軍の任務は英本土防衛だけでなく、アメリカ南部に獲得した新植民地『ブリティッシュ・コロンビア』防衛も任務であった。故に英陸軍は史実を知る人間が知ったら苦笑いするような策に出た。

「よりにもよって、英軍が駆逐戦車を配備すると……」
「ソ連でも似たような車両の配備が進んでいると聞くが……何と皮肉なことだ」

 報告を受けた永田と杉山は複雑そうな顔をした。
 何しろ彼らは夢幻会が史実と呼んだ世界で「駆逐戦車」と言われた戦車を多数配備することにしたのだ。
 比較的短時間で、比較的安く揃えられ、そして(特に防衛戦で)日独に対抗できる兵器という魅力にイギリス陸軍は勝てなかった。
 だが新型戦車開発も諦めた訳ではなかった。彼らはドイツ軍の戦車に対抗できる戦車を持つソ連と取引を行い、ソ連の新型重戦車の情報を入手して新型戦車開発を進めている。

「チャーチル卿が生きていたら、まず無理な取引だな」

 北米方面軍の指揮を取っているクルード・オーキンレック陸軍大将はそう苦笑したが、誰もがその戦車の有効性は否定しなかった。
 尤もその巨体ゆえに新型戦車はイギリス本土のインフラで運用できる限界を超えていたのだが、もはや本土決戦もありうる状況においてはそのような制約など構ってはいられなかった。
 かくして無い無い尽くしの中、戦争で消耗した軍の再建、戦災と天災のダブルパンチで息も絶え絶えの産業界の再編が円卓主導ですすめられたが、英国の状況が苦しいことに変わりはない。
 そんな中、イギリスに更なる試練を課すかのように政情不安で揺れるインドに巨大サイクロンが相次いで上陸することになる。




             提督たちの憂鬱外伝 戦後編6




 11月になって相次いでインドのセイロン島と南インドおよびベンガル地方を襲った巨大サイクロンによる被害は想像を絶するものであった。
 特にベンガル地方では高潮と暴風が重なり、米の産地であったベンガル・デルタ地帯には高さ10mもの高潮が襲い掛かったのだ。さらに大雨による河川の氾濫も多発した。このため周辺の島々も合わせて現地の稲作地帯は根こそぎ破壊されたと言ってよい被害を被った。

「逃げろ、逃げるんだ!」
「助けてくれ!!」

 暴風雨が吹き荒れる中、迫りくる水から逃れようと住民たちは必死に高台を目指す。次々に建物や田畑が濁流に飲まれるのだ。一刻の猶予もない。

「急げ、急ぐんだ!」

 力に自信のある男たちは女子供、老人を背負い、安全地帯を目指す。
 しかし全員が逃げれるわけがなく、多くの人間が悲鳴を上げながら無慈悲にも黒い濁流に飲まれていった。

「せめて子供だけでも、誰か、お願いします……誰か、誰か子供を助けて!!」

 水にとらわれた母親はわが子を抱きかかえて叫ぶ。だがその悲痛な言葉は聞き入られることもなく、分け隔てなく平等に死が与えられた。
 一方で水から逃げ出せた者達もあまりの惨状に絶句した。

「ああ、何ということだ」

 破壊されたデルタ地帯は有数の米の産地であり、そこには住民たちの財産である田畑があった。これが無残に失われたのだ。意気消沈するのは当然だった。

「助けはまだ来ないのか? このままだと皆死んでしまう!」

 一人の男がそう叫ぶが、助けは中々こなかった。何しろ被災した地域はあまりに広かった。州政府の機能も被害を受けていたこともあって対応は後手後手に回った。
 またイギリス軍にとって頭の痛いことにチッタゴン港を含む要港が多大な被害を受けていた。特にチッタゴンは1mの高潮に加え4mもの高波が港周辺を襲っていたのだ。 停泊して船舶、及び港の施設は大きな被害を受けており、その復旧にはかなりの労力が必要と考えられた。
 イギリス東洋艦隊が陣取っていたコロンボは大きな被害を受け、東洋艦隊の母港であったコロンボはその機能を低下させていた。東洋艦隊はサイクロンが上陸する前に港から出ていたため直接の被害こそなかったが、かつての母港の無残な姿は東洋艦隊の将兵の士気を低下させるのに十分だった。

「頭が痛いな」

 東洋艦隊旗艦である巡洋戦艦『フッド』の艦橋で、東洋艦隊司令長官トーマス・フィリップス海軍大将はため息をついた。

「来年のインド洋観艦式の一件もある。再建を急がなければならないだろう」

 日英共同演習という単語に、幕僚たちは微妙な顔になった。
 日本とイギリスはインド及びその周辺での枢軸の策動をけん制するために、インド洋で大規模な観艦式を開催しようとしていたのだ。
 また英日関係の現状を憂慮しているイギリス政府としては、何とか対日関係改善の取っ掛かりにしたいと思っていた。そのことをフィリップス達は理解している故にインド洋での異常気象がどんな悪影響を与えるかについて考えざるを得なかった。

「……総督府からは、ベンガル地方の被災地支援も行うようにと指示が来ていますが」

 参謀から総督府の意向を聞いたフィリップスはすぐさま頷く。

「分かったと伝えろ」

 ベンガルの被災地を支援するためにフィリップスは軽空母ハーミズ、軽巡洋艦2隻を向かわせることにした。

「しかし、どれだけの被害が出たのだ?」
「あまりに被害が広範囲に及んでいるため、詳細な被害は分かりません。ですがベンガル地方では最大風速60mの暴風と高潮が加わったため、沿岸部及び島嶼は甚大な被害が出たとのことです」
「そうか……」

 インド南部とインド東部を相次いで襲った巨大サイクロンによってもたらされた被害は、甚大としか言いようがないものであった。
 後日、円卓の席で告げられた被害の詳細、及び復興に必要な経費の見積もりは出席者たちの顔を顰めさせるには十分すぎるものだった。

「最低でも10万人以上の死者が出た、か」
「島嶼の被害が大きかったことも原因かと。いくつかの島は全滅したとの報告もあります」
「救助活動は?」
「難航しています。被災した地域が広範囲に及ぶ上に、多大な被害が出ていますので……」
「しかしこの時期にサイクロンが上陸。加えて穀倉地帯であったベンガルが被災するとは……拙いことになるぞ」
「収穫は終えているが、これだけ被害が大きいと来年の食糧生産に大きな影響が出る。インドの食糧価格が再び高騰する可能性がある」

 考えていたよりインドが重荷になりかねないという状況に、円卓の面々は顔を顰めた。
 彼らは英国の影響力を残しつつ、インドを独立させることを目論んでいたのだが、この混乱が続けばインドを放り出す形でイギリスは撤退せざるを得なくなる……そう考えたのだ。

「マウントバッテン卿は?」
「支援を要請している。南部、あるいは東部どちらか一方だけなら必要なかっただろうが……これだけ広範囲に被害が及ぶとさすがに手が回らないそうだ」
「「「………」」」

 インド総督として着任したルイス・マウントバッテン伯爵は必死に指揮をとっていたが相手が指折りの巨大サイクロンであったこと、被災範囲が広かったこと、さらに現地の情勢が加速度的に悪化していることから本国に支援を要請せざるを得なかった。
 ここで第一海軍卿であるアンドリュー・カニンガムが口を開く。

「諸外国の動きはどうなっているのですか?」
「日本はインドへの人道支援を表明している。欧州枢軸及びイランは比較的おとなしい。まぁフランス人達は喝采を上げているようだが」

 「あのカエル食い共が」という小声がどこからか響く。

「まぁフランスが圧力をかけてこなかっただけでも良しとするべきだろう」
「……そうですな」

 フランス海軍はサルベージし魔改造した元英国製戦艦2隻を配備するだけで満足せず、新型戦艦及び正規空母(それも基準排水量2万〜3万トン程度)の建造計画を立てていた。
 勿論、復興が優先されたためその計画はとん挫したが、フランスは憎きライミーへの復讐を誓っており、イギリスの足を引っ張るためならドイツが認める範囲であらゆる手を打つつもりだった。
 戦災と天災で疲弊していたが、大半のフランス人はイギリスへの復讐心を忘れていなかった。特にかつてイギリス海軍の卑劣な騙まし討ちにあって生き残った者達はその傾向が顕著だった。何せ日本海軍にやられたように真っ向から叩き潰されるならまだ諦めも付くが、先日までの同盟国に騙まし討ちにされ、袋叩きにされたとなれば話は違う。

「イギリス海軍の軍艦をすべてドーバー海峡に沈め、ネルソン記念柱を引き倒すまでしなければ、あの冷たい北海で無念のうちに散った者達が浮かばれない」

 フランス海軍の強硬派はそう言って憚らない。

「何はともあれ、我らも余力があるわけではない。何より現状ではカナダへの復興支援が必要だ」
「しかし何もしない訳にはいかん。アデン周辺に展開させている部隊と物資を一部回すしかあるまい」
「だがそれではイランへの抑えが外れかねないぞ」
「分かっている。回す部隊と物資は絞る。不足分はオーストラリアとニュージーランドから回すことになるだろう」

 こうしてイギリスは事態収拾に向けて動き出す。
 だが、ただでさえ情勢不安だったインドは、一連の被害でさらに不安定化することになり、当事者であるイギリスおよびインド国民議会は頭を抱えることになる。
 尤も頭を抱えたのは彼らだけではなかった。極東の帝国でも多くの人間が頭を抱えていたのだ。




「いきなりインド東部が大打撃とは……」

 会合に参加していた杉山は頭痛に耐えるように米神を押さえながら、深いため息をついた。近衛や辻といった面々も苦い顔をしている。
 日本人陰謀論などが囁かれても、日本もまた歴史の荒波に翻弄されているという事実がここにあった。

(No2を目指していたら、いつの間にか列強筆頭になった上に背負いたくもない責任を負わされ、おまけにNo1を葬るために使った禁じ手の後始末に翻弄されるか……全く我々は何をやっているんだろうな)

 悉くうまくいかない現実と、因果応報と言ってもよい数々の事象への対処に追われる毎日を過ごしていることを思い、嶋田は苦い笑みを浮かべる。
 そんな嶋田の肩をポンと叩く男がいた。

「人生、そんなものですよ?」
「……辻さん、他人の考えを読まないでください」

 嶋田の返答を聞いた辻は大げさな仕草で嘆く素振りをする。

「何を言っているんですか。我々は一蓮托生の同志ではないですか」
「腐れ縁の間違いでしょう」
「おや。そんなに脆い縁ですか?」

 辻は懐から取り出した扇で口元を隠しつつ、横目で尋ねた。この問いかけに出席者たちは一様に黙った後、杉山はやや諦め気味に言う。

「むしろ鋼鉄の鎖でできた縁だろう。多少、腐臭(権力及び金銭的意味で)がするがね」

 数名の男が頷くが、嶋田は首を振る。

「腐臭だけではないでしょう。鎖には文字が書いてありそうですよ……報告書とか、会議の資料に書かれている文字が呪文のように、ね」
「「「………」」」

 特に負担が大きい面々は青い顔をする。

「役職が上の人間ほど、雁字搦めになる悪夢の鎖だな」
「おまけに鎖を投げてくるのは外面は紳士なだけど、中身が『アレ』な金ぴか(金銭的意味で)の魔王……救いがないですね」

 杉山と嶋田が遠い目をしてぼやくが、誰も異論は唱えない。

「ははは、相変わらず酷い言われようですね。人を何だと思っているんです?」
「言わなくてもわかっているだろうに」
「ほう、話が分かる紳士な伊達男と。いえいえ、杉山さん、そこまで褒められるとさすがに照れますよ。私は単なる通りすがりの大蔵大臣ですよ」
「そんな大蔵大臣がいるか。そもそも伊達男って……伊達政宗が泣くぞ」

 疲れた顔で杉山が突っ込むが、辻は意に介さない。
 何人かが「伊達男というより、ゴ○プ提督だろ。あいつの主戦場は政争だし、大蔵省のモグラだし」、「いや奴の半生を考えるとガー○イルだろう」、「バベルの塔を原爆と考えると納得できるな」と言いたい放題にささやくのが聞こえてくると、さすがの辻も若干乾いた笑みを浮かべる。

「言いたい放題言ってくれますね」
「多少は自覚があるのでは?」

 嶋田の突っ込みに対して、辻は嘆かわしいと首を横に振る。

「私は皆さんに不利益になるような提案をしたことはないと思うのですがね〜。ああ、人間というのは分かり合えない生き物なんですね」
「……暗黒物質でも入っているような腹と超弩級戦艦の装甲ほどの面の厚さがあれば、世の中、もっと楽しく過ごせるんでしょうね」

 嶋田は半ば悟りきったような顔で、そう言った後、お猪口を手に取って燗酒を飲みほすと表情と気分を切り替えた。

「……さっさと話を進めましょう」

 体調が思わしくなく会合を欠席している伏見宮に代わって、会合で音頭をとる事が多くなりつつある嶋田の言葉に、出席者たちは同意するように頷く。

「そうですね。話を進めましょう。時間は有限ですし」

 辻の言葉を切っ掛けにして議論は再開される。口火を切ったのは近衛だった。

「ベンガル・デルタ地帯が大打撃を受けた影響は大きい。緑の革命を起こしてインド周辺に普及させる場合、あの地域の生産力はそうそう捨てられん。テ号作戦でもあの地域は確保しておきたい場所だった」

 テ号作戦はインド崩壊時にその混乱を最小限にすることを目的として練られた作戦だった。
 その作戦の中では、英国と協力して東インド(バングラディシュ)をインドの混乱を東に広げないようにするための防壁として機能させることにしていた。故に今回のサイクロン被害で彼らは頭を痛めていたのだ。

「近衛公の言う通りです。現在、政府は人道支援を申し出ていますが、場合によってはそれ以上のものが必要になるでしょう。現地では食糧支援を必要とする人間が100万以上いるとの試算もあります」
「100万……」
「これは現在分かっているだけの最低限の数です。増えることはあっても減ることはないでしょう」
「「「………」」」
「現地では物資不足と救援の遅れもあって治安が急激に悪化しているとの情報もあります」

 出席者たちは米神を押さえたり、眉を顰めたり、周囲の人間と小声で相談しあったりと様々な反応を示す。

「イギリスは?」
「現地にすでに救援を差し向けていますが、被災地全域を救うには数が少なすぎます」
「とりあえず要港であるチッタゴンを復活させてから、第二陣を送るのでは?」
「オーストラリア、ニュージーランドから支援を回すようですが、すでに両国はカナダ、イギリス本国支援のために物資と人員をかなり吐き出しています。楽観は禁物かと」
「「「………」」」

 わずかな希望も打ち砕かれて、出席者たちは沈黙した。

「……支援には反対はしませんが、今後、日本を襲う災害への対策及び新規の交通インフラ整備、それに北米西海岸三ヶ国、東南アジア諸国とカナダへの支援も考慮してもらいたいです」

 辻が言う通り日本国内でも大規模な地震及び津波に備えた動きが活発化していた。特に東海地方で大規模災害が起きた場合、流通が東西に分断される恐れがあったため、関東〜甲信越〜北陸〜近畿流通網の確立(北回りルート)が決定された。
 具体的には北陸本線複々線化、北陸方面の軍民共同空港である小松空港の拡張が進められることになった。勿論、これには少なくない物、人、金が費やされる。これでいて保護国となった東南アジアへの支援も行うのだ。これ以上の大盤振る舞いは勘弁してくれというのが内政に関わる者達の本音だった。
 ちなみに保護国である某半島のことは大して議題に上がらない。必要最低限の飴を与えて、あとは放置というのが夢幻会の方針なのだ。多少の餓死者が出ても、彼らにとって大した問題ではない。
 だがあまりに死人がでると煩わしいこともある。よって日本政府は現地住民の口減らしのため、人身売買についてある程度見過ごしていた。

「人身売買をしているのは韓国国内の犯罪組織であり、彼らに対処するのは韓国政府の仕事である」

 それが日本政府のスタンスだった(犯罪組織が調子に乗って日本に害をなせば容赦なく叩き潰すのは変わらないが……)。
 尤も夢幻会は別に口減らしのためだけに人身売買を見過ごしている訳ではなかった。

「我々にとって頭痛の種であった、あの不良債権の束が帝国の懐を潤すのに貢献するのです。万々歳じゃないですか」

 人身売買について議論になった際、辻はそう嘯いた。
 実際、人身売買でソ連に渡った人間たちが酷使されて採掘した鉱物資源は、ソ連が日本の工業プラントを手に入れるのと引き換えに日本に渡るのだ。これによって日本は戦後世界を生きるために必要となる力を蓄えられる。
 さらに彼らは最後にはソ連の一般人の食欲を満たすために使われる。これによってソ連の食糧事情は多少改善され、ソ連を支えるための日本の負担も低減される。

「こちらには不要なものを売り、欲しいものを安く買う。理想的な商売です。そして何より、表だって売れない不要な『もの』を売るのは我々ではないのが都合がよい……そうでしょう?」

 後継者候補の前で辻は淡々とそんな台詞を言ったと言われている。
 何はともあれ、日本は表向き非難される行為はしていない。非難されるべきは人身売買を行う犯罪組織であり、それに加担するソ連なのだ。
 同時に政府は韓国は自国民を輸出するような組織が跳梁するような国であることを、過去に日本が行った技術、政策指導の惨憺たる結果や戦中の裏切り行為とあわせて喧伝することで同国へ同情が集まるのを阻止する工作も進めていた。実に容赦がなかったが、かの国民の民族性を考えると情けは害にしかならないとして夢幻会は強硬策を選択していた。
 尤もその強硬策でも、最低限の出費(金、物)が必要であり、帝国の懐を圧迫する一因になっている。

「帝国はアメリカのような余力はありません。食糧支援については最低限のものにして頂きたい」

 阿部内相や軍需相なども盛んに頷く。

「戦前から備蓄していた食糧や、寒冷地向けに改良を続けた稲、冷夏に備えた農家への各種指導、豪州からの穀物輸入、中国から賠償金の代わりに取り立てた食糧、漁獲量を増やすための漁業者への支援、そして経済の統制と様々な手を打ち 国内は平穏を維持していますが、気は抜けません。もしも食糧政策が破綻すれば、革命気運が高まりかねません」

 ここで一呼吸おいて、阿部は付け加えるように言う。

「万が一に備え、暫くは『これまで通り』国民の統制と監視は必要不可欠かと」

 「ようやく殲滅したアカを復活させかねない政策には反対だ」と言外で表明すると同時に、阿部は最近囁かれている『内務省分割論』を牽制するように嶋田に厳しい視線を向ける。
 『内務省分割論』。この意見については夢幻会以外でも賛同する人間は少なくなかった。巨大化する内務省への懸念は根強い。このため夢幻会内部では史実のように内務省をいくつかの省に分割できないかとの声が強かったのだ。
 故に内務省のトップである阿部は、『過度』に内務省を弱体化するような改革には反対していた。彼自身、ある程度(主に警察関係)の権限移譲はやむを得ないとも考えていたが……。

「「「ふむ……」」」

 戦後日本のあるべき姿を巡って内務省の人間と壮絶な駆け引きを繰り返している近衛、嶋田、辻は視線を交わす。

「まぁ行政改革については後日の議題としよう。今はインド情勢への対応を話し合うのが優先だと思う」

 近衛の仕切り直しの言葉を聞いて阿部は不承不承の素振りで頷く。そしてその反応を見て田中が口を開く。

「インド南部およびインド東部、特にベンガル・デルタの被害が甚大である以上、インドの食糧事情が更に悪化するのは当然の流れでしょう。またインド国内のヒンドゥー教徒の間では強硬派、いえ原理主義派が台頭してイスラム教徒などの異教徒との対立が激化しつつあります」

 田中はそう言うと詳しい内容を記した書類を配った。書類を見た出席者たちはますます渋い顔となった。

「だとすると更にインド国内の対立が悪化すると?」

 確認するような近衛の問いかけに田中は即刻頷いた。

「対立激化は不可避。最悪の場合、インド内戦が1〜2年以内には始まりかねない。これが情報局の見解です」
「「「……」」」

 さらに彼らにとって頭が痛いことに、大規模な支援となると国内から異論が多数出ることが必定ということだった。
 表向き、インドは英国勢力圏なのだ。裏切り者の英国を助けるために資源や食糧を大量に切り崩すマネは世論の手前、そうそうできるものではなかった。

「支援は行うが、最悪の場合は防衛線はアッサムを中心としたインド東部へ後退させるしかない。それにチッタゴン丘陵地帯をビルマに編入させるという方法も考えなければならん」
「幸い、あそこの住民は東南アジア系に近い。仮にインドが崩壊した際には英国の理解も得られるだろう」

 杉山の意見に近衛は頷く。嶋田も要港であるチッタゴンが最終的に使えるようになるのであれば問題ないと考えた。だが今度は別の懸念が出てくる。

「しかしこのような状況が続くと、イランがどう動くか……」
「「「ふむ……」」」

 イランがインドの混乱を幸いに、在イランの英資本を接収したりすれば混乱が拡大しかねなかった。
 かと言って日本がイランの行動を実力で止めるのも難しい。

「ドイツは?」
「今のところ、イランの行動を黙認しているようです。ただし、スウェーデンでは英独が接触しているとの情報も入っています」
「恐らく日英合同観艦式の情報を利用して、ドイツをけん制しようとしているのだろう。我々が出張るとドイツが判断すれば、イランも多少は静かになる……そう思っているのだろう」

 近衛の推測に異を唱える人間はいなかった。またドイツが大規模な衝突を避けるために何かしら手を打つだろうという推測に異を唱える人間もいなかった。

「しかしドイツもいつまで静かにしているものやら……」
「富嶽対策、そして枢軸陣営の海軍力が整備できれば、動く可能性が大、と海軍は考えています」

 海軍出身である故、嶋田は枢軸陣営の海軍力が如何に貧弱であるかよく理解していた。
 イタリア海軍は数こそ侮れないが、地中海の外で活動するにはあまり慣れていない。フランス海軍は先の大戦と津波の被害から回復しきれておらず、ドイツ海軍に至ってはバルト海防衛が関の山だ。スペイン海軍は現在のところ、ほぼ無視できる規模でしかない。

「ですが先の大戦のような大艦隊を整備するのは不可能では?」
「それは辻さんのおっしゃる通りです。何よりドイツは陸と空に重点を置かざるを得ないでしょう。彼らが整備できるのはシーレーン防衛のための護衛艦隊、それと潜水艦が中心になると考えています」

 嶋田の、正確には海軍の推測は当たっていた。

「ドイツ海軍は象徴となる戦艦と空母がそれぞれ1隻〜2隻あればいい。あとは巡洋艦以下の艦艇と潜水艦の整備に力を入れよ」

 ヒトラーは海軍力の整備を進めるつもりだったが、Z計画のような途方も無い艦隊計画を進める気はなかった。彼は北米植民地航路の防衛と国の威信を保つための戦力があればよいと判断していたのだ。実際問題、ドイツには陸軍と海軍を同時に整備する余裕は無い。このためヒトラーの指示は合理的なものだった。

「だとすると、枢軸海軍の主力を担うのはフランス海軍とイタリア海軍と?」
「ええ。彼らが中心となって戦力を整備すれば、いずれは王立海軍に対抗、いえ超えるだけの戦力を用意できるでしょう」
「だがそれだけの戦力を伊仏が揃えれば、多少のゆがみは出るのでは?」
「ヒトラーならそれも利用するでしょう。陸の独、海の仏伊とすみ分けつつ、圧倒的な陸軍力で仏伊本国を威圧すれば両国の離反は防げます」

 嶋田の言う通り、ヒトラーはフランスとイタリアに海軍という金食い虫を整備させることで陸軍を弱体化させ、ドイツぬきに国防が成立しないように仕向けるつもりだった。イタリアとフランスは盟友であったが、彼らが自立できる立場になればドイツの地位が相対的に下がってしまう。それは避けなければならないのだ。

「仏伊海軍は?」
「国力が回復すれば、2か国あわせて我が国と同数、あるいは若干超える程度の正規空母は保有できるでしょう。まぁ正規空母といっても、当面は中型空母が限界でしょうが他の艦艇もあわせると無視できない脅威になるでしょう」
「ドイツ海軍が加われば、僅差ですが(質は兎に角として)数では我々を超える……その程度の規模になれば動くでしょうね。彼らは東海岸の墓荒らしにも熱心ですし」

 墓荒らしという言葉に、何人かが苦笑する。

「しかし使い物になる艦があるのかね? 東海岸で建造していた艦船はドックごと潰されるか、津波の後に泥にまみれて使い物にならないはずだが」

 近衛の疑問に、嶋田が苦笑して答える。

「技術情報だけでも欲しいのでしょう。ドイツ海軍は先の大戦の影響で、造船技術、特に大型艦についてのものに問題を抱えています。それに旧米国の技術は決して侮れるものではありません。装備からもいろいろと得るものがあるでしょう」
「ふむ……」

 何はともあれ、欧州枢軸が本格的に動くまでまだ時間があるというのが会合での結論となった。

「しかし可能なら、欧州枢軸の間にくさびを打ち込むか、リソースを浪費させたいですね。イギリス以外の西欧諸国が総力を結集するというのは日本にとって脅威です。それにイギリスが真っ先に脱落しかねません」
「とりあえず、イギリスへのテコ入れとして、カリフォルニアからの提案は認めるしかないでしょう。海軍としても、イギリス海軍のこれ以上の弱体化は望ましくないですし」

 カリフォルニアのハーストは、ノースカロライナかワシントンのどちらかをイギリスに貸すことを日本に打診していた。
 日本国内の反英感情を考慮すると難しかったが、配備先をカリブ海に限定し、連絡将校を置くなど条件を加えることで何とかなるのではないかと嶋田は考えていた。

「しかしイギリスが苦しいのは確かです。消耗しすぎて脱落されても困るので、欧州枢軸をもう少し大人しくさせられれば良いのですが」

 そう言うと辻は一人考え込む。
 何人かは「また悪いことを考えているな」と諦め顔をして、何人かは「衝号作戦再びにならないだろうな」と心配する。そんな気配を感じたのか辻はやや不機嫌そうな顔をする。

「また悪巧みだと思っていませんか?」
「「「違うのか?」」」
「枢軸にとって悪巧みには違いませんが、そこまで外道なことは考えていませんよ……まぁ外道なことも考えましたが」

 出席者たちは「「「結局、考えたのかよ!!」」」と突っ込んだが、それ以上詮索することなく、続きを促した。これを見た辻は「イギリスとの協議がいりますが」と前置きをした後、話し始める。

「インドが崩壊するのなら、その苦労を枢軸にも味わってもらいましょう」
「……どういうことかね?」
「要するに大量の難民を西に追いやるのですよ。ベンガル一帯が壊滅したため現地では満足に食糧が確保できないと喧伝して、イスラム教徒達を西部に向かうように仕向けるのです。ええ、当然、我々もそれを助長します」

 辻はパキスタンに流入するイスラム教徒を増やし、現地をさらに不安定なものとするつもりだった。

(史実でもパキスタンはインド中から流れてきたイスラム教徒たちの扱いに苦労した。あの地方の産業基盤はインドよりも脆く、今は史実より経済が低迷している。この状況でベンガルに流れた連中もまとめてパキスタンに流れれば現地は大混乱となる。その上でイランにまで難民をうまく流し込めれば……)

 黒い微笑みを浮かべる辻の意図に気づいたのか、嶋田は少し素振りをしてから口を開く。

「意図的にインダス川より西に混乱を広げる、と? だがそうなるとイギリスの立場が無いのでは?。日本国内でイギリスへの不信が高まりかねない」
「昨今の異常気象と史上未曾有のサイクロン被害、そしてドイツが糸を引いているイランの問題でイギリスの目が中東に向いていた所為と言うことで押し通すしかないでしょう。ああ、迷惑料の代わりに中東、アフリカ市場の開放を認めるなどしてもらえれば世論は抑えられるでしょう」
「だがパキスタンまで放棄するとなると、我々は要港であるカラチを失うことになる」
「それは仕方ないでしょう。何かなら何まで我々が支配する訳にはいきません。多少の損切りは必要でしょう。それにインド国内のイスラム教徒を西に押し付けることができれば我々の負担も減らせます。何しろベンガルがあの有様ですからね」
「………」
「イランまで混乱が広がれば、ドイツもフランスも余計な火遊びは考えられなくなるでしょう。難民がいかに厄介かを彼らは思い知るのですから」

 これには近衛も頷く。

「確かに、難民ほど面倒な存在はない。まして彼らが武装していれば、猶更だ」
「それに加えて、ドイツはイスラム教徒をそうそう手荒く扱えません。何しろ友好国であるイスラム諸国のイスラム教徒の目もありますからね。彼らにも多少は苦労を分かち合ってもらいます」
「ふむ。イギリスは防衛線を引き下げ、その隙に再編を進めてもらう、と?」
「そして我々はインドの混乱を防ぎつつチベットのウラン資源開発を行います。信頼できる友好国で採掘できるというのはいろいろとメリットが大きいですから」

 チベットにはウランだけではなく、多くの鉱物資源が眠っており、資源的価値は高い。
 特に戦略物資であるウランの鉱山を確保するのは日本軍にとって、どうしても必要だった。

(カナダ、オーストラリアという選択肢もあるのですが、やはりイギリス連邦内というのがネックですね。まぁカナダは何とかこちらに引き込むにせよ、現状で半島にはあまり手を出したくありませんし)

 現状で朝鮮半島にウラン鉱山があると分かったら、国内で韓国併合論が出かねなかった。

「本来はチベット開発のために必要な華南地方を通る鉄道整備についても、インドの混乱を理由にして華南連邦の協力を引き出しやすくなります。華南連邦もインドの混乱を拡大させないためにチベットへ迅速に人とモノを輸送できる手段は欲しいでしょうし」
「彼らがチベットに色気を出さないように、チベットをテコ入れする必要になりますが」
「衣食住に困った膨大な数の難民たちを支援するよりかは、まだ良いでしょう。まぁチベットに僧兵が闊歩する光景は何とも言えませんが」

 数名の出席者が乾いた笑みを浮かべた。史実を知る人間としては屈強な軍隊を有した独立国家・チベットというのはジョークにしか聞こえなかったのだ。

「あとドイツやフランスが余計なことをしないように、インド洋で疾風の存在をよく宣伝するのもよいかと。正直、ここまで事態が混乱すると観艦式よりも軍事演習のほうがよいと思いますが」

 杉山と嶋田は辻が何を言わんとしているか悟った。

「ジェット爆撃機の開発が進んでいることの喧伝か」

 杉山の呟きを聞いた辻は頷く。

「原爆の増産、そしてこれまで以上に迎撃が難しいジェット爆撃機が組み合わされば、どうなるか……それを想像できない人間はいないでしょう」

 「日本に影響が出かねない策略をインドで実施すれば、どうなるか判るな?」と半ば脅しを込めたメッセージを伝え、欧州枢軸の動きをけん制する……この考えに異論はなかった。
 かくして夢幻会は動き出す。








 あとがき
提督たちの憂鬱外伝 戦後編6をお送りしました。
長くなった割にはあまり話が動いていませんが……なぜだ(汗)。
パキスタンはかなりの地獄を見ることになりそうです。まぁインドやバングラディシュもかなり拙いことになるでしょう(汗)。
次回は東南海地震になる予定です。
拙作にもかかわらず最後まで読んで下さりありがとうございました。
戦後編7でお会いしましょう。



 今回採用させて頂いた兵器のスペックです。

アリアドニ級重雷装艦
基準排水量 2,900t
全長 127m
全幅 12m
機関 アドミラルティー式重油専焼三胴型水管缶6基
   +パーソンズ式ギヤード・タービン2基2軸推進
馬力 72,000馬力
速度 36ノット
航続力 15ノット/4,600海里
主武装 アームストロング Mark XVI 10.2 cm(45口径)連装高角砲2基
    ボフォース 4cm(56口径)連装機関砲2基
    61cm5連装魚雷発射管 3基
同型艦 アポロ


パンジャンドラム自走ロケット砲
全長:   7.35m
全幅:   2.40m
全高:   3.09m
全備重量: 13.7t
乗員:   5名
エンジン: ベドファード 水平対向6気筒液冷ガソリン
最大出力: 170hp/1,100rpm
最大速度: 60km/h
航続距離: 450km
武装:   24連装155mmロケット弾発射機×1 (24発)
最大射程: 20,000m